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竜の階  作者: ムルコラカ
第五章 謁見
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第百九十八話

今回はマルヴァス視点の三人称です。

 ――負けられない、絶対に。


 兄と斬り結ぶマルヴァスの胸に灯っているのは、その一念だけだった。

 はやく、正確で研ぎ澄まされたアグリスの剣筋。首を狙いすましたように見せかけて、そのまま心の臓を突いてくる一撃。小手を斬り落とそうと動きつつ、途中で太腿の動脈目掛けて流れてくる切っ先。幻影のように自身を韜晦とうかいしながら繰り出される袈裟斬りや斬り上げ。かと思えば、時折織り交ぜてくる小細工なしの愚直な一閃。


 怒涛の勢いで迫りくる王宮近衛隊長の斬撃を、マルヴァスは寝かせた《ウィリィロン》の刃で辛うじて凌ぎ続ける。

 

 アグリスの剣は、凄まじい俊敏さと小刻みかつ精密な動きの制御によって生まれる、技量の剣だ。その強さは、幼少の頃から身を持って知っている。

 自分に剣の手解きをしてくれたのは、他でもないこの兄なのだから。


 当時でさえ、自分は一本もこの兄から取れなかった。幾度立ち会おうとも、家を出るまでずっと負け続けた。


 今もこうやって、辛うじて受け流すのが精一杯だ。ドワーフの友に鍛えてもらった自慢の《ウィリィロン》も、同じく包呪剣を遣うアグリスの前では無力に等しい。


 包呪剣――。それは、ドワーフ族が最も得意とする鍛造魔術という技法によって生み出される、魔法の力を込めた武器の一種。魔法に長けたハイエルフ達の間では《魔力付加エンチャント》とも呼ばれている特別な技術だ。


 そして包呪剣には、往々にしてお互いの効力を打ち消す副作用が仕込まれている。自分の《ウィリィロン》と、兄の振るう《フロウ・ジード》の場合もそれだろう。


 兄はあの剣と、それを扱う持ち前の力量と練磨に練磨を重ねた技で、若くして王宮の近衛兵隊長に上り詰めた男だ。

 自分が敵う相手では無い。少なくとも、今はまだ……。


 「――!?」


 考え事に、僅かに気を取られたからだろうか。

 アグリスの姿がまたもや残像を残し、掻き消えた。


 その事実に、ほんの一瞬気付くのが遅れた。


 「グ――ッ!?」


 直後、鳩尾の真下辺りに激しい衝撃と疼痛が奔り、マルヴァスの身体は後方へ押し出された。


 「チッ……!」


 両脚に力を込め、ザリザリと地面を削りながら勢いを殺す。どうにか体勢を崩さずに踏み止まったマルヴァスは、歯を食いしばることで痛みに震える脳髄を無理やり奮い立たせて、続く追撃に対処しようと急いで顔を上げた。


 「……?」


 結果として、その焦燥は杞憂に終わった。

 アグリスは掌底を放った姿勢のまま、微動だにせずこちらを凝視していたからだ。あれ程の猛攻を繰り返していたというのに、呼吸すら乱れていない。まるで地面から伸びる極太の氷柱の如く、泰然としてその場に立っていた。


 「……驚いたな」


 残心を示しながら、アグリスは眉ひとつ動かさずに短剣を構える弟の姿を正視する。言葉とは裏腹に、それほど驚いているようには聴こえない。


 「私の動きにここまで対応できるようになっているとは。まさしく端倪すべからざる成長ぶりだ。お前の力量はとうに量り終えているつもりだったのだがな」


 「はっ! 天下の近衛兵隊長様にそう仰って頂けるとは光栄ですよ!」


 荒くなった息を整えつつ、マルヴァスは不敵な笑みを返す。頬を何かが伝う感触を微かに覚えたが、それを拭おうともせず再び全神経を兄に集中させる。どうせ受けきれずに斬られた箇所から血が流れただけだろう。多少の浅手に気を取られている暇など無い。

 

 「戦場を渡り歩いたことで少しは鍛えられたか。あの大戦がお前を強くさせたようだな」


 「場数だけで言えば、兄上は俺の足元にも及びませんからな。緒戦が終わるとすぐ王都に呼び戻されて、宮仕えを命じられたお偉い次期当主様。血なまぐさい戦塵とは無縁の場所で、コツコツと実績を積まれたワケだ!」


 口の端を吊り上げて皮肉を言ってやるが、アグリスの表情は動かない。尤も、マルヴァスとしても挑発のつもりで言ったのでは無い。単にただの強がりである。


 「軍と軍との衝突だけが戦と、本気で考えているのではあるまい? 虚勢を張るのも良いが、その有り様では滑稽だな」


 肩で息をするマルヴァスを、澄んだ水面のように静かな呼吸のアグリスが憐れむように見詰めた。

 そして、何を思ったのか意外なことを口にしたのだ。


 「だが私の攻撃をここまで捌いたのは見事だ。その健闘ぶりに免じて今一度機会をやろう。――武器を収めて下がれ、マルヴァス。事が済んだら、お前達を元通りメルエット嬢の従者として控えの間に戻してやる」


 アグリスの目から憐憫の色が消える。僅かに垣間見せた人間味は排され、元の冷酷な王宮近衛兵隊長の顔がそこにはあるだけだった。


 「……斬ることが出来たのに、掌底を打ち込むだけで済ませたのはそれが理由ですか」


 マルヴァスは眉を顰めて兄を見た。中途半端に手心を加えられているという今の状況が、何よりも自分を苛立たせる。余計に惨めにさせる。狙ってやっているのだとしたら、兄は大した策士だ。陰湿で厭味ったらしい、実に貴族の嫡男らしい精神攻撃だ。


 あれ程侮辱した上での、この温情もどき。


 誰が有難がるものか。


 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 弟の沈黙をどう捉えたのか、アグリスはダメ押しのように言葉を続ける。


 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 アグリスの目に炎が宿る。自らの操る氷のような佇まいとはまるでそぐわない、強固な意志の炎が。





 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()





 際どさを振り切った、自陣営への勧誘。


 それを、マルヴァスは――





 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()





 決然と、跳ね除けたのだった。


 「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 答えを予想していたからだろうか。マルヴァスの返した言葉に、やはりアグリスは動揺も――そして最早情味の欠片をも見せずに、


 「ならば――」


 弟へ振るう、次なる一太刀を繰り出そうと剣を構えた。


 「っ!」


 次こそ、必殺の一撃が来る――!

 膨れ上がる剣気から全身で兄の意図を察したマルヴァスは、どうにかそれを防ごうと気を張り詰めた。


 勝敗を分かつ一瞬。


 その機先を――

 




 「――悪いけど、この場はお前の負けだよ、近衛隊長くん」




 

 あの偽道化師の、毅然とした声が遮ったのだった。

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