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竜の階  作者: ムルコラカ
第五章 謁見
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第百七十九話

第五章開始です。何卒宜しくお願い致します。

 ――……ル、ナオル。


 僕の名前を呼ぶ声がする。“ナオル”の三文字が耳から脳へ達した時、全身を包む柔らかい感触に気付いた。


 「此処は……?」


 目を開くと、映るのは透き通るような青色。後頭部や背中、投げ出された四肢の裏に感じるのはゴムのような弾力。

 むくり、と上半身を起こす。雲ひとつ無い澄み渡った青空と、白くフワフワした綿菓子のような地面が何処までも広がり、視界を満たした。

 どうしてこんな場所に居るんだろう、と首を傾げた。なんだかごく最近、同じような思いを何度もしたような気がする。僕は確か、イーグルアイズ家の館でベッドに突っ伏して……


 「――随分な騒動に巻き込まれたみたいだな」


 「えっ!? わっ……!?」


 唐突に何処からともなくそんな声が聴こえて、突風が吹いた。僕は反射的に目を瞑り、腕を顔の前にかざす。思いの外、勢いが強い。向かい風であり、風圧が容赦なく正面から押し寄せる。見えない大きな膜が僕を押し流そうとしているかのようだ。

 突然吹いた暴風は、十数秒間僕の腕や腹を撫で付け、やはり唐突に収まった。


 「今のは、何――!?」


 謎の珍現象に顔をしかめつつ、両腕のガードを解いた僕は――絶句した。

 目の前の綿雲のような地面の上に、さっきまで誰も居なかった場所に、“彼女”が立っていたからだ。


 「いよっ! 久しぶり、ナオル! あたしが分かるか?」


 まるで旅行のついでに訪ねた遠くの知人に挨拶でもするみたいに、手を上げながら笑顔を弾けさせる彼女。


 「ナミ、姉さん……!?」


 間違い無い、間違える筈が無い。あの年上ながらあどけなさを残した童顔、燃えるような赤毛のショートボブ。二年前まで僕の日常の一部に組み込まれていた、掛け替えのない存在。

 僕の原点のひとつ。兄さんと一緒に消えてしまった幼馴染。

 比良坂那美、その人だった。


 「姉さん、どうして――!?」


 これは夢かと思った時、以前にも同様の出来事があったのを思い出した。そう、あれはネルニアーク山の廃砦から脱出する時、急スピードで坂を走り下る荷車から投げ出され、気絶していた間でのことだ。

 あの時も、夢の中にこうして姉さんが現れて、それからあのワームが――


 「んー、色々と言いたいことはあると思うけど、まあ取り敢えず」


 姉さんは顎に人差し指を当て、にっこりと目を細める。それから、その人差し指を握り込み、手をグーの形にする。

 満面の笑顔と、その傍らで握り込まれた拳。

 ……あ、このパターンは――


 「歯ァ、食い縛れ☆」


 姉さんの姿が陽炎のように揺れた。全ては一瞬で、僕は声を出す間も無かった。

 ビュッ! という重く鋭い風切り音が聴こえたと思った瞬間、左の頬に強烈な衝撃が来た。夢であるにしては、凄まじくリアルな感覚。痛みの電気信号が脳に達する前に、僕はその力に絡め取られて思い切り吹っ飛んだ。

 ぐるぐると回転する景色。透明な青と濃密な白が交互に視界を横切り、下方へ流れてゆく。何度かそれが繰り返された後、僕は頭から白い地面に突っ込んだ。


 「へぶっ!?」


 幸い弾力性に富んだ場所ゆえに、僕の身体は二、三度大きくバウンドしたものの、激突のダメージは余り無い。

 が、ぶん殴られた頬は別だ。ジンジンと痺れ、激しく熱を持っている。頭の中がぐわんぐわんと揺れ、視野がぼやけた。

 久方ぶりに受けた、姉さんの容赦ない折檻。情状酌量一切無しの制裁だった。


 「おーい、生きてるか〜?」


 焦点が定まらない視界の中に、この状態を作った元凶がしれっと顔を出す。仰向けに倒れた僕を覗き込むように、姉さんが身をかがめてひらひらと手を降っていた。


 「う、うん……一応」


 震える唇から、どうにかそれだけを絞り出す。そんな僕の容態にまるで頓着せず、姉さんは僕の腕を掴んで無理やり引き起こしてきた。


 「いや〜、見事に飛んだなぁ。漫画かよ、と思ったぞ」


 「姉さん、なんで……?」


 姉さんの手を借りながら、僕はよろよろと立ち上がった。殴られた頬を擦りながら、ようやくブレが収まってきた目で改めて姉さんを見る。

 やはり、何処からどう見ても二年前に失踪した彼女、比良坂那美その人だった。さっきの殴られた痛みといい、もしかして夢ではないのだろうか? いや、しかし現実にしては威力がおかしい。人体を空中回転させながらぶっ飛ばすパンチとか、今姉さんが言った通り漫画みたいな表現だ。仮に本当にそんな殴打を浴びたのなら、間違いなく僕の顎は砕けている。到底喋れる状態じゃ無くなっていただろう。

 じゃあ、これはやっぱり夢?

 奇跡の再会を喜ぶよりも戸惑う気持ちの方が勝って、僕は恐恐と何度も姉さんを上から下まで見直した。


 「なんでって、決まってんだろ? 女の子の気持ちを無下にした罰」


 当の本人はというと、腰に両手を当てながら眉を吊り上げ、口を尖らせている。幼い頃から僕を叱りつける時に取るポーズだ。


 「女の子って、メルエットさんのこと?」


 「他に誰が居んだよ? ナオルお前さ、あそこまで勇気を出して好意を向けてきてくれた相手にあの態度は無いだろ? 何様だっつーんだよ、館にまで居候させてもらっておいてよ」


 怒りを通り越し、呆れ果てた溜息をつくナミ姉さん。正直、それに関してはぐうの音も出ない。


 「メルエットさんには悪いと思ってるよ。彼女の気持ちが嬉しくないかと言われると、嬉しいに決まってるよ。でも正直、こっちはそれどころじゃなかったんだ」


 「分かるよ、大変だったんだろう。でもさ、あの子はそれを察して、ナオルの苦しみを分かち合おうとしてくれたんだぜ?」


 「彼女が歩み寄ってくれたことも、充分によく分かっているつもりだよ。だけど、それでも言えないんだ。彼女には、教えたくない」


 「なんで?」


 「なんで、って……」


 その言い草に、流石にカチンと来た。と同時に、心の奥から色々な情念が一気に噴出し、僕は一度大きく息を吸うと、目の前の姉さんに向けて沸き起こるモノを一気にぶち撒けた。


 「当たり前じゃないか!! 父さんが僕をずっと憎んでて、名前だって当て付けで決められて……! そんなの、言えるワケ無いだろっ!? 分かる筈が無い! 知ってほしくない! ずっと、帰ることを目指していたのに!! 父さんと、分かり合える筈だって思ってきたのに!! 父さんにとって僕は要らない子供で、存在自体望まれなくて、きっと僕が帰ることを喜ばない!! 決して、分かり合えないっ!!」


 「…………」


 唾を飛ばしながら喚き散らす僕を、姉さんは黙って静かに見つめていた。


 「兄さんは知ってたの!? 姉さんも!? 父さんが僕をずっと無視してた理由を!! 僕が、母さんを死なせてしまった原因だって!! ……そうだ、そもそも姉さん達が悪い!! 勝手に消えて、二人だけで何処かに行っちゃって、僕を棄てて……! あの日からずっと、僕の人生は滅茶苦茶だ!! どれだけやり直そう、頑張ろうと思っても、その度に挫折するんだ!! 僕は……無力なんだっ!! 兄さんと姉さんが居てくれないとダメなんだっ!! それなのに、なんでだよ……! なんで、二人共突然居なくなっちゃったんだよ……!!」


 怒りの感情を吐き出しながら、僕はただ立ち尽くしている姉さんに手を伸ばし、肩を掴んだ。確かに掴んだ。

 ちゃんと体温も質感もある。幻では、ない。


 「教えてよ、姉さん……っ! 僕は、どうすれば良いの……!?」


 姉さんの存在を実感したからだろうか。感情の吐露が弱まり、激昂していた心が急速に沈みだす。僕は荒い息を繰り返しながら、縋るように姉さんを見た。あれ程激しかった怒りの念が、次第に憐情を請うものに塗り替わってゆく。


 「…………」


 姉さんは言葉を探すというより、僕の有様を確かめるようにじっとそんな僕の顔を見返している。

 また殴られるかも知れないな、と冷静さが戻った頭で覚悟した。さっきの僕の言い草は、客観的に見るまでもなく身勝手極まるものだと分かる。自分のことしか考えてないと、また拳骨付きの説教が飛んでくるだろう。姉さんは、そういう人だ。

 そして僕は、それでも良いと思っていた。姉さんが僕にくれるものなら、罵倒でも拳でも構わない。それで姉さんの存在を感じられるなら。それで姉さんとまた一緒の時間を過ごせるのなら。

 しかし、僕の予想は外れた。

 姉さんは静かに口を開き、肚の据わった声で告げたのだ。


 「どうするべきか、が重要じゃない。お前がどうしたいか、だ。ナオル」


 「……!?」


 姉さんの強い眼差しが僕を見つめる。そこに怒りの感情は無い。ただ、何かを迫るような……まるで試しているかのような気配が濃厚に漂っている。


 「お前の人生は、お前のものなんだ。行き先は、他の誰にも決められない。舵を握るのは、ナオル自身だ。目的地を決められるのは、ナオルだけなんだよ」


 「そんな……! でも、僕は……」


 「ひとつだけ、忠告出来ることがある。過去は、何処までいこうと過去でしかない。忘れることも、変えることも出来はしないが、既に“終わってしまったこと”でしかないものなんだ。過去に囚われるな、ナオル。お前の前にあるのは、未来だけだ」


 「み、らい……?」


 僕は不思議な気分で姉さんを見返した。気の所為だろうか、姉さんの全身が仄かに光を纏い、像が薄れ始めていた。


 「忘れるな、ナオル。歩く道を選ぶのはお前だ。元の世界に帰るにしろ、この世界に留まるにしろ、決める権利と責任があるのはお前自身だ。ただし、過去に拘っている間は決めるな。どっちを選ぼうと、後悔しか生まれないからな」


 姉さんを包む光が強さを増す。そこで、僕はハッと思い出した。

 以前にも、夢から醒める時に姉さんがこうして光を放っていたことを。

 

 「待って姉さん! まだ――!」


 夢が、終わる。姉さんと一緒に居られる時間が、終わる。それを理解して、僕は必死に姉さんを押し留めようとした。

 けれど、光は収まらない。どんどん強く、眩しくなる。


 「ごめんな、時間切れらしい。話したいことは山程あるんだが、今回はここまでだ」

 

 首と頬と胸に、柔らかく温かい感触が訪れる。

 最後に、白い光と化した姉さんが僕をそっと抱き締めてくれたんだ。


 「ミアの祖母に会え。彼女は、必ずお前の力になってくれる。“渡り人”であるお前の力を開花させてくれる筈だ」


 「え――?」


 耳元で、姉さんの声が意外な響きを奏でた。だけど、その真意を訊き返すことは叶わない。


 「皆への不義理だけはするなよ。頑張れ、ナオル」


 優しく、慈愛に満ちた彼女の声が、最後に耳の奥をくすぐった。

 そして――


 「またな――」


 白い光が全てを染め、姉さんの姿は――消えた。

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