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竜の階  作者: ムルコラカ
第六章 ブルーナボーナ家の誘い
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第二百十七話

 ブルーナボーナ家本邸で催される《往蘇節》の夜会。その発案人であり主催者でもあるイルテナさんが、威儀に満ちた佇まいで僕とブリアンを正面から見据えている。


 彼女の放つ静かな迫力に、自然と気圧されそうになる自分がいた。謁見の日に、魔法の鏡越しにその姿と声を拝んだことはあるが、こうして実際に相対してみるとあの時の比じゃない存在感を覚えて呼吸が早まる。僕は肚に力を込め、スカートの中で両足を踏ん張ってその威圧感に耐えた。


「今夜の招待、まずはお礼を言っておくよ。キミの心尽くしにはつくづく頭が下がる思いさ」


「謀反人の討伐は喫緊の大事。ヒルクノール卿のカリガ平定を大々的に祝い、その功績を広く知らしめるのは当然の義務ですわ」


「そだね~。惜しむらくは、モントリオーネを生かしたまま王都に連行出来なかったことだけど」


「生死を分かつは戦場の定め。貴族として恥じぬ最期を選ぶ機会もあったでしょうに、それを拒んで戦塵に塗れた死を取ったのはカリガ伯ご自身です。彼が討たれたことで、オークどもの企みも完全に頓挫したことは疑いようもありませんわ」


 カリガ伯トレヴァー・モントリオーネ卿は、本拠地が陥落したのと同日に自害して果てたと聴いている。


 本来であれば彼を降伏させて王都まで護送し、正規の法の手続きに則った上で然るべき裁きを受けさせなければならなかった。カリガの街に立て籠もり、最後まで頑強に抵抗したあの食えない伯爵は、生きて名誉の死を遂げるよりも身勝手極まる自裁を選んだのだ。彼と手を組んでいたオーク達も、その大半はモントリオーネ卿と運命を共にしたようだが、肝心の将帥レブの死は確認されなかった。加えて、あのヨルガンも行方がようとして知れない。


 ヒルクノール卿のカリガ平定は、会心の成果を上げたとは言い難いだろう。


 それでも尚、イルテナさんは“謀反の目を摘んだ”という部分を大々的に喧伝して今夜のパーティを計画した。人心を安定させることが目的だというのは察しがつくが、彼女自身は問題の本質をきちんと理解しているだろうか?


「まあ、そういうことにしておくよ。この場ではね」


 声を落として笑いかけるブリアンを、イルテナさんはニコリともせずに見返している。


「今宵は死者の魂が還る《往蘇節》。この一年で散った生命を慰める日。我が邸宅において遍く遺徳を褒め称え、朝野に眠る細雪を愛でましょう。殿下におかれましても、どうかそのおつもりで」


「りょーかい。夜露の玉はつららなりし、ってね」


 イルテナさんはブリアンに向かってお辞儀をしながらスカートの裾を広げて見せると、そのまま会場の中へと向かっていった。その後姿を見送りながら僕は首を傾げた。


「今のはどういう意味です? 細雪とか、夜露とか」


「お、ちゃんと引っかかりを覚えたね。偉いぞ~」


 ブリアンが背を伸ばして僕の頭を撫でた。ウィッグがずれないように優しく、だけど。


「やめてください。それより、どういうことなんですか?」


「後で分かるさ。それよりも今はこの催しを楽しもう。キミもキミで、色々と偲びたい人が居ると思うからね」


 意味深にウインクをすると、ブリアンはずっと掴んでいた(イルテナさんと話している間も、ずっと)僕の手を離してくるりと背を向けた。


「しばらく別行動にしよう。僕はちょいと遊んでくる。合流するときはこちらから声を掛けるから、キミも自由に過ごすと良い」


「え? いや、ちょっと……!」


 こんな場所にこんな恰好の僕をひとり残して行かないで! ……そう言って引き留めようとしたけれど、既にブリアンはイルテナさんの後を追うように人混みの中に紛れ込んでしまっていた。なんというフットワークの軽さだ。


「うわぁ、どうしよう……?」


 まるで大海の中に投げ込まれたかのような不安が心の中で一気に広がる。貴族令嬢の恰好をさせられた上に、人で溢れ返るパーティのど真ん中に放置されるなんてどんな辱めだ。


『まあまあナオル、こうなったからには仕方無いって。頭を切り替えて、あたし達も楽しもうよ!』


 サーシャの楽しそうな声が耳元で弾む。彼女の存在だけが唯一の慰めだった。


「う~ん、それもそうだね。サーシャ、何か見たいものとかある?」


『全部! この会場を隅から隅まで見てみたい!』


 単純明快な答えだった。庶民だったサーシャにとって、貴族の催しは如何にも物珍しいのだろう。かくいう僕にも、そういう気持ちは多少ある。


 それに、今夜は死者の魂が現世に還る《往蘇節》という特別な日。サーシャがマグ・トレドの惨劇で生命を落としていることを思えば、僕個人にとっても今日という日がとりわけ重要な意味を持つ。《棕櫚の翼》による犠牲者達も、王都までの旅路で喪った仲間達も、等しくこの世界に戻ってきているに違いない。彼らの魂を悼み、祈りを捧げるのは僕の義務だ。


「それじゃあ、“白燈籠”を作っている場所を探そうか。僕もひとつ作ってみたいんだ」


『あっ、私のために用意してくれるの? ふふっ、嬉しいな。ありがとうナオル」


 僕の意図を察したサーシャが本当に嬉しそうな声を漏らす。


 “白燈籠”とは、その名の通り四方を白い布で覆って長方形の形に整えた手製の燈籠だ。イメージとしては、燈籠流しで川に流すあれに造形も意味も近い。此処に来る途中の馬車から見た街中の様子でも、そうした白燈籠を軒先に吊るした家々がいくつも連なっていた。あの燈籠が、死者の魂を導く道しるべになるのだという。ハロウィンで例えるなら、ジャック・オー・ランタンだ(あれの起源は元々恐ろしいものだったらしいが)。


 今夜のパーティが名目上とは言え《往蘇節》の為に用意されたものなら、会場の何処かでそうした白燈籠を作っている場所がある筈。ブリアンから聴いたところでは、燈籠作りは貴族も平民も区別なく自分の手でやるものらしいから、此処にだってきっとある。


 僕は不慣れな靴に悪戦苦闘しながら、スカートの裾を少しだけたくし上げて会場を巡った。


『わっ! 凄い料理、それに高そうなお酒……! こんな贅沢、私だったら想像もつかないよ!』


『あっ! 見てナオル、あそこで何か絵を描いてる! 有名な画家なのかな? どんなの描いてるかちょっと覗いていこうよ!』


『おー、楽器を持った人がたくさん居る! 吟遊詩人? ううん、あれってただ奏でているだけだよね。音楽だけっていうのは珍しいな、でも良い音色だね!』


 この場に存在するありとあらゆるものから新鮮な刺激を受けているようで、サーシャはすぐに興奮の極みに達した。庶民だった彼女には想像もつかないような豪華絢爛さに酔ってしまっているのかも知れない。まるでフィオラさんみたいに次々と繰り出されるお喋りに、僕は苦笑いを浮かべながらも相槌を打つ。サーシャが喜んでくれるならこっちとしても嬉しい限り、こんな女装までした甲斐があったというものだ。


 ……そう、思っていたんだけどな。


「失礼、貴女は先程殿下と一緒に居られたご令嬢ですな?」


「殿下のお姿が見当たりませんが、如何なされましたか?」


「こうしてお近付きになれたのも何かの縁。宜しければ、少々お時間をいただけませんかな?」


 寸刻後、僕はすっかり貴族達に周囲を囲まれてしまっていた。


 ブリアンと別れてひとりで歩いているところを気付かれて、そのままなし崩し的にどんどん皆が集まってしまったのだ。第一王子が手ずからエスコートしていた女性に、誰もが興味津々といった様子を隠さなかった。嗜めるブリアンも、今は居ない。


『あちゃ~……これはちょっとまずいかもね、ナオル』


「…………」


 貴族達の発言を聞き流し、サーシャの声を片耳で聴きながら、僕は内心でひたすらブリアンに毒づいていた。


 正体がバレないようにって女装させた癖に、僕を放置してどっか行くなんてどう考えてもおかしい。一体何を考えているんだ? それとも、ここらで修行の成果を見せろとでも言いたいのか? こんな状況くらい、ひとりで切り抜けてみせろと?


 ブリアンなら、有り得そうな話だった。


「……はぁ」


 仕方無い、お望み通りにするとしますか。僕を取り囲む貴族達、彼らを煙に巻いてこの場を逃れる方法も、無いわけでは無い。これも実践ということで、ひとつやってみよう。


 肚を決め、僕は俯きながら密かに両手の指を合わせた。


『手を貸そうか?』


「いや、いい。自分だけでやってみる」


 サーシャの申し出をやんわりと断り、僕は印契を完成させて魔法を発動する。


 ――水の魔法、“隔意の霧壁”。


「おや、なんだ……?」


 僕を取り囲んでいた貴族達から困惑の声があがる。それを聴いて、僕は心の中だけで舌打ちした。本来なら、発動したことすら気付かれない術だ。おかしいと気取られたということは、まだ練度が未熟だという証左だった。


 立ち所に出現して辺りを満たしたのは、灰白色を纏った濃厚な霧だ。それはどよめく群衆をたちまちの内に包み込み、彼らの耳目にそっと触れる。途端に彼らの顔から表情が消え、肩から力が抜ける。たった今まで起きていた喧騒が嘘のように、僕の周りから音が消えた。


「ごめんなさい、今夜は他に用があるのです。また次の機会にお話しをしましょう」


 念のために裏声でしなを作って、僕は貴族達に別れを告げる。生気を失った瞳をした彼らが一様に頷くのを確認してから、そっとその場を後にした。追いかけてくる足音は、ひとつも無かった。


『やったねナオル、でもあの人達大丈夫かな?』


「問題無いよ、二分と経たずに元に戻るから。サーシャも僕の修行を見ていたんだし、分かってるだろ?」


 静まり返った背後の様子を後ろ髪引かれるように気にするサーシャを、僕はそう言って安心させる。


 今使った魔法、“隔意の霧壁”とはそういうものだ。大気中の水分から発生させた魔法の霧には、術者以外の生物に軽い認識阻害を引き起こす効果が付与されており、包まれた者をある種の催眠状態に置くことが出来る。僕が今しがた作った霧は肉眼で視認出来るくらい白く濃いものだったが、熟練者であれば殆ど目視出来ない薄い霧で相手に気付かれる暇さえ与えずに術中に引き込めるという。


 包囲からの脱出という点では成功したものの、まだまだ課題は多い。足早に会場から遠ざかる傍らで、僕は今後の改善点を頭の中でピックアップした。


「――待ちな」


 中庭に面するコの字廊下に上がろうとした時、全く意図しない方向からドスの利いた声を浴びせられる。


 ギクリとして立ち止まった僕の眼前に、筋骨隆々の大柄な体躯を窮屈そうに礼服に押し込んだ奇妙な出で立ちの大男が立ちはだかった。


 はて誰だったかと一瞬考えたが、すぐに気付く。気取った服装にはまだ見慣れないけれど、僕やサーシャのよく知った顔がそこにあった。


「テメェ、何者だ? さっきのは魔法か? 一体何を企んでやがる?」


 警戒心を剥き出しにこちらを睨み付けてくる。彼の放つ威圧感を正面から浴びるのは、実に久しぶりの感覚だった。


「全部洗いざらい話しやがれ、さもないと容赦はしねェぜ」


 以前よりも腰が据わり、余裕と貫禄を感じさせるようになったローリスさんがそこに居た。

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