第百七十二話
「……見下げ果てた奴だ」
ドニーさんの自供内容を聴き終えたフォトラさんが、椅子に拘束されたミアを氷点下の視線で睨めつける。
「愛する者を想う心に付け込み、利用した挙げ句に使い棄てるなど言語道断。まさに下衆の極み、《古の罪の一族》の名に違わぬ所業ではないか」
嫌悪と軽蔑を隠そうともせずに吐き捨てる。フィオラさんの件も手伝って、彼の中でミアに対する寛容さが育まれることは無さそうだ。
「フッ……!」
縛られ、猿轡をされたミアも負けじと鼻を鳴らしてみせた。フォトラさんに思い切り打ちのめされた鼻には、一応ガーゼ代わりの布を当てられて止血の処置がなされている。口も鼻も覆われていては呼吸が出来なくなるところだが、ミアの口に嵌められているのは金属製の、中央に大きな穴が穿ってあるタイプの口枷であり、息をする分には問題無さそうに見える。……口の端から涎がボタボタと溢れ続けているけど。
「あの……せめて猿轡は取って上げませんか? 彼女も尋問しなきゃいけないんでしょう?」
おずおずと僕は提案したが、フォトラさんはにべもなく首を横に振った。
「駄目だ。このケット・シー、ナオル殿を鏡の中へ取り込むや否や躊躇いなく舌を噛み切って自害しようとした。まだ、死なせる訳にはいかない」
「えっ!?」
フォトラさんの言葉に、僕はもう一度開きっぱなしのミアの口の中を見てみた。すると、確かに彼女の舌には噛んだような後が薄っすらとついている。
「気配に気付いてすかさず止めたから良かったものの、一歩遅ければこいつはもう屍と成り果てていた。この女、自らの生命に対する執着というものがまるで無い。口枷を外せば、即座に舌を噛み切る心構えが出来ていよう」
「そんな……!」
ミアは、自分の生命が惜しくないのか? 彼女にとってあの鉄仮面の人物は、そこまでして忠誠を捧げる程の相手だと言うのだろうか?
「しかしまあ、その鉄仮面とやらも随分と回りくどい方法でナオルを手に入れようとしたもんだな」
マルヴァスさんが、顎に手を当てて考える仕草をしながら言った。
「わざわざ間者を送り込んで、その上この館の人間まで抱き込んで、その……鏡の中の世界? とやらに引っ張り込もうとするなんてな。《記憶の塔》だか何だか知らんが、惚れた相手を口説くにしちゃあ陰湿過ぎるやり口だぜ。どんだけ歪んだ愛をお持ちなんだっての。いくらナオルが“渡り人”だとしてもよ」
「…………」
《記憶の塔》での、鉄仮面の人物が僕に対して見せた異様な執着心。あれはやはり、僕が“渡り人”だから? いや……。
「そうそう、それっ! ほんっとーっに驚いたんだからっ!!」
フィオラさんが、ずっと言いたくてウズウズしてましたとばかりに身を乗り出した。
「まさかナオルくんがあの伝説の“渡り人”だったなんてね〜! 何処か他の人とは違うな〜と思ってたけど、まさかまさかの真実でフィオラちゃんもービックリだよ!!」
「道理であれ程の魔法を手軽に行使出来る訳だ。『魔法印』であんなに強力な火球を放てる者など、ハイエルフでもそうは居まい」
興奮で鼻を膨らまれているフィオラさんに同調して、フォトラさんも得心がいったという感じに頷く。
「そんなに簡単にお信じになられてよろしいのですか? “渡り人”の伝説と言えば、この国でも実例があったのは二百年も昔と言われておりますが」
メルエットさんが意外そうに二人を見る。その視線を受けて、フォトラさんが答えた。
「無論、我らワイルドエルフの間でも御伽噺として伝わる存在ではある。二百年といえば我々にとっても短くはない期間であるからな。ただ、それでも当時から生き続けている古老も少なからず居て、彼らの中には実物を見たとか直接出逢ったとか称する方々も若干数居たのだよ。若い世代の間では実在を信じる者は少なかったがな」
「でも、これで御伽噺じゃないって証明されたね! おじいちゃんの語ってくれた話は本当だったんだ!」
「フィオラ、“長老”もしくは“老師”だ。追放されたとは言え、恩愛を授けて下さった方に対する不敬は慎め」
「ぶーっ! 兄貴はこんな時でもガチガチの堅物なんだからっ!」
素っ気ないフォトラさんに対し頬を膨らませるフィオラさん。この二人はすっかりいつもの調子に戻っているみたいだった。
「まあ、“渡り人”に関する話は事実であると目出度く証明出来たところで……だ」
と、マルヴァスさんが話の流れを戻した。
「今回ナオルを襲った奴は、間違いなくモントリオーネとの繋がりがある。そうだよな、ナオル?」
「……ええ。確かにあの人は、モントリオーネ卿やヨルガンの事について言及していました」
「先程の話では、その仮面の人物の方がモントリオーネ卿より上位の立場にある、というように見受けられましたが?」
メルエットさんの目付きが鋭さを増す。モントリオーネ卿と気脈を通じているとなれば、彼女にとっても許し難い敵だ。
「僕もそう思うよ、メルエットさん。あの鉄仮面は、自分がモントリオーネ卿を導いた……みたいなことを確かに言ってたから。ヨルガンに関しても、正体がミアと同じシー族だって言ってたし」
全員の視線がミアに向く。
「……(フイッ)」
ミアは僕達の目から逃れるように顔を逸した。動揺しての仕草なのかどうか、僕にはちょっと分からない。
「ラセラン王子とは違って、あの人は完全に黒だと思う。僕達が斃したワームの死体を、ヨルガンやレブに命じて回収させたとも言っていたし。ひょっとしたらモントリオーネ卿も、あいつの手下に過ぎないのかも知れない」
「だとするとよぉ……いやっ! ゴホンッ! ……だとすると、だ」
それまで黙って話を聴いていたローリスさんが、いつもの調子で声を上げ……ようとして慌てて言い直した。少し離れたところでイザベルさんの目が光っている。
「そいつ……いや、その人物はっ、どうしてお嬢様じゃ……ではなくっ、そこのガ……ナオッ、ル……どの、を狙ったん……の、だろうかぁ!?」
唇をピクピクと震わせながら、辿々しく言葉を吐き出すローリスさん。慣れない話し方をしようとしている所為で所々で変なアクセントが掛かり、言葉尻に至っては思い切り語尾が上がっている。顔面も蒼白で両目は緊張で見開かれており、額や頬には冷や汗がびっしょりだ。
「くくっ……! やべぇ、こいつは傑作だ……! くくく……っ!」
マルヴァスさんがお腹を抑えながら必死に笑いを噛み殺している。ローリスさんは、そんなマルヴァスさんを軽く睨むだけで突っかかったりはしなかった。すっかりイザベルさんには逆らえない身体になってしまったらしい。
「ふむ、標的がメルエット殿ではなかった理由か。確かに、モントリオーネとやらの陰謀を直接この国の王に伝える機会があるのは彼女だけだ。謁見を明日に控える彼女の生命を狙うのが道理ではある」
真面目そのものなフォトラさんは、ローリスさんの見せた奇態にも冷静さを崩さずに同意を示した。……隣のフィオラさんはマルヴァスさんと同様、顔を真赤にしながら懸命に吹き出すのを堪えているが。
ここまでの流れで、既にこの二人にも僕達の事情を全て残さず洗い浚いに打ち明けている。最早、この二人もすっかり巻き込んでしまっているのだ。
「そこのシー族がもう少し協力的であれば、すぐさま判明するのであろうがな」
ジロリ、ともう一度ミアを睨みつける。それに対してミアは、「へっ!」と口枷の穴から舌を伸ばして答えた。唾も飛んだ。
「そ……ぶふっ! ……んんっ! ゴホンゴホンッ!」
吹き出しかけたフィオラさんが、一度咳払いをしてから改めて声を上げた。
「そんなの決まってるよ! ずばり、ナオルくんが“渡り人”だから!!」
自信たっぷりに人差し指を突き出しながら胸を仰け反らせるフィオラさん。
「あの仮面野郎にとっては、国家転覆の企てを暴露される危険を無視してでもナオルくんを手に入れる価値があったんでしょ! だって彼は生きる伝説、“渡り人”なんだから!!」
うんうん、とひとり納得顔で頷いている。吟遊詩人の彼女なら、そう考えてもおかしくはないのかも知れない。
ただ……あの鉄仮面は確かに言っていたのだ。
「あいつは、僕が“渡り人”だから手に入れたいんじゃないって言っていました。他でもない、“僕”だからこそ……だと」
「えっ? どういうこと?」
フィオラさんにはまるでピンと来ないのだろう。意味が分からないと言った表情でただ首を傾げていた。
「ナオル殿、だからこそ……?」
メルエットさんは、口元に手を当てて考え込むように視線を落とした。マルヴァスさんも、意味深な目で僕を見ている。
「まさか……!?」
何か思い当たることがあったのだろう、メルエットさんははっとなって顔を上げた。
「鉄仮面の人物は、ナオル殿の知人なのでは……?」
場の空気が、一瞬にして静まり返った。