第百九十四話
地に着いた両掌から魔力が流れ出してゆく感覚。僕の周囲の地面が、“渡り人”の魔力を流し込まれた影響で変化を起こし、瞬く間に隆起する。
僕は少し目を上げて、マルヴァスさんの動向を確認する。
彼は素早く僕の言葉に反応してイフリートから間合いを取っていた。これなら、いける!
「う、おおおおおおおッッ!!」
渾身の力を肚に込め、極限まで意識を集中させる。
隆起した地面が海面のように波打ち、徐々に余波を広げてゆく。
「いいよ〜っ! 後はその広がる力を一本に集約して! 道を伸ばすような感じで、真っ直ぐ!!」
少し離れた位置で、道化師が更なる指導を行う。
「簡単に……っ! 言って、くれますねっ!!」
軽く毒づきながらも、僕は彼から言われた通りに魔法の力を制御しようと試みた。
――『土流陥穽』。
それがこの印契魔法の名前。『火球』とは異なり、三種類の印契を順番通りに組むことで発動する(複数の印契を使うことを“印を結ぶ”と表現するらしい)。いずれも簡単で覚えやすい形だったので、すぐに実践出来た。
地面に干渉し、土を操って巨大な窪みを穿ち、そこに対象を落として生き埋めにする。
通常の魔道士では、相手にもよるが……精々腰くらいまでしか地面に埋めることは出来ず、単一ないしは二〜三体程度の敵を拘束するのが限界らしい。
だが、“渡り人”が使えば話は別だ。
道化師から教わった通りに印を結び、発動させた僕の『土流陥穽』は――
「うははーっ!? すごいすごい!!」
教えた本人が狂喜の声を上げるほどの効力を発揮していた。
伝承の中でモーセが海を割ったように、僕とイフリートを結ぶ直線上の地面が大きくたわんで沈下する。マルヴァスさんの矢を喰らって仰向けに倒れ込んでいたイフリートは、逃れる間も無くその窪みに嵌った。
「今だよっ! 左右に盛り上げた土を一気に被せるんだ!!」
興奮に極まった調子で、道化師が最後の仕上げを指示する。
「ぐっ、いっ……けェェェェ!!」
肚の底から声を絞り出す。『土流陥穽』を発動させた瞬間からずっと、全身が激しく圧迫され続けていて苦しい。これがこの魔法を使う代償として我が身に起こる反動か。
息が詰まり、視界がぶれる。それでも、これに屈する訳にはいかない。
飛びそうになる意識を懸命に繋ぎ止め、僕は魔法の操作を続行する。
窪みを囲むように隆起した土を、中で藻掻くイフリート目掛けて一気に崩した。
――ゴァアアア!!?
どうにか身体を起こして穴から這い出ようとしていたイフリートは、望みも虚しく土砂崩れに呑まれて地中に埋まった。
周囲を激しく熱して照らし出していた青い炎が、土の中に消える。
「や、やった……!?」
荒い息継ぎを繰り返しながら、僕は眼前の成果を確認する。
火は土中でも燃える、という話を何処かで聴いたような気もするが、これだけの勢いで一気に土を被せられれば窒息消火になって、さしものイフリートでも一溜りもないのではないか?
と、思った矢先……
「うえぇっ!?」
完全にフラグだった。
イフリートが埋まった地点の土が立ち所に変色して、赤く発光する。地下で今尚存続する青い業火に煮られ、マグマ状に溶けて変質してゆく。
仕留めきれなかった、と嫌でも理解した。
「そりゃー、仮にも上位精霊だしね。この程度でやられちゃう程ヤワじゃないよ〜」
僕の心を読んだかのように、道化師が呑気に解説してくれる。
「じゃ、じゃあどうするんですか!? 他の魔法は……!?」
「まーまー落ち着いて。勝利には至らずとも、勝機には繋がったから」
「……? どういう意味ですか!?」
溶けつつある地面と妙に冷静な道化師の顔を交互に見比べつつ、僕は急いで先を促した。こんな時に持って回った言い方をしないでくれ。
「ほら、大釜をご覧よ」
「えっ!?」
言われるがままに、僕はそれまで完全に意識から外していた部屋中央の大釜へ目を走らせた。
「……!? 光ってる!?」
いつの間にか大釜の一点が強い光を放ち、煌々と輝いていた。
「今のキミィの一撃でイフリートを弱らせることには成功した! さあ、大釜の所へ行ってあの光っている箇所に触れるんだ!」
「触れる!? どうして……!?」
困惑して訊き返すと、道化師は『分かっていないな』という感じに肩を竦める。
「これは試練だって言っただろ? イフリートが弱まったことで、解除装置が動いたのさ。あの光る箇所に触れて、魔力を流し込む。それで終わり。お分かり?」
「――!」
そういうことか。僕はようやく理解した。
つまりあれは、イフリートの召喚を無効にするスイッチなんだ。それなら……!
「分かりましたっ!!」
疲労も忘れて、僕は道化師に言われるがままに大釜を目指して走り出した。マグマと化した地面を避けて、大きく迂回する形で中央へと駆ける。
――グアアアアア!!!
地下全体を震わす咆哮が上がった。
イフリートがついに埋められた地面を突き破り、胸から上の上半身を地上へ露出したのだ。
怒れる双眸が、大釜へ迫らんとする僕を即座に捕捉する。
イフリートが大きく息を吸い、自分を彩る蒼炎を口に含んだ。
――まずい。直感で危険を悟り、懸命に足を速める。
あと、少し……!
――フゥオオオオオ!!
吹き荒ぶ突風にも似た、巨大な吐息がイフリートの口から放たれる。
青い火の粉と熱風が、僕を灼き尽くさんと激流のように押し寄せてくる。
「くっ! 間に、合えェェェーッ!!!」
高温の奔流が届く寸前、僕はとうとう大釜に辿り着き、飛びつくように光る部分に手を伸ばした。
指先に触れる、固く冷たい感触。
その刹那――
「――っ!?」
凄まじい光が広がり、部屋全体を包んだ。