第百八十七話
ややあって気を取り直した僕とマルヴァスさんは、なんとなく無言のまま歩みを再開した。道化師の案内に従って地下へと降りる。すると、壁に掛けられた篝火で照らされた広い空間が現れた。真正面に大きな扉がひとつ、僕達を待ち構えていたかのような堂々とした構えで鎮座していた。
一際厳かな、一見すると地下牢のような暗く後ろめたい場所に通じているのではないか、と思わせるような物々しい鉄格子の大きな扉。その奥は暗く、篝火の明かりは届いていない。
「此処がダンジョンへの入り口だよん。んじゃ、入る為のめんどくせー手続きをぱぱっと終わらせてくるから、ちょっち待っててねん♪」
そう言い残し、道化師は端っこの方に設けられた詰め所のような小屋へと歩いていく。恐らく彼処でダンジョンの出入りを管理しているのだろう。
「なあ、ナオル……」
道化師の姿が詰め所の中に消えたのを見届けると、マルヴァスさんが気持ち声を潜めて話しかけてきた。
「さっきはありがとうな。それと、すまん。お前を矢面に立たせちまって……」
アグリスさん達とのファーストコンタクトを経た後でも見た、彼らしからぬしおらしい態度。それを見て僕は、
「何言ってるんですか、謝らないで下さいよ。僕がただ単に腹が立ったからやっただけですってば」
あえて陽気に、マルヴァスさんの腹を軽く肘で小突く。鍛え上げられた腹筋の硬い感触が伝わってきた。
「マルヴァスさんには物凄くお世話になってますからね。恩人を理不尽に虐められて黙ってられる程、僕は薄情じゃないんです」
「ははっ、なんだそれ。いつからそんな一端の口を利けるようになったんだ?」
マルヴァスさんは苦笑いを浮かべながら、お返しとばかりに同じく軽い肘打ちを入れてきた。……痛くはなかったけど思いのほか圧力があって、僕は少しよろめいた。
「でもよ、流石に少し反省したよ。兄貴に出会う度に呑まれてたんじゃ、あまりにもみっともないよな。次からはもうあんな醜態は見せねえ、約束するぜ」
「見せてくれても良いんですよ? そうしたらまた僕が護ってあげます」
意味深に流し目を送ってみる。マルヴァスさんは「うぇっ!」と顔を顰めた。
「よせよ気色悪い。俺、そっちのケはねぇんだ」
「ええ、僕もありません。本音を言えば、女の子の方がずっと護り甲斐がありますね」
「言ったな、こいつ。なら、とっととメリーをモノにしろよ」
「はは、その内に……」
既に告白されて、無情にも袖にしました……とは流石に言えない。メルエットさんの真意とイーグルアイズ卿の密命は、僕の胸だけに秘めておくべきだ。
でも、良かった。こうして軽くふざけあっている内に、マルヴァスさんも少し元気を取り戻してくれたみたい。彼にはいつも、頼り甲斐のある兄貴分でいてほしいから。
「(……兄貴分? ……そうか、兄貴分か。僕にとって、マルヴァスさんはこっちの世界で新しく出来た兄みたいな存在なんだ……)」
ふと考えたことを反芻して、すとんと収まるべきところに収まったような感じがした。
僕はマルヴァスさんに、恩義以上に親しみを覚えているんだ。気さくで面倒見が良くて、いついかなる時でも頼れる人。友達で、兄貴分。それが、僕にとっての彼なんだ。
メルエットさんの気持ちが分かるような気がした。僕も、彼女と同じだ。
「おっまったせ〜!」
そうこうやってる内に道化師が戻ってきた。手には大きな鍵束を持っていて、歩く度にジャラジャラと音が鳴っている。
「これでダンジョンに入れるよん。早速開けちゃうね〜♪」
「随分と沢山の鍵を持っていくんですね。そんなに必要になるんですか?」
「必要だよ〜。踏破した部屋には、それぞれ魔法が掛かった岩戸が設けられているからね〜。それを開ける為に必要なのさ〜」
「魔法の、岩戸?」
「そ。万が一にもうっかり張り込む部外者が出ないようにって、フヨウ様がね。まっ、実際見てみれば分かるよ」
道化師はおもむろに鉄格子の扉に近付き、鍵束の中から鍵を一本取り出して錠前に差し込む。すぐにカチャリという音がして、道化師が扉に手を添えると、威圧感のある鉄格子が金属が擦れ合う不協和音と共に押し開かれた。
「さっ、いよいよダンジョンだよ。心の準備は良い? 良いね? よっし、じゃあ付いてきて〜」
「おい待てよ、明かりが無いぞ」
さっさと先に進もうとする道化師を、マルヴァスさんが呼び止める。彼の言う通り、鉄格子の向こう側は光が届かず真っ暗だ。
「松明かランタンが必要ですね。そこの詰め所にあるでしょうか?」
僕は光源を確保しようと、道化師がさっき入って出てきたばかりの事務所に向かおうとした。
それを、耳障りなテンションの笑い声が押し止める。
「アヒャヒャヒャ! 要らないよ〜! 此処は魔道士達が出入りしているって説明したでしょーがっ!」
「え……?」
「わっかんないかな〜? 光なんて、魔法で作れるってことさ! ほれっ!」
道化師が壁に向かって片手を伸ばし、それを激しく動かした。一瞬、何かのパフォーマンスかと思ったけど、違う。
「っ! 魔法陣……!?」
腕の軌跡をなぞるように、壁に白く発光する線が浮かび上がる。幾何学模様を描きながら形を整えてゆくそれは、見紛いようもなく魔法陣だった。
道化師は、正確無比な指の動きで壁に魔法陣を描き出しているのだ。
「ほーい、これで良しっ!」
その言葉と共に、完成した魔法陣が身に纏う光を強める。するとそこから何条もの光の線が生まれ、壁の上を奔った。
ボッ、ボッ、ボッ、と火を点ける時のような音と共に、青白い光の玉が次々と生まれる。まるで狐火のように、等間隔を保ちながら通路の壁に沿う形でずっと奥の方まで灯って行き、立ち込めていた闇を祓う。
瞬きを繰り返す間に、鉄格子の先は青い光で満たされていた。
「これで何も問題は無いね? さて、それではいよいよ道化師ハッセさんによるダンジョン探検講座、開幕でござ〜いっ!」
道化師は得意絶頂な顔で僕達に向き直ると、仰々しく盛大なお辞儀をしてそう宣言したのだった。