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竜の階  作者: ムルコラカ
第六章 ブルーナボーナ家の誘い
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第二百十三話

新章開幕です!

 暗く、静謐な空間に自分の心音だけがやけに大きく鳴り響く。


 正座した床の上は固く、冷たく、折りたたんだ脚を通して全身に上ってくるその感覚が、僕の頭に湧いてくる雑念を次第に鎮めてゆく。


「深く息を吸い、吐いてみよ」


 暗闇の何処かからフヨウさんの声が聴こえた。僕はその指示に従い、鼻から大きく空気を吸い込んで体内に送り込む。取り込まれた外気が身体の隅々まで行き渡ったかと思うと、代わりに体内で澱んだ悪い空気が逃げ場を求めて暴れ始めた。腹の底から押し出すようにそれを吐き出す。


 二酸化炭素と一緒に、精神を侵す邪気までもが一緒に排出されてゆくような気がした。


「心を鎮め、波が立たぬように。己を解放し、ただ委ねよ。眠る時と同じように、夢を見る時のように」


 フヨウさんの言葉が、虚空に滲んでいくような気がした。意識が遠く、身体が何処かへ引っ張られるような感覚がする。錯覚だ、と頭では理解する。しかし僕は、それに抗おうとは思わない。むしろ、待ち望んでいた瞬間だ。


 嬉しさのあまり、心が乱れかける。途端に、引っ張られる感覚が弱まり、自意識が戻ってくる。いけない、心を無に近付けなければ……!


 再び深呼吸し、生まれた感情を消そうと試みる。言うのは容易いが、実行は簡単じゃない。一度生まれた感情を即座にコントロールするのは至難の業だ。最初の頃は、何度やろうとしても失敗した。


 それでも、このニヶ月の間で随分と慣れてきた筈だ。初めの内はフヨウさんが作る特殊な香料に頼っていたが、それももう必要ない。


 自力で、出来る筈だ。


 深く、そして規則正しい呼吸を一心不乱に繰り返す。何度か続ける内に、段々と気持ちが凪いでくる。すーっと、頭の中にある意識が遠ざかり、心と身体が切り離されてゆくような感覚が強まり始める。例えて言うなら、寝入ってしまう直前の気怠さに近い。


 同時に、潮が満ちるように“あの気配”が高まってくるのが感じられた。逸りそうになる気持ちを心の奥底に押し込めて、その気配が更に膨らむのをじっと待った。


 閉じた瞼の裏に、白く立ち上る光がある。頃合いだ。


「――感応せよ、我が精神こころ


 ささやくように、そう唱えた。


 たちまち、瞼の裏の光が爆ぜて網膜を覆い尽くした。目を開けても、その昂然とした白さは少しも衰えない。白一色に染められた空間で、気づくと僕の身体は浮遊していた。


 自分の両手を持ち上げて今の状態を確認したのとほぼ同時に、周囲の空間を支配していた白光が急速にある一点めがけて収束してゆく。その一点とは、僕の目の前に他ならない。


 集った光が別の形を刻んでゆく様を目の当たりにして、自分の唇が緩むのが分かった。


『――こんにちは、ナオル。あたしの声、聴こえてる? 姿は? 何処か変なところとか無いかな?』


 僕はしっかりと頷いて、彼女に答えた。


「ああ、ちゃんと見えてるし聴こえてるよ。僕が知っている君のままだ。こんにちは、サーシャ」


 サーシャが、嬉しそうに微笑んだ。


「具合はどう?」


『またそれ訊く? 大分良くなってきたってこないだ言ったじゃん。もう風を操っても問題無いくらいだよ、ほら』


 サーシャが、思念で顕現させた自分の身体をくるりと見回して屈託のない笑みを浮かべる。それを見て、さっきまでの緊張がたちどころに解されていく。


「何度もごめんよ。どうしても気になっちゃうものだからさ」


『あはは、まあナオルの気持ちも分かるけどね。あの鉄仮面から逃げる時に力を使い果たしちゃった所為で、しばらくは夢に干渉することすら出来なかったんだから』


 一度苦笑い気味に眉を下げた後、サーシャは慈しむような目を僕に向けた。


『でも、こうしてナオルの方から会いに来てくれた』


「うん。フヨウさんから教わった精霊感応の術も、段々上達してきたって実感があるよ。お陰で、こうして君と話していられる」


 僕の身柄がフヨウさん預かり、そして《竜牙の塔》に正式所属ということが決定されてからというもの、僕は彼女の下でひたすら魔法の修練に明け暮れる日々を送っていた。


 まずはなんと言っても、鉄仮面の事件以来音沙汰が無かったサーシャの安否を確かめるのが第一の目標となった。このニヶ月間、政治的なあれこれから切り離された環境で僕は余念を打ち払い、懸命に学習に打ち込んだ。


 フヨウさんから「そなたの精霊は消滅してはおらん。力を使い果たし、休養しておるだけじゃ」と教えられ、こちらから精霊と接触する方法を伝授してもらった。『心身を解き放ち、空幻の域に近付けることで自意識を精霊の存在する位層に送り込む術』――有り体に言えば、意図的に望む夢を見ようとする方法を、僕はどうにか身につけようと努力した。


 当然のことながら、初めの内はさっぱり上手くいかなかった。術の初歩段階である精神統一の時点でつまづき、何度も心を邪念でかき乱された。ここに至るまでに経た旅の記憶、良いことも悪いこともひっくるめたそれらは非常に強い現実感となって常に僕の心を支配し続けていたんだ。たとえ一時でも、それら一切を全て忘れて心を無に近付けろなんて、正しく言うは易く行うは難しである。


 竜の炎に焼かれたサーシャの姿は、僕の瞼の裏に刻み込まれていたのだから。


 目を閉じる度に、その記憶に苦しめられた。サーシャを意識すればする程、彼女を喪った時のことが一層強く呼び覚まされて僕の心を苛んだ。


 悪戦苦闘する僕に、フヨウさんは助け舟を出してくれた。僕が術に挑戦する際に、精神をリラックスさせる特別な香料を調合してくれたんだ。傍から見ると……いや実際形の上では危ない光景だったかも知れないが、そのお陰で僕はようやく術を成功させ、サーシャと再び出逢うことが出来た。


「今でもはっきり覚えているよ。暗闇の中で、今にも消え入りそうになっていたサーシャの光を見つけた時の喜びは。本当に、またこうして話せて良かった」


『あはは。受け皿となる肉体も無いのに、無理にこの世に顕現しちゃうと物凄く疲れちゃうからね。ワームの時といいあの塔といい、どっちも非常事態だったし選択の余地は無かったのよ。ゆっくり説明する時間があれば良かったんだけど、あたしにはナオルを助けるだけで精一杯でね。事が終わった後はもうクタクタで話し掛ける元気すらも失くしちゃったから、きっとナオルもコバもやきもきしているだろうな~って、あたしも心配してたんだ』


「サーシャが助けてくれなかったら、僕達は間違いなく死んでいた。君は二度も、無理を押して手を差し伸べてくれていた」


『あのねナオル、これも何度も言ったことだけど、あたしは当然のことをしただけよ。あたしは風の精霊になって――魔道士達の言葉で言うなら“転生”って言うのかな――あなた達を助けられる力を授かった。自分の弟や、友達を護るためにそれを使うのは当たり前よ。もう一度やれと言われても、躊躇わずにやるわ』


 サーシャなら本当にやるだろう。どんな代償を払っても、たとえ彼女自身が消滅するようなことになっても。それが理解出来たから、僕は一層声を強くして言い募った。


「もう無茶はさせない。サーシャが僕を助けてくれるというなら、僕もサーシャを助ける。一人前の魔道士になって、精霊である君の負荷を減らすんだ。今はまだ難しくても、必ずそうなるから」


『……うん、分かってる。ありがとう、ナオル』


 サーシャが、微笑ましそうに僕を見つめた。


『さあ、辛気臭い話はもうやめやめ! もっと別の話をしよっ!』


 パンッ、と手を叩いてしんみりした空気を払う。そんなサーシャに、僕も頷きを返した。


「そうだね、サーシャはどんな話がしたいの?」


『また外の様子が聴きたいかな。ナオルやコバの近況とか、マルヴァスの旦那やメルエットさんは今どうしてるの、とか。最後にナオルと会った時から十日くらいだっけ? たったそれだけの間じゃそんなに変わってないって言うかも知れないけど、あたしは聴きたい。……ダメ?」


 可愛らしく小首をかしげるサーシャ。まるで幼子が控え目なワガママを言っているようなその仕草に、思わず微笑みが溢れる。


「ううん、いけないなんてことは無いよ。そうだね、じゃあまずコバの様子から――」


 コバは此処に居た。《竜牙の塔》に僕が入ることが決まったから、必然的に奴隷のコバも同行する形になったのだ。勿論、そんな形式的な取り決め以前に僕がそれを望んだからなのだが。今の彼は前にも増して精力的になり、僕の身の回りの世話を溌剌とこなしている。サーシャと再び接触できたことが大きいのは、言うまでも無い。


 しかし、かつての仲間達で今も常に僕の近くに居てくれるのは、サーシャを除けばコバだけになってしまった、ということでもある。他の皆は、それぞれ自分のやるべきことを見つけてそれに集中している。当然と言えば当然だが、共に旅を続けて一体感を抱いていただけに、心にポッカリ穴が空いてしまったかのような空虚感を一時期覚えてしまったのも確かだ。


 あの謁見があった日から、今日で約三ヶ月になる。その間に、僕を取り囲む環境は大きく変わった。


 修練の日々は決して楽では無かったけれど、生きるか死ぬかの瀬戸際を繰り返してきたこれまでと比べたら、嘘のように平穏で安定した時間でもあった。


 俗世に煩わされることなく魔法の探究に打ち込めたことで、以前と比べて格段に力を付けてきたという自負もある。


 そして、もうすぐこの穏やかな日々が終わりを迎えるという予感も――


『……あら?』


 楽しげにコバの話に耳を傾けていたサーシャが、ふと何かに気付いて顔を上げた。


「どうしたの?」


『誰か来るみたい。部屋の外で、空気に乱れが生じているわ』


 それは、僕も感じていた。意識の片隅で、不可視の塊のような気配がまっすぐこちらに近づいてくる感覚が僅かだがしていたのだ。


「……ごめんサーシャ、今日はここまでみたいだ」


『そっか、残念だけど仕方ないね』


 一瞬だけ苦笑いを浮かべた後、サーシャはぐっと表情を引き締めた。


『“渡り人”としてのお仕事、頑張ってねナオル!』


「ああ!」


 力強く頷いたのを皮切りに、周囲の空気が急転する。意識が引き戻される感覚がして、気付けば元の暗闇が戻ってきていた。


 コンコン、と扉を叩く音がする。


「入るのじゃ」


 闇の向こうでフヨウさんが返事をすると、無造作に扉が開け放たれて外の光が雪崩込んでくる。


「やー師匠、修行の邪魔してごめんね。でもそれ以上に大事な用件だからさ、“渡り人”くんに」


 予想通り、入ってきたのはブリアン王子だった。相変わらず小学生くらいにしか見えない容姿を持つ彼の手には、大人の頭程の面積を持つ厚紙のようなものが握られている。


「前置きは結構、用向きをお聴かせくだされ」


「ほいさっ、さっき《竜牙の塔》にこんな物が届けられたんだ。宛先はナオルくんになってる」


 ブリアン王子は、手に持ったそれを見えるように掲げてひらひらと揺らした。形からして手紙のようだ。影になっていて見にくいが、しっかりと蜜蝋で封もしてある。


「ブルーナボーナ公爵家からパーティのお誘いだよ。最近話題の“渡り人”殿を、貴賓として是非とも招待したいんだってさ」

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