第二百十一話
「――っ!?」
メルエットは、肺腑を短刀で抉られたかのような錯覚を覚えた。
(まさか、あのワーム退治の一件までホリン卿の耳に入っていたなんて――!)
完全に想定外である。ネルニアーク山とその付近に住まう一般市民は居らず、鉱山を支配していたワームの死を確認出来たのはモントリオーネ側の陣営だけだった筈。それなのにどうして、この老人は既にその情報を掴んでいるのだろうか?
「ホリン卿、なぜ……」
「人の口に戸は建てられぬものじゃ。微かな囁きに等しかったが、それは確かに風に乗り、この王都まで報せを運んできおった。後は自分の手で裏を取るだけじゃよ」
思わず漏らした呟きを拾って、ホリンが手応えを確信したように笑う。婉曲な表現ではあったが、その言い方でメルエットには察しがついた。
流石に政体の中枢に携わる三環師識。“目”や“耳”となる者達は何処にでも存在するのだ。それこそ、自分の考えが及ばない領域にまで。
メルエットは、それとなくヒルクノールやイルテナの様子を伺った。――二人共、ホリンの言葉に特に驚いている様子は無い。ヒルクノールは感情を排した顔付きで、イルテナ女史は先程の不快感を引きずっているような表情で、それぞれメルエットの反応をじっと注視しているだけだ。間違いなく、この二人も織り込み済みの情報だ。
「初耳であるぞ!? メルエット殿、今の話は真であるのか!?」
「はわわっ!? ネルニアーク山のワームと言えば、近年国内で起きた事件の中でも一際要注意度の高い難件じゃないですか!? いたずらに民衆を刺激しないようにって、国王陛下のご命令で箝口令を敷かれていた程の!!」
反対に、ラセラン王子とスーリヤ大法官は深い衝撃を受けたのが一目で分かる取り乱し様だった。政治に疎い武闘派王子と若い聖女とでは、まるっきり畑も場数も違うのがあの三人だ。
そして今、メルエットが相対すべきは、状況の把握が遅れている王子達では無い。
「我等の旅において、あらゆる些事までご承知済みと思しきお言葉、誠にもって恐縮しきりにございます。確かに、我等の一行はネルニアーク山から繋がる間道を目指して山中に入り、そこで盗賊やオークの襲撃を受けましてございます」
胸奥で当時の状況を回想しつつ、メルエットは慎重に言葉を紡いでゆく。ホリン達が何処まで知っているのかは分からないが、この三人の賢人の誰か、あるいは全員共がモントリオーネに与する側の人間である可能性が俄に現実味を帯びてきた。彼の悪事より、ワーム討伐のあらましを先に知りたがる様子を見せたことがそう思える理由だ。話を逸らす意図が含まれているという見方も、出来なくはない。
これは、戦いだ。剣と剣ではなく、舌と舌で行われる類の決闘なのだ。問題は、目の前に鎮座する相手が、本当に敵なのかどうか明確に区別がつかない点だが、それでもメルエットはこれが自分に課せられた試練であると判断した。
ならば、自分は逃げない。相手が作った流れに乗せられた形ではあるが、どの道この場で言上せねばならない事柄だ。未だ闇に隠れた“敵”の懐に目星をつけて、一息に切り込んでくれよう――!
「して、“岩喰らい”が現れたのは?」
ホリンは、まるで自分の興味がそこにしかないと言うように話の続きを促す。
「オーク共との、戦闘の最中にございます。突如乱入してきたワームにより戦局は崩壊を迎え、我が従士達は殆どが戦死しました」
「主家を護る為に最期まで戦い抜いたか。見事な働きぶりよ。勇敢なるマグ・トレドの兵士達に、冥の女神の導きあれ」
ヒルクノールが静かに黙祷し、指で額と両肩をなぞって三角を結んだ。メルエットはそちらに向けて僅かに頭を下げてから口上を再開した。
「その際、我が身もまた崖から落ち、共に生き残った二人の友と崖底を彷徨いました。それからしばらく歩き続けた後にネルニアーク山に設けられた鉱山の入り口を見つけ、そこに入りました」
「ま、待たれよメルエット殿!」
どうにか話に付いてきたラセランが、再び困惑の声を上げる。
「ネルニアーク山は峻険な道が続くと聞く。貴君はそこで崖から落ちたと言われたが、ならばどうやって生き残ったのだ!?」
「――“魔法”、でございます、殿下。今しがた申し上げた二人の友。その片方が魔道士でございましたゆえ、落下する己と我が身を魔法の力で保護し、無事に着地せしめたのでございます」
「魔道士だと!? 貴君と一緒に居た共の者達に、そのような者が存在したと……いや!」
ラセランは言いかけてはっとなった。
「そうか、あの少女か! そう言えば先刻王宮で見かけた時は、まさにその魔道士の装いであったな!」
……十中八九、ナオルのことだろう。彼は、黙っていれば女性に見られかねない程にあどけない容姿をしていた。おまけに今日の彼は、身体の線が出にくい魔道士のローブ姿の上に帽子で髪も隠していたから尚更だ。ナオルと直接会話したことが無いラセランが、彼のことを女と誤認したとしても不思議じゃない。
「いや待て、少女だったか……? 確かに顔立ちはそれらしく整っていたが、以前会った時はもっとこう、男ような出で立ちをしておったような……?」
最初にレバレン峡谷で引見した時のことを思い出しているのだろう、ラセランは消化出来ない違和感にしきりと首を傾げている。
それを尻目に、ホリンが話の軌道を修正する。
「メルエット嬢、崖下に逃れることで貴下は一度“岩喰らい”から逃れて鉱山に至ったのだな。その後はどうされた?」
「どうにか坑道を抜け、下山を果たそうとひたすら歩を進めておりましたところ、そこでまたしてもワームの襲撃を受けました」
メルエットは、これまでの旅でも特に辛かった部分を、記憶を掘り起こす痛みに耐えながら切々と語った。
二度も連続して訪れた九死に一生。ワームの魔手から逃れた直後に現れたオーク共。捕まって連行される自分達。目の前で焼かれる有様を見せつけられた護衛兵達の屍体。最下級の捕虜を扱うような待遇――。
周囲の廷臣達から嘆きの声が上がる。辛酸を味わったメルエットに向ける同情か、あるいは蔑視によるものか。彼らの顔を確かめたい衝動を、メルエットは抑えつけた。
「ふむ。ここまでの話をまとめると、“岩喰らい”は坑道から谷に落ちていき、それっきりになっておるのじゃな。はてのう」
やはり、ワームに関すること以外をホリンは聞き流したようだ。メルエットがどんなに恥を忍び、涙を飲んで山中の顛末を明らかにしても涼しい顔を崩さない。後ろから錆を落とすような唸り声と、《トレング》が床を擦る音が微かに聴こえた。ローリスも、ホリンの冷たい態度に憤りを感じているようだ。
メルエットはそっと目だけで振り返る。ローリスと視線が交わった。彼は無念そうに表情を歪めながらも頷いて唇を引き結んだ。むき出しだった歯が隠れ、ローリスは再び騎士の顔に戻る。
「儂が聴いたところではのう、“岩喰らい”は全身を焼き尽くされた状態で息絶えておったとのことじゃ。ネルニアークの山中に、巨大な火柱が上がったという目撃証言も出ておる。時刻は夜中じゃったから、たとえ遠くからでも良く見えたらしゅうてのう」
「……!?」
そこまで把握していたのか。ホリンの胸中に収まっている情報の精密さに、メルエットはひたすら驚くしかない。モントリオーネと繋がっているから得られた情報なのか、それともカリガ領に密偵でも放っていたのか。
いずれにせよ、ここまで言及されたからにはこれ以上先延ばしには出来ない。ホリンの知りたい部分を、いよいよぶつける時が来た。
「……左様にございます。紆余曲折あって、私達はオーク共が拠点としていた廃砦から脱出し、その際に三度ワームと対峙しました」
高まる鼓動と大きくなる呼吸に抗いつつ、メルエットは真っ直ぐホリンを見据えた。
「最終的に、ワームを討ち滅ぼしましたのは――先程申し上げた我が友、ナオルという名の魔道士でございます」
「崖から落ちた貴下を救ったという話じゃったのう。さもありなん」
ホリンは既に予想していたようだ。彼の知り得た情報からして当然だが。
「高所から落下した複数の人体を無傷で地に下ろし、更にはワームを火で炙って死に至らしめる程の魔法の遣い手か。今の世の魔道士にしては少し――強力過ぎる」
皺でたるんだ顔の奥で、老賢者の眼が鋭い光を発する。
「メルエット嬢、教えておくれ。そのナオルと申す魔道士は、何者じゃ?」
「彼は――」
メルエットはもう一度、胸の中で自分に問いかけた。――覚悟は出来ているか? ナオルを、彼らの眼前に差し出す覚悟が。
(――ある。これは彼にとっても、それから私にとっても大きな転機になるのだから!)
刹那の自問自答。肚は、決まった。
「雲上からの訪問者、天津人にして女神パルナ・キアンの使徒。――《渡り人》でございます」
一切の震えを帯びない声で、メルエットは凛然と言い切った。




