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竜の階  作者: ムルコラカ
第四章 忍び寄る闇雲
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第百七十八話

 きっと、一世一代の告白だったのだろう。

 堪えきれない涙を流し、それでも精一杯の笑顔を作って、真っ直ぐ僕を見つめながら震える声を懸命に励まし、とうとうメルエットさんは自分の気持ちを打ち明けてくれた。

 それは彼女の立場、イーグルアイズ卿から課された使命とは真っ向から相反する想い。それを踏まえて尚、彼女は僕に伝えてくれたんだ。たくさんの葛藤としがらみを超えて、自分の気持ちを固めていったんだ。決断を下すのにどれ程の勇気が必要だったのか。今に至るまでの彼女の心理を思えば、果てしないいじらしさと可愛さ、そして何よりも嬉しさといった感情が込み上げて来る。

 目の前のメルエットさんが、愛おしく思えてくる。

 だけど、その一方で…………


 「……っ!」


 僕は、目を逸らした。彼女の視線から、真摯な告白から、逃げた。

 自分でも予期しない衝動だった。


 「お父さんの、伯爵閣下から下された使命を、棄てるの?」


 口から飛び出してきたのは、あまりにも惨い答え。メルエットさんの気持ちを土足で踏み躙る、理性の言葉。

 何を言っているんだ、と心の中の別な自分が僕を責め立てる。だけど、一度吐いた言葉は取り返しがつかない。


 「らしくないよ……! そんなの、全然、メルエットさんらしくない……っ!」


 追い打ちのように、無情なセリフを叩きつける。自分のクズさ加減に気付いていても、舌は止まらなかった。

 

 「…………」


 痛いほどの静寂。刺すような沈黙の時間が続いた。

 これで本当に彼女とはおしまいだ、と心の中で冷静な自分が呟く。さっきの議論の時といい、あまりにもメルエットさんに言葉の暴力を振るい過ぎた。きっと今の彼女は、心の中で非情な僕に呆れ、すっかり好意も冷めきっているだろう。

 それで良いんだ――。分かり合えない――。結局、僕と彼女は違うんだ――。後悔や戸惑いが、次第に諦念に塗り替えられてゆく。

 その時、腐った絶望の沼に沈もうとしていた場の空気が不意に破られた。


 「自分の務めを放擲するつもりは無いわ」


 意外な程に、不自然なくらいに、メルエットさんは平静な声音でそう言ったのだ。


 「私は伯爵家の娘。政争の具として扱われる我が身を嘆くことはあっても、そこから逃げたりはしない。父の望み通り、第一王子に近付くつもりよ」


 「それなら、どうして……っ!?」


 「それとこれとは別。私の気持ちは、私だけのもの。秘めておくべきだと思っていたけど、気が変わって貴方に伝えることにした。ただそれだけよ」


 「要は自己満足ってこと? メルエットさんが自分の気持ちを整理する為で、僕がどういうつもりだろうと関係無いって?」


 急に鼻白む思いが込み上げてきた。僕自身の気持ちも、メルエットさん自身の気持ちも、弄ばれたような心境だった。


 「それも、違う」


 しかし、当のメルエットさんはそれを否定する。


 「貴方を好きな気持ちに、嘘偽りは一切無いわ。もし叶うのなら、伯爵家の娘という立場を捨てて、ナオルと一生を添い遂げたいと思っている」


 「重いね」


 鼻で笑ってやりたい、そんな気持ちが胸の内で燻る。今や、メルエットさんの言葉は軽はずみなものとしか思えなくなっていた。彼女と繋がっている手を、振り払ってやりたい衝動に駆られた。


 「そうね、重いわ。それに、不可能を承知で言ってるってことも分かっている」


 「言うだけなら、簡単だよ」


 そら見ろ、と心の中でせせら笑う。相当に荒んでいるんだな、と別の自分が冷静に分析しているが、身体を衝き動かす感情は収まりが利かない。


 ――サーシャなら、決して僕をこんな気持ちにはさせないのに……。


 そんな考えまでもが心の片隅に浮かんでいたことに気付き、流石に愕然とする。いくらなんでも下種過ぎる思考だ。何様、ってレベルじゃない。こんな考えを起こす自分がたまらなく嫌だった。どうしてこんなに心の中が荒れているんだろう? 僕は一体、何をどうしたいって言うんだろう?


 「けれどね、それを踏まえた上でどうするべきか……いえ、自分がどうしたいのか、正直な気持ちを探してみたの。そして、ついさっき自分の中で答えが見つかった。イザベルが背中を押してくれるまで、伝えるかどうかは踏ん切りがつかなかったけどね」


 そのメルエットさんの言葉に、思わず引き寄せられた。自分の心に生じた醜い感情から逃げたいという気持ちも手伝って。

 僕の目に、再びメルエットさんの顔が映る。彼女の強い意志を象徴する形の良い眉が、キュッと窄まって引き締まっていた。その下で見開かれた目は赤い。だけど、もう涙は流れていなかった。


 「私は、貴方に幸せでいてほしいの」


 一言一言を慎重に舌に乗せ、大切な我が子を送り出すかのように、真っ直ぐ僕の目を見つめたメルエットさんがそう告げた。


 「幸せに、って……」


 対する僕は、そんな彼女の雰囲気に圧倒されて声を詰まらせた。軽はずみとしか思えなくなっていた筈のメルエットさんの言葉は、再び重厚な浸潤力を取り戻して僕の心を浸していく。

 そんな僕に覆いかぶせるように、自分の想いを僕の根幹に刻みつけようとするかのように、メルエットさんは更なる言葉を紡ぐ。


 「貴方に、苦しんでほしくない。いつも笑っていてほしい。その為に私が出来ることなら、何でもしてあげたい。……それが、偽らざる私の本心」


 メルエットさんが、僕の手を握る力を更に強める。痛い。だけど、心地よさを伴う痛みだ。繋いだ手から直接送り込まれてくる彼女の気持ちがもたらす、福音のような痛みだ。


 「教えて、ナオル」


 涙を拭って赤さを伴ったメルエットさんの目が、固く閉ざされた僕の心の扉をこじ開けようとする。


 「あの鏡の向こうで、何を見たの?」


 「それ、は――」


 何もかも見透かされている。メルエットさんには、僕の心で嵐のように暴れまわる衝動の根源が見えている。……そんな気さえしてきた。


 「私は、貴方が好き。貴方のことを、ずっと見ていた。だから、鏡の中から戻ってきてからの貴方が、何処か以前と違うように思えて仕方なかった。何か、余程の出来事が貴方の心を蝕んだんだと想像を巡らせたの。だから、以前話してくれたお兄さんのことを皆との会話の中であえて出してみた。貴方の“怒り”の中から、貴方を苦しめているものの正体を見つけたくて」


 「そんな、だから……!?」


 先程、メルエットさんに怒りをぶつけた時のことを改めて思い出した。メルエットさんは、僕の様子がおかしいと気付いて、あえて兄さんを侮辱するように話を持っていこうとしたのか?


 「貴方が怒ったのは当然の成り行きだったけれど、私は何故かその“怒り”に不自然さを感じたの。兄を侮辱されたというだけに留まらない、あえて言うなら“後ろめたさ”のようなものが、言葉の裏に見え隠れしているように感じたわ」


 洞察力というより女の勘といったところだろうか? いずれにせよ、メルエットさんの着眼点は半ば核心をついていた。


 「……っ、そんなの、ただのメルエットさんの勘違いだよ。大体、君は僕が好きだって言うけど、僕のことなんて殆ど何にも知らないじゃないか!」


 さっきまでとはまた違う意味で気まずくなった僕は、そんな憎まれ口を叩いてメルエットさんから逃げようとする。


 「ええ、知らないわ。だからこそ、貴方のことが知りたいの。貴方の口から教えてほしいの、ナオル」


 だけど、彼女は僕を逃がしてくれなかった。

 此処に至って、完全に思い知る。

 僕とメルエットさんでは、人間の出来が違う。僕は自分の感情すら持て余している子供で、彼女はこの短期間で見事な心の成長を遂げた……大人なんだと。


 「貴方の苦しみを分かち合いたい。貴方の助けになりたい。たとえ結ばれなくても、一緒にはなれなくても、ナオルには幸せになってもらいたいから……っ!」


 最後の方は、彼女の声も上擦っていた。再び昂ぶった感情を抑えるように、洟をすする音が一度だけ大きく響く。

 

 「…………」


 僕は迷った。全てを話してしまいたい思いにも駆られた。メルエットさんなら、受け止めてくれる。僕の悩みを、哀しみを、苦しみを分かってくれる。それはもう、確信に近い。

 けれど……結局僕は、その想いを抑え込む方向に心の舵を切った。


 「……メルエットさんの気持ちは、ありがたいよ。こんな、僕なんかを好きになってくれて、嬉しいよ。だけど……言えない。話せることは何も無いよ」


 取り繕った笑みを浮かべる僕を、メルエットさんはただじっと見つめている。


 「ごめん、メルエットさん」


 その視線に耐えられず、僕は彼女に背を向けた。


 「君の気持ちには、応えられない」


 「……そう、分かったわ」


 僅かに嘆息が混じった彼女の声。それから、するりと力が抜けて解かれる、僕達の手。

 メルエットさんは無言でベッドから立ち上がり、静かな足取りで部屋の出口に向かう。僕は彼女を見送ることすらせずに、明後日の方を向いたままだった。

 ゆっくりと扉が開かれる音の後、最後に彼女は言った。


 「覚えておいて。私の気持ちは、変わらないから――」


 そして、揺らがない想いが込められたその言葉を最後に、部屋の扉は静かに閉じられた。

 去ってゆく“三人分の”足音が聴こえなくなるまで同じ姿勢を保ち続け、それからどうとベッドに倒れ込む。


 「ごめん、メルエットさん…………」


 胸に去来するのは、女の子の気持ちを袖にした哀愁か、それとも折角の理解者を突き放した後悔か。

 何れにせよ、身勝手な感傷に違いなかった。


 「僕は、最低だ……っ!」


 ズキズキと頭が痛み、強く唇を噛む。目頭がツンと熱くなり、それはそのまま頬を伝って枕に落ちた。


 「サーシャ……っ!」


 あれで正しかったのか――? 僕はどうすれば良かったんだ――? そんな想いを込めて、サーシャの名を呼ぶ。

 懐かしい声の響きは、聴きたくて堪らない彼女の言葉は、やはり何処からも与えられなかった。

辛い記憶を目の当たりにさせられてメンタルボコボコにされたナオルくん。

折角のメルエットの好意を袖にし、メンヘラ化の道を突き進む彼の明日はどっちだ?

今回で第四章終了です。次回からいよいよ本格的な王都編に入ります。

気長に更新をお待ちいただけましたら幸いです。

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