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竜の階  作者: ムルコラカ
第六章 ブルーナボーナ家の誘い
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第二百二十二話

 八方に飛び散った火花によって俄に明るく照らし出された食堂内。


 その中央で佇む孤影は、まさに二本脚で立つ狼と言うべき存在。


 それはまさに、僕の居た世界でもポピュラーな怪異伝説として名高い、あの狼男ウルフマンそのものだった。


「……二人だけ、か。俺を追ってきたのは」


 赤い輝きを纏う両目を油断なく辺りに走らせながら、その狼男は追跡者の人数を確認する。今、僕とローリスさんは彼を挟んで前後に立っている形になっている。人数的にも位置取り的にも向こうにとって不利に違いないが、狼男に焦った様子は見えない。


「あなたは何者なんです? 何の目的で此処に居るんですか?」


 僕は決してそいつの動きから意識を逸らさず、努めて抑揚を排した声で語りかけた。相手の意図を探りたいのは勿論だが、あわよくば長話に持ち込みたいという狙いがあってのことだ。会話で時間を稼げば稼ぐほど、こちらが有利になる。


 僕の目論見を看破したように、狼男が鼻を鳴らした。


「素直に答えると思うか? 無駄なお喋りで時間を稼ごうとするな」


『あっさり読まれたね』


 サーシャの容赦ないツッコミが鼓膜に叩き込まれる。これまで出会ってきた敵が大体お喋り好きだっただけに、期待が外れたのは意外だった。


「だが、お前が何者かは分かった。それに免じてひとつだけ明かしてやる。俺は、端からお前に用は無い」


 そう言うと、狼男は身を屈めた。僕ははっとして小柄に手を伸ばそうとしたが、それよりも速くローリスさんが動いた。


「ラァッ!」


 狼男の斜め左後ろから剣を振り下ろすローリスさん。仕掛けるタイミングを見計らった、完璧な攻撃。狼男がどう躱そうと、ローリスさんの放った剣撃の軌道から逃れることは不可能に思えた。跳躍してその場から逃れようとすれば、振り下ろされた刃が容赦なくその身体に食い込むだろう。


「フッ――!」


 だが、狼男が見せた動きは意外なものだった。ローリスさんの攻撃から逃れようとするのではなく、逆に彼目掛けて振り返りざまに突っ込んだのだ。


「――!?」


 低くなった姿勢から繰り出される、バネのような突進。直前まで背面を向けていたことといい、ローリスさんの意表を衝くには十分だった。彼の剣は間合いを潰され、虚しく背中の毛を掠めただけに留まった。


「ぐぉっ!?」


 肩からのタックルをまともに受け、ローリスさんの足元が僅かに浮く。彼の懐に飛び込んだ狼男が、すかさず追撃に移る。大きな爪が映えるその腕をローリスさんの肩と胴体に押し当てて、そのまま一本背負いの要領で彼の身体を大きく回転させたのだ。


「ぁだっ!?」


 背中から床に叩き付けられ、苦悶の声を上げるローリスさん。その全てが、殆ど一瞬の出来事であったかのように僕の目の前で流れていった。


「ローリスさん!」


 床に倒れ伏す彼に一度だけ目線を送ってから、僕は狼男に向かって再度小柄を投擲する。サーシャも、目の前の出来事に心奪われることなく今度も風の力を添えてくれた。


「しつこい」


 だが、二度も同じ手が通用する程甘くは無かったようだ。狼男は、小柄の飛来を予期していたように余裕を持ってそれを躱した。半身になった彼の傍を、風を宿した小柄が虚しく通り過ぎてゆく。


「まだだ!」


 続けざま、僕は新たな印契を組んでそれを床に押し当てた。辺りの床石が割れて飛沫となり、意思を持ったように動き出して狼男へ殺到する。


 ――土魔法、石法執使せきほうしっし


 石に力を与え、意のままに操る魔法だ。


「小賢しい!」


 狼男は両脚を大きく開き、腰を落とした姿勢で上半身を大きく回した。逞しい胴体の動きに引っ張られて、彼の両腕が見事な半月を描く。


 同時に、凄まじい突風が発生して飛来する礫を全て吹き飛ばした。


「くっ!?」


 狼男の風起こしによって、僕とローリスさんもあおりを受ける。目を開けていられない程の風圧は、まるで台風のようだ。強すぎる風勢によって辺りの延焼が掻き消される。ガタガタガタ、と部屋中が軋むかのような音が僕の耳を打った。


『ナオル、今あたしが――!』


「ダメだ、それだと君が力を使いすぎる!」


 対抗としようとしたサーシャをすかさず制止した。確かに、サーシャの力ならこの暴風も打ち消せるだろう。だが、それは良くないと僕の直感が警告を発している。小柄に風を纏わせるくらいなら大した負担にはならないだろうが、それ以上はまずい。あまりサーシャに無理をさせたくない。


 程なく風が止み、僕は慎重に目を開けた。


 ……狼男の姿が無い。……いや!


 僕ははっとして上方に目を向ける。


「なるほど。火に土に、それと一応風の魔法も使えるか。だが、少なくとも風の練度は低いようだな。通暁していたなら、今のも難なく押し返していただろう」


 いつの間にそうなっていたのだろう。天井に、大貴族の家ならまずあり得ないだろうと思える物が存在している。


 床と同じく、綺麗に加工された石材の表面に伸びる、植物の根と思しき蔦状の有機物。まだらに広がるそれが天井を侵食しており、我が物顔に陣取ってあちこちで触手を波立たせている。火の明るさが消えて仄暗さを取り戻した部屋の中で、それは異様な陰のオブジェを形作っていた。


 その凹凸部に、狼男は器用に腕先の爪を引っ掛けてぶら下がっている。床から天井まで結構な高さがあるというのに、どうやって彼処まで昇ったというのか。まさかジャンプで、脚の力だけで?


「“渡り人”、いずれまた会おう」


 最後に捨て台詞を吐いて、狼男は天井の根を伝いながら瞬く間に窓へと進み、そこから外へ出た。


「っ!? まずい、逃げられる! ローリスさん、立てますか!?」


 呆気にとられていた僕はそこでようやく我に返り、床で蹲っているローリスさんを助け起こす。


「ああ、なんとかな。すまねえ、俺がしくじった」


 ローリスさんは素直に僕の手を借りつつ、後悔の滲む言葉を吐き出す。叩き付けられた時、咄嗟に受け身を取っていたのか思ったよりもダメージは少なそうだ。こういうところは流石だった。


「挽回しましょう! あいつの後を追うんです!」


「おうよ! ここまま引き下がれるかってんだ!」


 僕達は競うように入ってきた扉から部屋を飛び出し、再び廊下を走る。


「ナオル、まだあの野郎の気配は追えるな!?」


「大丈夫です、任せて下さい!」


 繰り返して言うが、任せるのは僕ではなくサーシャである。説明する時間が無いのでまだローリスさんには黙っているが。


『ナオル! 魔力の跡は辿れるけど、あいつの足は速いよ! このまま走っても追いつけない!』


「やれるところまでやろう! 僕達以外にも、ブリアンやイルテナさんが対策を講じてくれている筈だから!」


 懸念を口にするサーシャをそう言って励ます。僕よりも遥かに早く闖入者に気付いていたあの二人が、何もしていないわけが無い。余計なことは気にせず、僕達はただあの狼男を追えば良い。


 これも修行のお陰か、以前よりも落ち着いて考えを巡らすことが出来るようになっている気がする。心に余裕を持つというのは、こうしたことを意味していたのだろうか。


「しかしナオルよォ」


 走り続けながら、ローリスさんが懸念を含んだ口調で言った。


「お前、使える魔法の種類が増えたみてーで、それは良いことなんだが……ちと前より威力弱まってねーか?」


「ああ、それですか」


 彼の指摘はもっともだ。それは、僕も自覚していることだった。


「あの火球、前はワームの頭を半分消し飛ばすくらいに強かったと思うぞ。けどさっきみた限りじゃ、あの時程の力は無かったぜ」


「ご心配には及びませんよローリスさん。前より魔法の制御が出来るようになっただけです。今でも、出そうと思えばあの時と同じ威力は出せます。さっきのは敢えて、です。室内であれと同じことをやったら、流石に手の施しようがないくらいの大火事になってたでしょうから」


 そう、フヨウさんの教えで僕はようやく魔法の調節について学ぶことが出来たんだ。体内で生成される魔力の流れ、それを印契に適切な量だけ落とし込む方法というものを、《竜牙の塔》での生活でやっと理解した。腹式呼吸を駆使した細微な呼吸量の調整、丹田に意識を置いた思念の巡らせ方。今まで意識してこなかったところ、想像の及ばかなった領域に注意するようになって初めて、魔道士は魔法というものを本当に使役出来る。お陰で今は、魔法を使った反動に悩まされることも少なくなった。


「だから、安心して僕に背中を任せて下さい」


「けっ、本当に変わったな。もう一端の口を利けるようになりやがった」


 口ではつっけんどんに言いながらも、ローリスさんの声は何処か楽しそうに弾んでいた。


 目出度く懸念も解消されたところで、僕達は再び全意識を追跡に集中させる。


 相変わらず無人の邸内を、僕達はひたすらに駆け続けた。ブルーナボーナ家の本邸というだけあってやたらと広く、直角の曲がり角や回廊まであって自分が今何処にいるのか感覚が狂いそうだ。サーシャのガイドが無かったら間違いなく迷っていただろう。


 そう、迷子になる心配はしていない。しかし僕は、先程からずっとそれとは別の不安が心の中でどんどん膨らんでいた。


「……なあナオル、いくらなんでも静かすぎやしねェか?」


「同感ですローリスさん。いくら今夜が重要な祭りとはいえ、館の中にももうちょっと人が居そうなものですが」


 行けども行けども誰も居ないという状況に、ローリスさんも違和感を抑えきれなくなったようだ。これは一体どういうことだろう? イルテナさんが命じたのだろうか?


「おい、外だぜ」


 どうにか考えをまとめようとしていると、ローリスさんが警戒を滲ませた声でそう言った。直通の廊下の突き当りに開かれた扉があり、その先にはパーティ会場があったのとは別の庭先が続いている。扉に面した廊下は“T字”に分かれており、僕達が走っているこの通路とは別に左右に続く廊下があるようだ。


「裏口、でしょうか。あの狼男はこの先に……?」


『うん、魔力の跡はあの向こうに続いている。あいつは間違いなくあっちに逃げたよ』


 漏らした呟きをサーシャが拾って答えてくれた。


 あの狼男は間違いなくこの先に居る。しかし僕は、なんとも言えない嫌な感じを拭い去ることが出来なかった。


「ナオル、止まれ」


 ローリスさんの言葉に慌てて足を止めた。見ると、彼は既に剣を構えて険しくなった眼差しをT字の曲がり角に向けていた。


「サーシャ……?」


 小声で彼女に問うと、困惑した声が返ってくる。


『ううん、彼処に魔力の流れは見えない。空気に乱れも……いえ、待って』


 目には見えないが、サーシャが意識を集中して耳を澄ませていることは分かった。


『……微かだけど、いくつか不自然な動きがある。これ、多分呼吸だよ』


 固くなったサーシャの言葉に、僕は息を呑んだ。


 待ち伏せされている。侵入者はひとりでは無かったということだ。全く考えていなかったわけでは無いが、その可能性を念頭に入れてなかったのは否めない。


 サーシャが調べてくれたところでは、あのT字に潜んでいるのは魔道士では無い。ということは……


「気付かれたか。流石、たった七人で我々の網を破っただけのことはある」


 一度の、瞬きの合間。ただそれを挟んだだけで、目の前の光景に変化が起こった。


 開け放たれた扉を背にして僕達の前に立ちはだかる、見覚えのある影。


 赤紫の体色、スラリと伸びて引き締まった四肢、髪のない頭皮、下顎から伸びる二本の鋭い牙。


「赤枝の戦士じゃなかったことは残念だが、再び相見えることが出来て嬉しいぞマグ・トレドの一行」


 オーク族の亜種、力より技に長けるシャープ・オーク族の指導者、ヴェイグの残忍な笑みが僕の網膜に焼き付いた。

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