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竜の階  作者: ムルコラカ
第四章 忍び寄る闇雲
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第百七十五話

 「は〜〜〜…………」


 部屋に戻った僕は、崩れ落ちるようにベッドに身を投げだした。柔らかくきめ細やかな素材で形成された弾力が、脱力しきった身体を優しく受け止めてくれる。

 

 「ナオル様、今日は本当にお疲れ様でございますです」


 「うん、コバもお疲れ〜……」


 傍らで控えているコバに、声だけで応える。本当はちゃんと顔を見て返事をするべきなのだが、気力も体力もそろそろ限界に差し掛かりつつあり、首を巡らすのも億劫だった。


 「サーシャ様は、いずれまた御姿をお見せ下さいますでしょうか……?」


 「…………」


 それでも、コバからそのセリフを聴くや否や、疲労で濁った頭の中が俄にクリアになる。


 「……『いつでもあなた達の傍に居る』。サーシャは、そう言っていたよ」


 脳裏に焼き付くサーシャの笑顔を思い浮かべながら、僕はコバに言った。


 「僕達が生き残れたのは、サーシャの力添えがあったからだ。精霊になってまで、僕達を護ってくれたんだよ」


 「まことに……コバめは、まだ夢の続きをみているかのような心持ちでございますです。母様の声を聴き、グラス様の影を追い、サーシャ様まで……。幸せな夢が、何処までも続いているような感慨に耽ってしまいそうでございますです」


 「コバが見せられていたのは、過去の“記憶”だ。ただし、サーシャだけは過去じゃない」


 サーシャの名前を出した時の皆の反応は、概ね予想通りだった。

 マルヴァスさん、ローリスさん、メルエットさんが目を見開き、息を呑んだ。フィオラさんは『そうそう、そのサーシャちゃん!』と陽気に相槌を打ったが、彼女がマグ・トレドの惨劇で生命を落とした犠牲者だと告げると笑顔を凍りつかせた。唯一何の因果も無いフォトラさんのみが、純粋にサーシャへの哀悼の意を表してくれた。

 あの鉄仮面が口走っていた事。サーシャは、《棕櫚の翼》の炎によって焼かれた所為で風の精霊へと転生を果たしたらしいという事。本来は、マグ・トレドで見た他の犠牲者達のように火蜥蜴サラマンダーと成る筈だったらしい事。彼女が、マグ・トレドからずっと僕に憑いてきた存在であるらしい事等を思い出せる限り正確になぞって伝えた。

 竜の炎によって生まれた精霊。誰もが、その情報に絶句した。『竜の炎は生命の焔』。マグ・トレドの惨劇で、ジェイデン司祭が溢したのと同じ言葉を、エルフの吟遊詩人であるフィオラさんが口にした。【ヒメル山の戦い】然り、竜を詠う詩にそういう表現は度々出てくるのだと。ただ、そのフィオラさんでも、風の精霊への転生という例は耳にしたことが無いらしい。

 マルヴァスさんは、喜ぶべきかどうか決めかねているような顔をした。ローリスさんは、複雑な表情で低く唸っていた。そしてメルエットさんは、何故かショックを受けたように茫然自失と立ち尽くし、僕が見ていることに気付くと避けるように俯いた。

 その後もあれこれと議論を重ねたが、いずれも現段階では推測の域を出ず、ついには語ることも無くなって自然と散会へと至った。葬儀は延期が決定され、ミアとドニーさんはそれぞれ監視を付けられて別室へと移される運びとなり、ミアの方は万が一を考えてマルヴァスさんとフォトラさんが見張りと尋問を受け持つ事となった。

 

 『どうにか情報を吐かせてみせる。明日まで時間をくれ』


 マルヴァスさんが妙に浮かれた様子でそう言っていたのが少し気に掛かったが、深く追求しないことにした。一応、例のミアの祖母を名乗る人から『殺さないでやってほしい』と頼まれたことはしっかり念を押して伝えておいたし、マルヴァスさんはああ見えて節度と限度は弁えている人だから大丈夫だろう、多分。フィオラさんの件でミアに多大な因縁を持つフォトラさんの抑えもしっかりやってくれる筈だ。そうに違いない。

 メルエットさんとイザベルさんは、葬儀に呼んだ司教さんへのお詫びと接待に出向き、ローリスさんも当然それに同行していった。明日の謁見の準備も進めなければならないし、後始末の指示を逐一出して報告も聴かなきゃいけないし、彼女達が一番忙しいのは間違いない。戦死した護衛兵達の葬儀を台無しにされたメルエットさんの胸中はいかばかりだろうか。

 フィオラさんは、『今日の出来事を書き留めておかなきゃ!』と言って早々に部屋に引き上げた。吟遊詩人として、得難い経験を詩想の糧にと逸る気持ちもあったのだろうが、それ以上にサーシャのことで気まずくなったんだと何となく察せられた。モルン村でのメルエットさんとの一悶着は、フィオラさんの中でも記憶に新しいだろう。

 そして僕とコバは、皆からの有り難い配慮で特に仕事も与えられず、フィオラさんと同様に自室に戻って休むことにしたのだった。


 「サーシャ様……。サーシャ様……!」


 無心に母親を求める子供のように、コバはか細く震えた声を上げる。

 僕は倦怠感で悲鳴を上げる身体に鞭打ち、なけなしの気力を振り絞ってどうにか上半身を持ち上げ、コバの方を見た。


 「サーシャは、コバのことを褒めていたよ。強くなった、って」


 「え……?」


 涙で潤むコバの目が僕を見つめる。


 「いつもコバのことを見守っていた。弟だから、大切な家族だから、ずっと心配で、目が離せなくて……。でも、そんな気持ちを吹き飛ばすくらい、コバは成長していて。すごく、安心していたんだ」


 「ナオル様……」


 「ありがとう、コバ。最後の最後で、あの鉄仮面から逃げることが出来たのはコバのお陰だ。コバが礫を投げてあいつを怯ませてくれなかったら、きっとサーシャも僕もやられてた」


 「そんな……! コバめは、ただ必死で……! サーシャ様とナオル様が危ないと思ったら、身体が勝手に……!」


 「それが、コバの強さなんだよ。大切な人を護る為に、我を忘れて生命を懸けられる。ただひたすら主人からの命令を待つ奴隷には、絶対に出来ない行動だ」


 ウトウトと揺れる意識をどうにか繋ぎ止めて、僕はコバに言いたかった言葉を贈る。


 「ナオル様……。しかし、コバめはナオル様の……」


 「形の上では奴隷でも、心はそうじゃない。コバは、しっかり自立しているよ。自分で考えて、動けるんだよ……」


 だがそのコバに比べて、僕はどうなんだ? 僕は、これまで自力で何かを成したか? サーシャにも、マルヴァスさんにも、ローリスさんにも、フォトラさんやフィオラさんにも護ってもらってばかりで、何かひとつでも皆の役に立てたか? 《ウィリィロン》を貸してもらって、バカみたいに振り回して、火球を生み出せるようになったと浮かれて、“渡り人”の特典みたいなチート能力に酔って、その結果はどうだ? あの鉄仮面の人物にも、黒い飛竜にも全く歯が立たなかったじゃないか。

 僕は……無力だ。努力もせずに、上っ面だけ取り繕って生きてきたどうしようも無いヤツだ。父さんはきっと、最初から僕の本質に気付いていたんだ。母さんを死なせてしまった時に、誰よりも早くそのことを理解したんだ。

 だから……だから、あんな…………!




 『お前が死ねば良かったんだ!!!』




 ――兄さん、兄さんは知ってたの? 父さんの気持ちを。僕が、母さんを殺してしまったってことを。


 闇の中に、ぼんやりと兄さんの顔が浮かぶ。いつものように、はにかんだ笑顔で僕を見つめている。

 だから僕は、兄さんに向かって分からないことを問い掛ける。小さい時からそうしていたように。神様に、頼るかのように。


 (×××××――)


 兄さんが口を開く。だけど、声は聴き取れない。


 ――兄さんも、僕を恨んでいたの? 兄さんから、永遠に母さんを奪ってしまった僕のことが、本心ではずっと憎かったの?


 (××××××××――)


 兄さんが、穏やかだった顔を哀しみに歪めて何かを言い募る。だけど、やはりその言葉は分からなかった。ノイズすら混じらない無音の声で、ひたすら僕に向かって訴えかけている。


 ――ねぇ、兄さん。兄さんも、こっちに居るの? 僕と同じように、あの白い靄みたいなものに包まれて、この世界に渡って来たの?


 (××××××××――)


 ――皆がさ、言うんだよ。あの鉄仮面の正体が、兄さんなんじゃないかって。違うよね? そんなこと、絶対にありえないよね?


 (×××――)


 兄さんが目を伏せる。口元だけが、僅かに動いている。


 ――会いたいよ、兄さん。二年前のあの日から、ずっと……。


 (――!!)


 兄さんが顔を上げる。その顔は、分厚く無機質な鉄の塊に覆われていた。目元に入れられた真一文字の細い切れ込みが、僕を真っ直ぐに捉える。


 ――ッッ!!?


 声を出す間も無く、鉄仮面が視界に大映しになる。手袋の嵌った冷たい手が、僕の身体を瞬時に捕まえる。





 『お前は私のものだ、ナオル!!!』





 変声機を通したような、人の温もりを感じられない声。一瞬前まで兄さんの姿だった鉄仮面が、僕を闇の中に引きずり込むように――





 ――うわあああああッッ!!!?


 



 「……ル! ナオルッ!!」


 僕を呼ぶ強い声と、激しく身体を揺さぶられる感覚で、僕の意識は急速に闇から引き上げられた。


 「はっ!? はっ、はっ、はっ、はあ……っ!!」


 荒く細切れになった呼吸を繰り返しながら目を開ける。すると……


 「気付いた!? ねえ大丈夫!? どこか苦しいの!?」


 切羽詰まったような焦りの形相で、上から覆い被さるように僕の顔を覗き込んでいる、メルエットさんの姿があった。

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