第二百二十八話
「ヴェイグ――!」
さっと身構える僕を制するように、イルテナさんがすっと僕とヴェイグの間に割り込んだ。
「あらあら、当てずっぽうでしたのに存外正直にお答え下さいますのね。隠密を束ねる者として、少々思慮に欠けているのではなくて?」
「ほう、随分殺気の研ぎ澄まされた当てずっぽうもあったものだ。女狐だけに、人をだまくらかすのは得意と見える」
「これでも舌を打ちたい気分ですのよ。囚われの身とはいえ、敵将の前でこちらの手の内を明かしてしまったことに」
「“キレク・ナサの水精血脈”と言えば、ソラスの土地にも鳴り響いた名だ。今更だろう」
「風聞と実物とでは話が違いましてよ。オーク十二将に上り詰めたシャープ・オークが、あっさりとこのように組み伏せられていることからも分かることです」
「抜かせ、勝負は時の運だ」
「貴方が信仰する武神とやらも、そう教えているのですか?」
「デューム――デム・ヨロムは果敢に戦った者を例外なく祝福する、結果は問わない。実に分かりやすく、それ故に貴い御方なのだ。貴様らが崇める三女神などと違ってな」
「その有様で仰られても、滑稽にしか聴こえませんわね」
「精々そうやって見下しているが良い。高所にかじりつく者に、足元は見えん」
憮然とした様子で、ヴェイグはイルテナさんを睨みつけた。イルテナさんは勝ち誇ったように喉を鳴らして笑っているが、その目は全然笑っていない。口元を覆った扇子の上で、地面に縫い付けられているシャープ・オークの頭領を品定めするかのように冷徹な視線が真っ直ぐ伸びている。
僕は迷った。ヴェイグには尋ねたいことが山程あるが、ここで口を挟んでも良いものかどうか。注意深くイルテナさんの様子を窺うと、果たして彼女はこちらへ意味深な目配せを送ってきた。
――貴方は黙っていなさい。イルテナさんの発する雰囲気から彼女の意図をそう判断し、僕は口を噤んでただ成り行きを見守ることにした。
「さて、貴方には答えて頂かなくてはならないことが数多くあります。今のように、正直にお答えなさった方が身のためでしてよ。これは最初に言っておきますわ」
「はて? これは意外だな、賢明な女公爵ともあろうものが自ら尋問を行うのか? それもこんな場所で。情報を訊き出すには些か危うい状況と思うがな」
「ダナンの貴族は、必要とあらば自ら動くことを厭わないものですよ。そこに男も女も関係無く。それとも、オーク十二将がこのような醜態を晒しているところを衆目に晒される方がお好みかしら?」
「それは困るな。名は上げたいが、汚名は御免だ」
「ならば、今此処で末期の進退を慎重にお決めなさい。貴方の態度次第では、武人として名誉の死をこの場で授けることも考えましょう」
「裁判を経ずにか? それに、死の可能性をチラつかせて素直に頷くとでも?」
「我が館は我が領土も同じ、今宵此処で起きたことの始末は全て私の裁量に委ねられます。生まれついての戦士たるオークの殿方に敬意を払っているからこそ、このように申し渡しておるのです。戦士とは、生命以上に名を惜しむもの。ましてや、オーク十二将の旗印を背負う者ともあれば」
「フッ、大したタマだ。人間にしておくには惜しい」
「お生憎様、人間であることを恥じたことも悔やんだこともございませんわ」
これが、多くの同胞を率いる立場に居る者同士のやり取りというものだろうか。イルテナさんもヴェイグも、不敵な姿勢を一切崩さないまま淡々とリズミカルな応酬を繰り返している。二人の会話がどこまで本心から交わされているものか分からないが、少なくとも言葉の端々から相手に付け入る隙は与えないという断固たる意志はひしひしと伝わってきた。僕は固唾を呑んで事の成り行きを見守るばかりだ。
「そろそろ良いでしょう。自らが置かれた状況と、取り得る選択肢については重々ご承知頂けたものと見なします。ではヴェイグ殿、心して我が問いに答えなさい」
潮時と見たのか、イルテナさんは姿勢を改めて切り出した。
「我が館へ、何の目的があって侵入したのです?」
それに対するヴェイグの答えは、嘲笑と共に返ってきた。
「何の目的か、だと? 随分と悠長なんだな。お前達、ダナンの人間族はいつもそうだ。足元に火が迫っているというのに対応が遅い」
「まだ無駄口を続けるのですか? 私は一向に構いませんよ。時と場所を改めて続きをするのも面白いかも知れませんし」
「そういうことを言っているのでは無いのだよ。お前達のその甘さが、お前達自身を滅ぼす毒になると忠告してやっているのだ」
「おやまぁ、何故そのように断言出来るのです?」
ヴェイグは嘲笑が更に大きくなる。
「マグ・トレドを竜に焼かれ、盗賊に北の領域を荒らされ、あまつさえ俺のようなオークの侵入をも許した。傍証はたくさんある。俺が保証してやろう、お前達では滅びを退けることは出来ない」
“滅び”――。ヴェイグの口にした単語に、僕は寒気を覚えた。脅しやハッタリでは無い、と直感が告げている。
「それはどういう――!」
「随分な自信ですのね。こうして囚われの身になっている貴方がいくら吠えようと、悪あがきの与太話にしかなりませんよ。そのようなものに、私達が恐れ慄くとでも?」
割り込もうとした僕を、イルテナさんの強まった語気が遮った。
「じきに分かる。もう車輪は坂を転がり出したのだよ。止めることも、進みを遅らせることも叶わん」
ヴェイグは一度目を閉じ、満足げな笑みを口元に浮かべてから再度僕達を嘲りの眼差しで見た。
「こうしてべらべら喋ってやっているのは、そこの“渡り人”と“鉄火の騎士”に対する礼を尽くそうと思ったからだ。俺を制したその二人には、それだけの価値と資格がある。実に見事な戦いであった。生涯最後の戦いとしては些か不満が残るが、その相手がお前達で良かった。我らが神も喜んでおられるだろう」
「最後……!?」
僕の脳裏に、先程自害した彼の部下達がよぎった。やはり、彼も……!
「ぐふっ……!」
ヴェイグがえずき、咳き込んだ口元から赤い筋が垂れる。
「俺は、ここまで来れたことに……後悔は、していない……。シャープ・オークの長として、最後まで……!」
どんどん苦痛が増しているのか、言葉も途切れ途切れにヴェイグは咳と吐血を繰り返す。
「く、はは……っ! ダナンの、者共よ……! せいぜい、心しておけ……! 裁定の、日は……まもなく、訪れる……! この都が、焼け野原になる瞬間を……その目で……!」
赤紫の肌から生気が褪せ、ガクガクと痙攣を繰り返す。しかしながら、その目だけはしっかりと僕達に向けられ、狂気と喜悦を色濃く残してギラギラと光っていた。
「全ては……! デュームが、導き……! 我が種の、みらいの……た、め……っ!」
一際強く見開かれたヴェイグの目が、カッと天を睨んだ。その刹那――
光が奔り、苦悶の声が唐突に止んだ。
「事切れる瞬間まで、苦しみ続けることはありません」
水を打ったような静けさを破ったのは、感情を一切波立たせていないイルテナさんの言葉だった。
ヴェイグに向けてかざされた手の先で、霧状のケルピーが空気に溶け込むように消える。
僕は目線を下に下げた。鼻をつくのは、一層と強まった血の臭い。
胴から解き放たれたヴェイグの首が、ごろりと横倒しになっていた。
闇に堕ちたその眼差しは、依然変わらずに虚空を睨みつけている。
「お~い! 此処に居たのかい、やっと見つけたよ~!」
遠くからブリアンの声が聴こえてきたのは、その直後だった。




