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竜の階  作者: ムルコラカ
第四章 忍び寄る闇雲
163/264

第百五十五話

 ……………………。


 …………。


 ……。




 「わぁ! 出た、ゴブリンだ!」


 子供のひとりがこちらを指差し、高らかに叫びました。

 途端に、周囲の人々の目が一斉にこちらを向き、好奇と軽蔑の表情を浮かべます。

 その圧力にたじろぎ、コバめの足はたちまち竦んでしまいました。


 「こっち来んな! あっち行け!」


 「なんで市場に居るんだ!? バケモノめ!」


 「キタナい! ミニクい! クサい! やだっ!」


 子供達が次々に集まってきて、口々にコバめを罵りました。それだけでは飽き足らず、足元の小石を掴むとそれを投げ付けてくる子も居ます。


 「これでもくらえ、ゴブリンめっ!」


 憎しみの籠もった声と共に飛来する礫。幸いにもそれは、コバめの耳を掠めただけでした。

 しかし、ひとりが攻撃を始めると、それに追従するように他の子供達も動き始めます。同じように小石を拾う者、土を握り込む者、唇を噛みながら唾を口内に蓄える者――。


 「そうだそうだ! 怪物め!」

 

 「ちねっ! ちんじゃえっ!」


 「ぺっ! ぺっ! ぺっ! ぺっ! ぺっ!」


 剥き出しの悪意と隔意。それらが容赦なくコバめに迫ります。周りの大人の方々は子供達を止めるでもなく、ニヤニヤと愉しげな笑みを浮かべてこの有様を眺めておられるだけです。


 「…………」


 コバめはいつも通り、身体を丸めて蹲り、彼らの気が済むまでされるに任せます。

 このような事は、日常茶飯事です。大人の方々はともかく、街の子供達はこうして“御主人様”の目をかすめ、コバめに悪意をぶつけてこられます。しかし、それに対し抗議をしようという気は毛頭ございません。コバめは卑しいゴブリンなのだから、彼らの怒りを浴びるのは当然の事なのです。

 此処は人間の街、マグ・トレド。下賤なゴブリンは、本来ならば居てはならぬ場所。

 “御主人様”にお仕えする身でなければ、コバめは今頃――


 「おっ? なんだコレ?」


 後ろの方から上がった声に、コバめは飛び上がりそうになりました。

 慌てて顔を上げて振り返ると、子供達のひとりがコバめの背後にある小さな荷車を覗き込んでおりました。

 

 「あっ!? そ、それはっ!!」


 荷車の中に積まれているのは、コバめの背丈よりも少し大きな長方形の木箱。その木箱に伸びる子供の手を見て、コバめは思わず取り乱して大声を上げてしまいました。


 「なんだよ、もしかしてコレ、お前のか?」


 「ゴミくずのくせに、いっちょまえに荷物なんて運んでんのか?」


 「なまいき〜!!」


 「あけろ! あけて中にあるモンを引きずり出しちゃえっ!」


 コバめの反応を見て興が乗った子供達が、見るも残忍な笑顔を浮かべて木箱に殺到しようとしています。


 「やめっ、どうかおやめ下さ――!」


 大切な、下賤なコバめにとって唯一無二の大切な存在が収められている木箱を傷つけられようとしているのを見て、コバめは必死に嘆願しようとしました。

 コバめはいくら侮辱して下さっても構いませんが、それだけは、どうか――!





 「よさぬか!!」





 威厳に満ちた猛々しいお声が市場に響き渡りました。

 

 「あっ――!?」


 「わっ……!?」


 子供達の攻撃がピタリと止み、代わりに恐れと困惑を含んだ空気が辺りに漂います。木箱に群がろうとしていた子供達が、逃げるように元々立っていた場所へと戻って行きます。

 

 「どうして……?」


 コバめは信じられない気持ちで、それが無礼な振る舞いであることも忘れてその声の主を凝視しました。

 コバめを庇うように前に立たれる人影。眼前に聳え立つのはいわおのように巨大で凛々しいお背中。

 コバめの“御主人様”、マグ・トレド随一の騎士として名高いグラス男爵様でございました。


 「こ、これはグラス様! このような場所にお越しとは……!」


 「うちの子が失礼しました! グラス様の奴隷に対し、とんだご無礼を……!」


 「こら、お前も謝りなさい!」


 グラス様の御御足おみあし越しに、幾人かの大人の方々が子供達に駆け寄り、口々に謝罪の言葉を述べる様子がコバめにも見えました。恐らくは、あの子供達の親御様なのでございましょう。


 「うむ……」


 彼らの謝罪を受け、グラス様は重々しく頷くと、子供達の前までゆっくりと歩を進め、しゃがみこんで目線を合わせるように話し掛けられました。


 「汝ら、ゴブリンが嫌いか?」


 話し掛けられた方の子供達はビクリと肩を震わせ、俯いたままで答えようとはしません。周りの親御様達も心細げな表情で成り行きを見守っておられます。


 「責めてはおらぬよ。《聖環教》ではゴブリンは、太古の戦で《黒の民》に加担した許し難き敵と説いておるそうではないか。その末裔を下賤で卑しき者と断ずるのを、どうして責められようか」


 グラス様は声を和らげ、俯いたままの子供達の頭に手を伸ばし、順に撫でていかれました。不安と緊張で張り詰めていた子供達の顔が、ほっと緩む様子がコバめにも見えます。


 「ただのぅ、それでもこのコバは、このグラスに仕える心正しき者。巷のゴブリンのように、心根まで邪に冒されてはおらん。そこのところを飲み込んで、今後は斯様な仕打ちは控えてもらえぬか?」


 子供達が一斉にグラス様を見上げ、コクリとまちまちに頷きを返します。親御様達も「も、もちろんでございます!」「寛大な御処置、ありがとうございます!」「こら、ちゃんと言葉でお礼を申し上げなさい!」と、あからさまに安堵を御顔に表しながらグラス様に謝意を述べられました。

 

 「うむ、ではこの一件はこれまで。ではな」


 グラス様はそうやって話を締め括られると、厳しい御顔をしてコバめの方へ参られました。

 

 「行くぞ、コバ。早く立って、その荷車を運べ」


 「グ、グラス様……! 何故、此処へ……!?」


 此処に居られる筈のないグラス様の御姿を拝見して、気が動転したコバめは、折角下された御命令に従うのも忘れて思わず問うてしまいました。

 本日のグラス様は、マグ・トレドを治めておられるイーグルアイズ伯爵閣下に従ってアカリア川を越え、国境にある『地返し砦』へと赴かれている筈でした。年々緊張を増す北のフォモール帝国との戦いに備えて、諸々の戦術研究や兵士の訓練が目的の出張との事でございました。数日はお帰りになられない筈でしたのに、どうして……?


 「伯爵閣下の計らいで、私は一日遅れで参じて良いこととなったのだ。なので、お前に付き添おうと思うてな」


 グラス様は、無礼なコバめの問いに怒りを示されることなく、淡々と事情を説明して下さいます。


 「そ、そのような……! なんとも恐れ多い……!」


 「良い。それよりも、早く立つのだコバ。時間を無駄にするな」


 恐縮するコバめを、再びグラス様が促されます。


 「は、はいっ!」


 コバめは弾かれるように立ち上がり、木箱の積まれた荷車へ駆け寄りました。手すりを握る前に、木箱の様子をそれとなく確かめます。

 蓋が、ほんの少し開いていました。そこから、コバめのものと良く似た、それでいて一回りくらい大きい青い指が覗いております。

 コバめは慌てて蓋を閉じ、中に収められた“その人”を外気から守ります。

 

 「お待たせして申し訳ございませんでした、母様」




 ……………………。


 …………。


 ……。




 街の外れに設けられた、マグ・トレドの墓地。

 その片隅で、コバめの母様は安らかな眠りに入られました。

 盛られた土の上に立てた粗末な墓標の前でコバめは跪き、神妙な気持ちで両手を合わせ、次に頭と両肩を結ぶ三角形を指で描きました。

 《聖環教》で定められた、三女神へ捧げる祈りの所作。

 不埒なコバめが行うのは誠に恐れ多い仕儀ながら、今は、今だけはお許し頂きとうございますのです。

 女神様も、死んだゴブリンには寛容と慈悲をお示しくださるかも知れない。それであってほしい――。そのような願いを込めて。


 「……グラス様、ありがとうございましたです」


 祈りが済むと、コバめは振り返って後ろで見守って下さっているグラス様へお礼を申し述べます。

 するとどうしたことでございましょう。グラス様もコバめのように、祈りを捧げる姿勢を取っておられるではございませんか。


 「グ、グラス様!? なぜ……!?」


 「そなたの母は、長年に渡り我が家へ仕えてくれた忠実なる下僕しもべであった。感謝の念を捧げたところで、女神は怒るまいよ」


 「し、しかし……! コバめも、母様も、下賤なゴブリンに過ぎず……! なんとも恐れ多い……!」


 「コバ……」


 なぜだか、グラス様はコバめを憐れむように見つめられます。


 「ゴブリンであることの何が悪いのだ? 人間に危害を加えるでもなく、大昔に戦って負けたというだけで、どうしてそのように卑屈になる必要がある?」


 グラス様の仰られることが、コバめには分かりません。

 コバ達ゴブリンは罪の種族。人間にも、エルフにも蔑まれて当然の生き物。

 母様も口癖のように言うておられました。


 『私達は、本来この地上に居てはいけない存在なの。大昔に御先祖様が犯した罪の所為で、世間の人々は今も私達を憎んでいる。《聖還教》の教えが近年爆発的に広まっていることからも、それは明らか。だから、ね。どのような仕打ちをされても、黙って耐えなければいけないよ。どんな目に遭っても従順に、真心を込めて尽くせば、いつか女神様達もお赦しくださるから――』


 コバめは、ずっとそう教えられてきました。母様の言葉は、コバめにとって何よりの指針でありましたゆえに。

 奴隷として生まれ、奴隷として死ぬ。それが、自分の一生であると。


 「…………」


 何も答えられないでいるコバに、グラス様は遣る瀬無さそうに首を振り、立ち上がって背を向けられました。


 「帰るぞ、コバ。明日の明朝に出立する。改めて、準備に抜かりが無いか確かめねばならぬ。帰ったら、お前はまず馬具の点検をせよ」


 「は、はいっ!」


 グラス様の御命令。コバが何よりも望み、心の綱とするもの。

 それが下されたことに心から喜びを感じつつ、コバめはグラス様の後を追って立ち上がるのでした。




 ……………………。


 …………。


 ……。




 荒く、苦しげな息遣いが寝室に満ちております。

 寝台に横たわったグラス様の顔色は青白く、最早生気を殆ど感じさせず、迫りくる死は避けられないという暗い予感がコバめの胸を掻きむしります。

 帝国との戦いに臨まれ、戦って戦って戦い抜かれてマグ・トレドを護り切られたグラス様。その代償が、ご本人様のお生命というのは如何なる運命の残酷さでございましょう。

 寝台の傍には、コバめの他に二人の男女が椅子に座り、コバめと同じように神妙な御顔で控えておられます。御髪に混じる白い物が目立ち始めた《竜始教》の司祭、ジェイデン様。それと、このマグ・トレドで宿を営まれておられる恰幅の良い女性、シラ様。


 「グラス殿。先程、召使いの最後のひとりが無地実家に帰れた旨を報せてきましたよ。これで、男爵家に残ったのはあとひとり」


 ジェイデン様が、コバめの方に目線を贈りながらグラス様にお声を掛けられます。


 「そうか……」


 それを受けて俄に意識を取り戻されたのか、グラス様はゆっくりと目を開けられると少しの間視線を彷徨わせ、ジェイデン様の方を見遣られました。

 そしてそのまま視線を横にずらし、シラ様に向けて口を開かれます。


 「シラ…………」


 「はい…………」


 シラ様は儚げな、それでも気丈な微笑みを浮かべ、グラス様を安心させるように穏やかに頷いて見せられました。

 世間一般には伏せられておりますが、シラ様はグラス様の異腹の妹君にあらせられます。先代様が、当時の使用人であられたシラ様のお母様を見初められて、人知れず妾として囲い、産ませられたのがシラ様であると、グラス様は仰られておりました。


 「そなたには、苦労ばかりを押し付けてしまい、心から申し訳なく思っている……」


 半分とはいえ血を分けた妹君に対し、グラス様は親密な御様子で語り掛けられます。

 先代様の血を引いておられるとはいえ、シラ様のお母様は市井のご出身。如何にグラス様にお子様が居られぬとしても、庶子の彼女が男爵家を継ぐ事は許されません。また、シラ様もそれを望んでおられる御様子ではございませんでした。

 

 「良いのですよ。私は、しがない市民として生きているのを恥じたことはありません。お陰であの人にも出逢え、娘も授かったのですから」


 心からの言葉であると、その柔和な笑顔が語っておられます。そんなシラ様のご様子に、グラス様も僅かに表情を緩められました。


 「私の死で、男爵家も終わる……。先祖から続く家を、私の代で終わらせてしまうのは、無念だが……もう、受け入れている。ただひとつ、心残りがあるとすれば…………」


 グラス様がゆっくりと首を動かし、コバめに目線を向けられました。


 「ううっ……!」


 そこで苦しみに襲われたのか、俄に顔をしかめられます。


 「グラス様……! コバめは、生涯男爵家の奴隷でございます……! ですので、すぐにお供を……!」


 グラス様の御心を安んじようと、コバめは必死に訴えました。

 コバめの生命は、男爵家のもの。グラス様が身罷られると同時に男爵家が断絶なさるのでしたら、コバめの一生もそこまで。グラス様に従って、冥の女神様の御膝元まで参りましょうぞ……!

 そう、決意しての言上でしたのに…………


 「コバ……! 最後の、命令を下す……!」


 再び目を開けられたグラス様の表情は険しく、まるでコバめを叱るように厳かに申されました。


 「私の死後……殉死を、禁ずる……! そなたは、ひとりのゴブリンとして、己が生を全うせよ……! 良いな……!? しかと、申し渡したぞ……!」


 「なっ……!? グ、グラス様……っ!?」


 思いもかけない御命令に、コバめは言葉を失いました。


 「生きよ……!! コバ……!!」


 断固としたお言葉で、はっきりとそうお命じになるグラス様。死を目前に控えられた御方とは思えぬ程、その目は強い光を宿しておられました。


 「シラ……。済まぬが、頼みがある……」


 グラス様はそれきりコバめから視線を外し、再びシラ様と向き合われます。


 「コバを、引き受けては、くれぬか……? 旦那を喪ったばかりのお前に……こんな事を望むのは、無神経だとは判っておるが……」


 「……承知しました。彼のことは、私が責任を持って引き取ります。あなたの……兄上の息子も同然の子ですもの。決して、粗略にはしませんよ」


 「……かたじけない」


 心から安堵したように深い溜息を吐かれて、グラス様は今度はジェイデン様に御顔を向けられました。


 「司祭殿……。非公式ながら……コバの譲渡の、保証人となっては頂けぬか……?」


 「勿論ですとも、グラス殿。只今この場より、コバの身柄は男爵家からシラ殿へと移譲されました。簡素ながら、今此処で書面にしたためましょうぞ」


 そう申され、ジェイデン司祭様は羽ペンを手にされると、寝台脇の小棚から用紙を取り出し、その上に今の旨を書き記し始めました。

 コバめはどうしたら良いのか分からず、ただ呆然と立ち尽くすのみ。

 シラ様は椅子から腰を上げ、そんなコバめの前に歩を進めて来られました。


 「聴いてたね? 今日から、あんたは私のところへ来るんだよ。良いね?」


 穏やかな表情で、小さな子供に言い含めるようにそう申されるシラ様。

 その御顔を見た時、コバめは不意に母様を思い出してしまいました。


 「さて、それじゃあまず紹介しとこうかね。私の娘で、あんたの姉になる子だ。――こっちへおいで」


 シラ様を部屋の扉の方を振り向くと、そちらへ向かって手招きします。

 そして、そこからひょっこりと、小さな女の子が顔を覗かせました。この間、母様を弔った日にコバめに悪意をぶつけてきた子供達と、同じくらいの御年頃でしょうか。

 

 「……あなた、これから私の家の子になるの?」


 女の子はコバめの姿に顔をしかめるでもなく、罵声を放つでもなく、躊躇う様子も一切見せずにコバめの前まで歩いてくると、ただただ透き通った目でコバめを見つめました。

 不思議そうに、興味深そうに――。

 そして、俄に破顔して元気いっぱいに申されたのです。


 「あたし、サーシャ! これからよろしくね!」


 初めて自分に向けられた、太陽のような笑顔。

 それが、サーシャ様との出逢いでございました――。




 ……………………。


 …………。


 ……。

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