第二百十八話
王都ブルーナボーナ邸で開かれた《往蘇祭》を祝う夜会。星と雲を仰ぐ中庭で催されたそれは特に盛大なもので、メルエットさんの姿も確認出来た。
そして彼女が此処に居るということは、当然彼女専属の騎士である彼も同行しているというわけで。
「答えやがれ。テメェ、何者だ?」
仁王立ちでこちらを睨み付けるローリスさんは、腰に佩いた剣の柄に今にも手を伸ばさんとするかのように指先を震わせた。高まってゆく彼の闘気に合わせて二の腕から肩にかけて筋肉が膨張し、綺麗に整えられた礼服が悲鳴を上げるかのようにギチギチと張り詰めた音を立てる。
『あちゃ~、ローリスだ。どうするナオル、さっきみたいにこいつも大人しくさせる?』
それは無理だ、と心の中でサーシャに答える。さっきの一幕をローリスさんが見ていたのなら、同じ手はきっと通用しない。素振りを見せただけで、僕の魔法より先に彼の剣先がこちらに届くだろう。
仕方無い。元々、こんな女装までして夜会に行くのは嫌だったんだ。ローリスさん相手になら、別に正体を明かしても構わないだろう。
「お久しぶりです、ローリスさん。今日は相棒の《トレング》は持ってきてないんですか?」
ドレスの裾を離して微かに微笑みかける僕の顔を、ローリスさんはキョトンとした顔で見つめた。
「テメェ……! まさか、ナオルか!? なんでそんな恰好で……!? まさか、そういう趣味が……!?」
「違いますっ! あ~、これには事情がありまして。取り敢えず正体を隠すためにやらされているんです」
とんでもない誤解が生じようとするのを防ぐため、僕は手短に事情を説明した。
「……そういうことかい。お前もなんていうか、色々と大変なんだな」
げっそりした顔で深い溜息を漏らすローリスさん。彼の内心を、僕もすぐに察した。きっと今も、イザベルさんに厳しく指導され続けているのだろう。
「けどよ、お前その服中々似合ってるじゃねェかよ。案外、女形として食っていけるんじゃねェの?」
「やめてくださいよ、そんなおぞましい想像するのは……。こうしている今も着心地が悪くて仕方無いんです。本音を言えばさっさと着替えたい気分ですよ」
一転して愉快そうにからかってくる彼に、今度は僕がげっそりする番だった。この揶揄を含んだ軽口、きっとマルヴァスさんの影響を受けているに違いない。そう言ったらローリスさんはきっと怒ると思うけど。
「それよりも、メルエットさんはどうしました? さっき彼女の姿を見かけました。今は一緒じゃないみたいですが」
「おう、お嬢様なら少し席を外されてるぜ。俺もしばらく自由にして良いってんで、こうしてぶらぶらさせてもらってんのさ。ちなみに《トレング》は館に置いてきた。流石に今夜の夜会にはダメって、あのクソば……イザベルさんがな。こんな礼装といい、窮屈ったら無いぜ」
ローリスさんは、相棒が傍に居ないことの手慰みをするように剣の柄を撫でた。
「おっと、今のはお嬢様には内緒で頼むぜ」
「分かってます。でも、席を外してるってメルエットさんは一体何をやってるんですか?」
「あ~……ほらあれだ。あの青二さ……王子さんだよ」
「えっ!?」
ドキリ、と胸に衝撃が走った。まさかメルエットさん、ブリアンと会っているのだろうか?
「それって、まさかあの……」
直接口にするのは憚られて言葉を濁すが、ローリスさんは察してくれたように頷いた。
だが、直後に彼の口から出た言葉は予想と少し異なっていた。
「ああ、例の第二王子だ。あの大人気のラセラン殿下が、お嬢様と二人きりになりたがったんだ」
「ラセランさん!?」
実に意外だった。ブリアンの名前が出るかと思ったら、弟の方だったのだ。考えみれば当然だが、彼もこの夜会に招待されていたということか。
「で、でもなんで、ラセランさんがメルエットさんを!?」
「こないだの謁見の時の様子を見ただろ? あいつ、お嬢様に惚れてやがるぜ」
ガツン、と頭を殴られたかのような感覚だった。もしそれが本当だとしたら、なんという皮肉なめぐり合わせだろうか。
元々メルエットさんは、第一王子派の父イーグルアイズ卿の意を受けてブリアン王子に近付こうとしていた。それが事もあろうに、対立先の旗頭であるラセラン王子に見初められるなんて。
思い返してみれば、あのレバレン峡谷で出会った時からずっとラセラン王子はメルエットさんを気にかけていた。憶測に過ぎないが、もしかしたら一目惚れに近いものがあったのかも知れない。
「おい、どうしたよナオル? 急に黙りやがって」
「……いえ、何でもありません。それよりもローリスさん、ご存知だったらで良いんですが“白燈籠”を作れる場所って何処でしょうか?」
メルエットさんのことは気になるが、今の僕にはどうしようも無い。それよりも、ブリアンと合流する前に“白燈籠”のひとつでも仕上げておくべきだろう。
「ああ、そういやそんなこともやるんだったな。俺としちゃ別にどうでも良いんだが、一応参加しておかないとマズいよなやっぱ。付いて来な、場所は知ってるから案内してやるよ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
気さくに案内を買って出てくれたローリスさん。この二ヶ月で彼も随分と丸くなったようだ。
『ナオル、良いの?』
何が、とは訊き返さず、僕はサーシャの声に黙って頷いた。
◆◆◆
“白燈籠”制作場は、会場の端の方に目立たない形で用意されていた。
「建前上では、それぞれの館から自前で用意して持ち寄ることになってるんだと。んでも実際にゃそうした決まりを律儀に守るヤツは少なくて、大抵の参加者は此処を利用するそうだ」
ひらひらした白い布切れを不器用に手で弄びながら、ローリスさんは制作場の意義を説明してくれた。
「メルエットさんは元から作ってきたんですか?」
木枠を組み立てつつ、僕は彼と会話を続けた。用意された木片にはそれぞれ一部に切れ込みが入れられており、何処とどう組み合わせれば良いのか分かりやすい。燈籠に張る白布から作ろうとしているローリスさんを尻目に、僕の方は大体土台まで完成していた。
「おうよ、お嬢様はちゃんと予め用意なさっていた。俺も作っておくよう、イザベルさんから言われてたんだが……」
「忘れてたんですね?」
「い、いや、違ェよ!? そんなセコセコしたことさせられるくらいなら、マルヴァスやフォトラ相手に模擬戦でもしてた方がずっとマシだと思ったとか、そういうんじゃねェぞ!?」
「へぇ~、マルヴァスさん達との手合わせに明け暮れてたんですか」
「だから違ェって!?」
あたふたと狼狽しながら否定するローリスさんがおかしいのか、サーシャが『くすくす』と声を殺して笑っている。そんなことをしなくても彼には聴こえないのだが、なんとなく気持ちは分かった。
「ちなみに、誰が一番多く勝ちを収めたんです?」
「へっ、そりゃあもちろんこの俺……ぐっ!?」
「ローリスさん、バレバレですって。別にイザベルさんに告げ口したりしませんから、誤魔化そうとかしなくていいですよ」
「うぐぐ……! ちくしょう、やっぱ慣れねェことはするもんじゃねェな」
「でも、凄いじゃないですか。マルヴァスさんやフォトラさんを抑えて一位だったんでしょ? 流石ローリスさんだ」
「いや、まともに受け取られても困るんだけどよ……」
ローリスさんはそこで一際大きな溜息を吐いた。
「白状するとよ、一番勝ってたのはマルヴァスだぜ。あの野郎、最近になってますます技のキレが上がってやがる。ムカつくことこの上ねェけど、気づいたら小手だの脛だのに一本貰ってることが多かったんだ」
「マルヴァスさんが……」
恐らくそれは、彼の兄アグリスさんが原因だろう。
王宮の地下ダンジョンでマルヴァスさんは彼と戦い、手も足も出ずに終始劣勢に立たされた。アグリスさん、ひいては実家のレインフォール家が第二王子派であり、明確に第一王子ブリアンの生命を狙っていることが判明した今、マルヴァスさんは自分の強さに磨きをかけることを一層強く決意したのだろう。
「マルヴァスだけじゃなく、フォトラも日を追うごとにどんどん手強くなってきやがったな。心なしか、妹への鉄拳制裁も前より素早くなってたような気がするぜ」
「ははは、あの二人は相変わらずですね」
フォトラさんもフォトラさんで、きっと思うところがあったのだろう。よく似た容姿を持ちながらも性格は正反対な双子の妹の顔が、僕の脳裏にちらついた。
「そのフィオラさんは最近どうです? お兄さんに制裁される以外は、新しい曲でも作ってたりしますか?」
「ああ、マンドリン弾きながら歌ってるところは良く見るな。だがそれよりも、あいつはロスマンの妻のところに足繁く通ってるみてェだぜ」
和やかな空気が俄に張り詰める。ロスマンという名前を口にしたローリスさんも、苦い表情になっていた。
ドニー・ロスマン。三ヶ月前まで、イーグルアイズ家の酒蔵管理人を務めていた人だ。実直な使用人として主家からの信用が篤い人だったが、ミアの謀略に乗せられて主家を裏切るという大罪を犯した。
「……ドニーさんの奥さんは、どうですか?」
「知らねえ。フィオラは何も言わねェし、俺もあえて聴きたい話じゃねェからな。ただ、ロスマンの家に行くときのあいつは必ずマンドリンを携えていた。多分、歌でも聴かせてやってたんじゃねェかな」
ドニーさんの妻であるアリッサさんは、不治の病に冒され余命幾ばくもないと言われている人だ。そこに付け込んだミアの甘言を、ドニーさんは信じてしまった。妻を救える手立てが尽きた後となっては、藁をも掴む想いだっただろう。
事件後、ドニーさんは罪人として王都郊外にある採石場へ送られた。いわゆる懲役刑だ。執行猶予付き死刑となったミアに比べれば(この“執行猶予”という部分が中々に曲者なのだが)、字面の上では軽い罰だと言えるかも知れない。しかし病身の妻を置いて、ひとり服役囚として僻地に行かなければならなくなった彼の身を思うと忸怩たるものがある。愛する伴侶の最期の日々に、もう彼は寄り添ってやれないのだ。
フィオラさんは、そうした彼らの心情を出来る限り汲もうとしているに違いない。事件に巻き込まれた被害者のひとりだが、彼女はドニーさんを責める言葉は一言も吐かなかった。モルン村で疲弊した村人達の家々を巡っていたように、せめて自身の奏でる音楽でアリッサさんを慰めようとしているのだろう。
『ナオル、手が止まってるよ』
サーシャに促され、物思いに沈んでいた僕はふと我に返る。見ると、いつの間にかローリスさんは殆ど“白燈籠”を作り終えていた。
「ま、ロスマンの野郎はともかく妻の方は気の毒だ。せめて安らかに逝けるよう、ついでに祈っといてやろうぜ」
「そう、ですね」
ぎこちなく、歯切れの悪い返事をして僕も自分の“白燈籠”作りに集中するのだった。