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竜の階  作者: ムルコラカ
第四章 忍び寄る闇雲
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第百六十三話

 「あ、ああ……! ああああ……っ!?」


 巨大な翼を羽ばたかせて僕達の頭上に滞空する、黒い竜。

 そいつの全身を目の当たりにした時、僕は自分の全身から血の気が引いていく感覚を嫌という程に味わった。


 「(竜、だ……! あの怪物が、また……!)」


 怖気と吐気がこみ上げ、思わず口元を手で覆う。喉から噴出しようとする酸っぱい胃液を、すんでのところで押し留めた。

 ワームの時には希薄だった、相対する相手が竜だという認識。

 それは否応なく、あの日の惨劇を想起させて――


 「す、凄いっ! あの黒い泥みたいなのが竜になったの!?」


 フィオラさんの弾んだ声が、僕には異星人の言語のようにすら聴こえた。


 「あれが竜……! 黒くて大きくて、なんて禍々しさ……! まさか、こんな場所でお目にかかれるなんてっ!」


 思わぬところで生きた伝説を目の当たりにしたからだろう、フィオラさんは口調に喜悦すら滲ませながら食い入るように黒い竜に魅入っている。


 「フィオラ様! 喜んでおられる場合ではございませんです!」


 「……はっ!? そ、そうだった! アイツは敵なのよね!? どうしよう……ねえ、ナオルく――」





 「うわあああああッッ!!!」





 フィオラさんが言い終わらない内に、僕は尻もちをついたまま再び印契を組み、照準を上空の竜へ合わせた。


 「えっ!? いや、まっ――!?」


 制止の声を、火球の射出音が遮る。凄まじい勢いで魔法の火が飛び、傲然と空からこちらを見下していた竜の腹部を直撃した。


 ――ギゥゥ!?


 「うううっ!!」


 火球を喰らった黒い竜と、魔法を撃った反動を受けた僕が同時に呻き声を上げた。不自然な体勢の上に更なる負荷が掛かり、強かに床で背中を打つ。痛みと衝撃が驚異的な速さで全身に伝播し、呼吸が詰まった。

 容赦なく襲いかかる苦痛。魔法を使う度に訪れる、逃れられない代償。

 それでも、ここで手を止めてはいけない。


 「っ!」


 歯を食いしばり、仰向けの姿勢のまま頭だけを持ち上げて空中でばたつく竜の姿を目視すると、もう一度そこへ印契を向ける。

 組んだ両掌が三度火を吹き、魔力で生まれた砲弾が黒い竜目掛けて飛んでいく。巨大な空気の壁が火球の進路と真逆の方向に圧力を掛け、僕の身体を力一杯床に押し付ける。

 胸部が圧迫され、肋骨が軋む。息が吸えずに目玉の奥がキュッと締め付けられるように痛み、涙が目の端を濡らす。顎を引いて後頭部だけは床にぶつけないようにするだけで精一杯だった。

 それでも――


 ――クァァッ!


 爆発の余波と竜の悲鳴で、火球がちゃんと命中したことが分かる。


 「(効いてる! 効いているぞ……!)」


 胸中に灯る僅かな希望。このまま火球を撃ち続けていけば、きっと――!


 「ナオル様っ!!」


 コバの声がした。苦痛に耐えつつそちらへ顔を向けると、涙で霞む視界の中に張り裂けそうな表情のコバが倒れた僕を助け起こそうと手を伸ばしている姿が映った。


 「コバ……! 来ちゃ、ダメだ……! 下がって……!」


 「ナオル様、御無理はなさらないで下さいませですっ!」


 喘ぎながらも遠ざけようとする僕の言葉に反発するように、コバは構わず僕の傍にしゃがみ込む。


 「無理じゃない……! アイツが何かする前に、先に仕留めるんだ……! じゃないと……!」


 あの竜に、皆殺される。マグ・トレドの時のように。サーシャのように――!


 「あれは《棕櫚の翼》ではございませんですっっ!!」


 コバが必死に叫ぶ。無論、僕も頭ではそれは分かっている。《棕櫚の翼》と、あの黒い竜の造形は異なる。最大の相違点は、前脚と一体化した翼だ。あれは俗に言う《飛竜ワイバーン》と呼ばれるタイプ。全長にしても、オーソドックスな《ドラゴン》の姿をしていた《棕櫚の翼》より一回り以上小さい。

 アイツと、マグ・トレドを焼いた竜は違う。それなのに、僕はどうしてもアイツに《棕櫚の翼》が重なって見えてしまう。

 自在に空を舞える翼の存在。黒い体色。ただその二つが共通するだけで、ネルニアーク山のワームを遥かに凌駕する重圧が押し付けられる。

 殺される前に、殺せ――。

 僕の中の何かが、どうしようもなくそう叫び続けているんだ。


 「ナオルくん容赦無さ過ぎ! もうちょっと様子を見てからでも良かったのに!」


 どの口でそれを言うのか、フィオラさんが怒ったような顔でドニーさんを背負いながらやって来た。


 「でも、先手必勝を狙ったのは良い判断だよ! ナオルくんの火球なら、伝説の竜が相手でも充分通じ――っ!?」


 非難したり褒めたりと忙しいフィオラさんの表情が、竜に向けられた途端に引きつる。

 

 ――グァァァ……!


 黒い飛竜は二度の火球を立て続けに浴びても地上に墜ちるどころか、怒りを顕わにするかのように羽ばたきを強め、激しく身体を揺らしていた。全身真っ黒で分かりにくいが、火球が命中した箇所には焦げ目すら付いていないように見える。


 「そんな……っ!?」


 ワームの頭部に重傷を負わせた火球が、この飛竜には通じない。その結果に、僕もコバもフィオラさんまでもが愕然とする。

 

 「魔法陣の簡易版に過ぎぬ『印契』で出した威力にしては、及第点をやっても良い。だが、まだまだ甘い。そのようなザマでは、到底“竜”には届かぬ」


 鉄仮面の人物が、失望したというように首を振る。

 そして飛竜に向かって手を上げ、命じた。


 「お前の力を見せてやれ、“記憶喰らいの飛竜ワイバーン”」


 ――ウォオオオオォォォ!!!


 返事をするように黒い飛竜が吠え、俄に羽ばたくのを止めたかと思うと、両翼で全身を包み込むように覆った。


 「え、何!? 恥じらってるの? 可愛い……」


 顔まで隠してしまったその仕草に、フィオラさんが緊張感の無い声を出す。

 だが、直後に一瞬でも気を抜いた自分を呪っただろう。そうであると願いたい。

 前面に押し出された黒い飛竜の翼膜に、青白い光が何条も奔る。それが何なのか直感で理解し、僕は思わず叫んだ。


 「皆、伏せて!」


 ――グァアアア!!!


 一際強い咆哮を放つと同時に、黒い飛竜が丸めた身体を一気に開放する。限界まで押し広げられた両翼から凄まじい電流が迸り、稲妻となって放たれた。


 「きゃあああ!!?」


 「ひぁっ!!?」


 激しい突風と落雷が僕達の周囲に降り注ぐ。稲光が落ちた先の床が爆ぜ、竜巻のような暴風が何度も何度も僕達の身体を全方位から殴りつける。

 大嵐の中に放り込まれたかのような攻撃に、僕達は必死に身体を縮こまらせることで耐えていた。視界の端で、フィオラさんが鉄板を仕込んだ靴を脱いで投げ捨てるのが見えた。僕も急いでそれに倣い、腰のベルトに差している《ウィリィロン》を鞘ごと引き抜いて遠くに放り投げる。そんな僕達を嘲笑うかのように雷鳴が轟き、風が唸り、落雷が床を叩く音が連続する。

 一秒が一時間にも感じられる中で走って逃げ出したい衝動を懸命に抑えていると、次第に風も稲妻も収まり、辺りに静けさが戻ってくる。

 恐る恐る顔を上げた僕達は、そこでまたも絶望的な光景を眼前に突き付けられる。


 「嘘でしょ……!?」


 フィオラさんが信じられないとばかりに口元を手で覆う。

 床のあちこちが焼け焦げ、割れて砕けて激しい凹凸を形作っていた。中にはまだ帯電している箇所もある。


 「まさか、今の落雷で……!? 物を砕く威力の雷を、一度に……こんなに……!?」


 フィオラさんの言う通りだ。雷は岩をも砕くと言われているが、それが一斉にこれ程降り注ぐなんて通常ではありえない。あまりにも出鱈目だ。

 だが、しかし……。僕はごくりと唾を飲み込んで、悠然と再び滞空の姿勢に入った黒い飛竜を見上げた。

 その出鱈目な雷を、あの飛竜は生み出せるんだ。当たり前のように……。


 「今のはわざと外させた。だが次は無い」


 鉄仮面の人物が、死刑判決を下す裁判官のような佇まいで冷酷に告げる。

 今のは遊び。次は、無い――。


 「(か、勝てない……! 無理だ……!)」


 圧倒的な実力差に、心が完全にへし折れそうになる。火球は有効打にならない。打つ手が無い。


 「(最後の手段があるとすれば……)」


 先程身体から離した《ウィリィロン》を目で探す。


 「(……あった!)」


 すぐに見つかった。五メートル程離れた先の地面に転がっている。幸いなことに落雷は免れたのか、柄も鞘も無事なようだ。

 念じた対象を木の葉のように斬り裂くドワーフ製の魔剣。ワームの表皮ですら問題なく効力を発揮したあの短剣なら、あるいはあの黒い飛竜にもダメージを与えられるかも知れない。

 でも、それをやるにはアイツに肉薄しなくてはならない。投擲という手段は取れない。なぜならあの短剣は、手に持っている間でしか内に込められた魔力を解放出来ないからだ。

 更に加えれば、あの短い刃渡りでアイツに致命傷を与えられる確率も低い。以前マルヴァスさんがあれを手に果敢にもワームに挑み、何度もその身体を斬り付ける姿を見ているが、その時だって決定打にはならなかった。


 「(それでも……!)」


 僕は、コバとフィオラさん、そして未だ気を失ったままのドニーさんを見渡した。

 

 「(やるしか……やるしか無いんだ! 皆を護るためには――!)」


 ――グゥアアアア!!


 猛々しくこちらに向かって吠える黒い飛竜と床に落ちた《ウィリィロン》を交互に睨みながら、僕は必死に心の中で自分を奮い立たせていた。

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