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竜の階  作者: ムルコラカ
第六章 ブルーナボーナ家の誘い
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第二百三十二話

 見晴らしの良い平原の上に連なった幾つもの天幕を眺めつつ、僕は小高い尾根に登って見回りに一区切りをつけた。既に陽は殆ど落ちかけ、すっぽりと薄闇に包まれたこの一帯を無数の松明や篝火が照らしている。


「おう、お疲れナオル。んじゃ、後は任せてゆっくり休んでくれよ」


 交代地点に居た仲間の魔道士達が、何処かほっとした様子でカラカラとランタンを揺らしながら近付いてきて労いの言葉を掛けてくる。ランタンの中に灯っているのは炎ではなく、魔法によって生み出した青白い光の玉だ。虫除け、獣避けの効能があるらしく、陣地に拵えられた幾つかの火鉢にも篝火の代わりにこの光球が収まっている。何処となくスファンキルの光を連想させる穏やかな色彩だ。


 青白い光源によって照らし出された彼らの表情は微妙だった。何事も起きなくて良かったという安堵と、もう今夜は何もせず大人しくしててくれという懇願がないまぜになった、何とも名状し難い情動が込められている。


「ありがとう。ごめんね、僕のワガママを聴いてもらって」


「いや、何。“渡り人”サマってのは戦う為に居るんだからな。いざって時の為に自分の目で周囲の地形を把握しておくのは大事だよ、うん。けどまぁ、そうは言っても今のお前さんは正式な使者の一員なんだし、不測の事態に備える仕事はこっちに任せてくれたって良いんだぜ?」


「そうそう、ナオルはこれまで何度も身体を張ってきたんだろ? 偶には周りに任せて、どっかり構えてくれたって誰も文句は言わねえよ」


「ナオルばっかり活躍してたんじゃ、俺達の立つ瀬が無いからな。こういう時くらい働きの場を譲ってくれよ」


 僕とそう歳の変わらない魔道士達は、口々にそんな当たり障りのない言葉でこちらを現場から遠ざけようとする。《竜牙の塔》で共に修行に励んだ間柄であり多少は気心の知れた相手ではあるが、そんな彼らをしても今日の僕の行動は迷惑に感じているに違いなかった。護衛対象にあっちこっちウロチョロされては溜まったものじゃない、ということなんだろう。


 確かに、彼らが正しい。せめて今夜の宿営地の見回りくらいはさせてほしいという僕の願いは、護衛の役目に就いている側からすれば迷惑以外の何者でも無い。それでも、これ以上何もせずただ護られているだけという感覚に耐えるのは限界だった。


「特におかしなところは見当たらなかったよ。カーレスの森が見える東南の方向以外は見晴らしも良いし、雲も少ない。歩哨に立っている騎士さん達からも異常無しって言われたよ」


「分かった、ご苦労さま。助かったよ、ありがとなナオル」


 心なしか早口でそう言うと、これ以上の話は不要とばかりに仲間の魔道士達はそそくさと巡回に出掛けていった。青白い光の群れが逃げるように遠ざかってゆくのを見送りながら、僕は短くため息を吐いて傍らのコバを振り返る。


「じゃあ、幕舎に戻ろうかコバ」


「はい、ナオル様」


 短いやり取りを交わし、僕とコバは割り当てられた天幕を目指して篝火で明るくなった陣地を進んでいく。至る所、目につく箇所には必ず騎士が立っており、咳きひとつせずに周囲を警戒し続けている。


「コバ、ナンジュさん達とはもう話した?」


 行き詰まるような空気感を紛らわす目的も兼ねて、僕は気になっていたことをコバに尋ねた。傍で、サーシャが耳をそばだたせるような気配がする。


「はい。ナンジュ様や他の庭師の方々とは、お互いの休息時間が重なった時に親しく交流させて頂いておりますです。皆様、コバめに良くしてくださり感謝の念に絶えません」


「そっか。やっぱり同じゴブリン同士だから話が弾む?」


「そうでございますね。コバめは同族の方々と出会うのが初めてでございましたから、嬉しくてつい話しすぎてしまったくらいです。にも関わらず、ナンジュ様達は嫌な顔ひとつ見せずにこやかに接して下さいました」


 どうやらコバとナンジュさん達を邂逅させたのは正解だったようだ。人間社会の中で息が詰まるような日々を送るしかないゴブリン族の苦悩は、僕には理解が及ばないくらいに根深いものなのかも知れない。ナンジュさん達であれば、僕では踏み込めないコバの深奥に触れられるのではないだろうか。彼らとの出会いが、コバの安息になってくれれば良いと願うばかりだ。


『コバ、良かったね』


 耳元で、サーシャの慈しむような声がした。僕以上にコバの行末を案じていた彼女だが、ここ最近は風向きが変わったことに胸を撫で下ろしているだろう。その風はきっと、彼女が運んできたものに違いないと僕は思っている。……本人には黙っておくが。


「ナンジュさん達とは今後も親しくさせてもらうと良いよ。その許可を、今ここで与えておくから。自由な時間が出来たら、僕に気兼ねせず彼らに会いに行きなよ」


「ナ、ナオル様……! あああ、真にコバめには勿体ないご配慮でございます! この御恩には、必ずや報いてご覧に入れますです!」


 コバは感極まった様子で恐れ入りながらも素直に僕の言う事を受け入れた。これも、少し前までなら見られなかった光景だ。何事につけ、主人である僕が第一という姿勢を崩さなかった彼だが、最近は自分のやりたいことを見出すようになってきた。


 このまま、コバの自立性が育まれていけば良い。そんな風に考えて頬を緩めていると、


「随分とお優しい命令で感動的ですこと。ナンジュや私に都合というものがあると、失念している点を除けば――ですけど」


「イ、イルテナさん!?」


 すぐ傍の天幕の影から、つんと澄ました顔のイルテナさんが光に浮かび上がるように現れた。


「……聴いていたんですか?」


「聴こえたんですのよ。自分の幕舎に戻る途中で、貴方達の話し声が」


 悪びれることなくそう言ったイルテナさんの後ろには、件のナンジュさんが控えていた。僕達が自分の存在に気付いたことを確認すると、ぺこりと丁寧なお辞儀をして微笑んだ。


「でも丁度良かった。これから貴方達を呼びに行かせるところでしたの。少し、私にお時間を下さる?」


 少し声を落として、イルテナさんは目で奥の方を指し示す。付いてこいということなんだろう。別段断る理由も無い。


「分かりました。それじゃあコバは……」


「ご一緒で構いません。ではこちらへ」


 意外にもコバの同行を認めてくれたイルテナさんは、そのまま前に立って歩き出す。僕とコバは一瞬だけ視線を交わした後、素直にその後に続いた。


『なんだろうね……? 取って食われるってことは無いと思うけど、一応気をつけてナオル』


 サーシャからの注意に、僕は心の中で頷いた。


 イルテナさんの寝泊まりする幕舎は、他の物より一回りは大きく立派なものだった。天幕の上に目をやると、目印となる紋章旗が風に煽られてはためいているのが見える。国旗である王冠に囲まれた竜と、公爵家の象徴たるケルピーが描かれた二振りだ。これなら報告に来た人間が迷うことも無いだろう。


「ただいま戻りました、お待たせ致しましたわ」


 入り口の垂れ幕を捲る前に、イルテナさんが中に声を掛ける。他に誰か来ているらしい。


 そして彼女に続いて垂れ幕を潜った僕達は、そこで意外な人物を目にすることとなった。


「フィオラさん?」


「あれ、ナオルくんにコバくん? こんばんは、キミ達も呼ばれたんだ」


 幕舎の中で寛いでいたフィオラさんが、マンドリンの弦を撫でながら僕達に微笑んだ。


「私がお招き致しましたの。吟遊詩人の調べに耳を傾けるのも、良い余興になると思いましたから」


 僕達の疑問に先回りするようにイルテナさんが説明した。そのまま、僕達に質問する隙を与えないままフィオラさんに促す。


「さ、早速聴かせて頂戴。貴女の好きなうたで構いません。その代わり淀みなく、最後まで途切れさせずに歌い上げて下さいまし」


「え? う……いえ、はい」


 フィオラさんは僅かに戸惑いを眉に刻んだものの、すぐに気を取り直して滑らかに弦に指を這わせた。マンドリンの心地よい音色が響き、すぐにそれは旋律となって音楽の形を取る。


 そして、フィオラさんはゆっくりと口を開いた。




 ――漂白の旅路 果てなき大地


 ――戦火を逃れ 休む止まり木


 ――素朴な民 慎ましやかな暮らし


 ――引き裂く凶刃 戦鬼の影


 ――救わんと立つ 七人の勇者


 ――霧深き谷を越え 助けを求めん




「あ……」


 僕は気付いた。フィオラさんが歌っているのは、モルン村で僕達が出会ってからの経緯だ。あの冒険を、彼女は詩に仕上げて今此処で高らかに歌っている。


 彼女の歌声が僕の耳から身体の中へ浸透し、あの時の記憶を鮮やかに蘇らせる。大変だったけど、とても彩り豊かな体験の数々。不覚にも涙ぐみそうになってつい横を向くと、隣でコバも感慨深そうにフィオラさんの詩に聴き入っている。サーシャも『ほわぁ……!』とか言いながら夢見心地に浸っているようだ。


「騎士達の噂で知っていたけれど、なるほど見事なものですね。ケルピーの力を使ってあげた甲斐がありましたわ」


 イルテナさんも、心地良さそうにフィオラさんの歌に聴き入っていた。


「本当に、ありがとうございましたイルテナさん。お陰様でアリッサさんも助かり、ドニーさんも報われます。フィオラさんもこれで安心でしょう」


 鉄仮面の陰謀によりイーグルアイズ家を裏切ってしまったドニーさんの妻、アリッサさんの看病に付きっきりだったフィオラさん。その彼女がこうして僕達に同行しているのは、全てイルテナさんのお陰だ。


 ローリスさんの毒を打ち消したケルピーの秘薬。あれを見た僕は、もしかするとアリッサさんの病にも効果があるのではないかと考えた。そこで率直にイルテナさんに事情を打ち明け、もう一度だけあの薬を作ってくれるようダメ元でお願いしてみたんだ。


「お礼の言葉なら、貴方からもフィオラ殿からも散々聴きました。もうよろしくてよ。貴方は我が国の切り札たりうる“渡り人”であり、オーク十二将ヴェイグを斃した功労者でもあるのです。その頼みを聴き入れることくらい、当然ですわ」


 意外、と言っては失礼かも知れないが、イルテナさんは快く僕の申し出を了承してくれた。そして即座に自ら足を運び、アリッサさんにあのケルピーの秘薬を処方してくれたのだ。


 読みは当たった。ナンジュさんやフィオラさんの手で慎重に薬を飲み下したアリッサさんは、その日から少しずつ生気を取り戻した。最後に会った時は、もう寝台から身体を起こせるくらいには回復していた。今はフィオラさんに代わり、メルエットさんが派遣したイーグルアイズ家の家臣がアリッサさんの看護を続けている。


 そしてフィオラさんは、心置きなくこの冒険に参加することが出来た。


「ただし、これも繰り返し申し上げたことですが、必ずしも完治したとは限りませんわよ? あの女性を蝕む病は不治のもので、《聖還教》の聖職者達でさえ手の施しようがなかったと承っています。今はケルピーの水薬で一時的に回復の兆しを見せているかも知れませんが、明日のことは私にも分かりません。本当に助かるのか、やがては再び死の床に臥せるか。命運の行方は女神リア・ライフィルのみが知りうるのでしょう。ゆめゆめ、この点をお忘れなきよう」


 イルテナさんは、僕だけに聴こえるように声を落としてそう言った。


「分かっています」


 僕はイルテナさんの目を見てしっかりと頷いた。一時しのぎに過ぎないのかも知れないが、やらないよりはずっとマシだったと信じている。《往蘇節》の事件後、久しぶりに会ったフィオラさんは、アリッサさんを救おうとするあまり次の満月の夜を待って【秘癒の儀】を行おうかと真剣に考えるくらい思い詰めていた。お人好しにも程がある、とフォトラさんが随分頭を抱えていたのも記憶に新しい。


 死の覚悟が出来ていただろうアリッサさんにとって――そして今も懸命に罪を償おうとしている彼女の夫にとっても――治る見込みの大きい【秘癒の儀】よりケルピーの薬で妥協されたということは、もしかするとこの上なく残酷な仕打ちになるかも知れない。それが分かっていて、僕は敢行した。とんでもないエゴであることは自覚している。それでも、フィオラさんがあの神異と言ってもいい秘術で自分の生命を危険に晒すことを良しとする気にはならなかった。


 彼女は、僕の掛け替えのない仲間のひとりだ。


 物事の優先順位と、時には一方の為に他方を切り捨てる勇気。今の僕なら、それらの大事さも理解出来る。フィオラさんを喪わない為に、ドニー・アリッサ夫妻の犠牲が必要だと言うなら――


「ふう……。ご清聴、ありがとうございました!」


 暗い情念に傾きかけていた心を、フィオラさんの快活な声が引き戻した。マンドリンを膝に起き、詩を歌い上げた喜びに咲く彼女の笑顔は、僕の心に生じた陰をたちどころに払うくらい明るく眩しいものだ。


「お疲れ様、とても良かったよ」


 拍手と共に声を掛けると、フィオラさんは「えへへー」とはにかみながら僕に手を振ってくれた。コバやナンジュさんも、惚れ惚れとした様子でフィオラさんに拍手を送っている。サーシャも『ひゅーひゅー! さっすがフィオラさん!』と僕にしか聴こえない喝采を飛ばしていた。


「お見事でした、フィオラ殿。素晴らしい詩に吟唱ですね。一曲だけと言わず、もっと歌っていただいてもよろしくて?」


 同じように拍手と微笑みを送りながらも、イルテナさんは何処か抑揚の無い声でフィオラさんに更なるリクエストをした。


「お安い御用ですっ! 公爵様直々のご要望とあらば、いくらでも歌っちゃいますよ~!」


「良いお心がけです。では続けて二、三曲程お願いします。途中で止めず、最後まで一途に歌い上げて下さいまし」


「わっかりました! では次の詩は――」


 フィオラさんはイルテナさんの言葉を全く疑うことなく、再びマンドリンの弦を掻き鳴らして新たな詩を高らかに歌い始めた。歌詞からして、今度は特定個人の英雄譚のようだ。


「少しよろしくて?」


 いつの間にかイルテナさんが僕との距離を詰めてきていた。顔を寄せ、さっきよりも小声で僕に話しかけてくる。


「これで外に聴かれる心配はございません。貴方と、折り入って話が出来ますわ」


 ……なるほど、これが本命か。イルテナさんの意図を理解した僕は、彼女が何を話そうとしているのかを考えて身構えた。

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