第百五十四話
「の、登れって言うんですか!? この、階段……? を……?」
僕達の下に広がる紫の魔法陣から続く、宙に浮かぶ無数の光る板……もといカラフルな光の階段を、僕はもう一度恐る恐る見上げた。虹の七色を一段ずつ、規則正しいサイクルで順繰りにまぶしたそれは、何重もの螺旋を描きながら遥か上へと伸びている。それだけなら、今しがた此処にあった塔の螺旋階段と同じだ。
違うのは、階段の途中に扉が無いこと。それと、最上段が此処からでも視認出来ることだ。
目測、およそ三十メートル。建物の高さにして約十階くらいの高度で光の階段は打止められており、終点には小指程の大きさの扉がひとつ、最上段に繋がってぽつんと置かれているのが見て取れた。
「言わずもがなであろう。お前が捜している者達は、あの扉の先に居る。彼処に見える扉こそ、お前が捜している者達の“記憶”を収めた室であるのでな」
慄く僕の胸中などお構いなしに鉄仮面の人物が言う。
「この光の『階』は、いわば“渡り人”の特権よ。望む人物の“記憶”を抜き出し、直に案内する。折角の優遇措置なのだ、使わぬ手はあるまい?」
鉄仮面の人物が階段に足をかける。土台も無ければ桁も無い、ただの踏み板が連なっているだけにしか見えないが、鉄仮面の人物が上に乗っても微動だにすること無くしっかりと宙に固定されたままだ。
「二の足を踏んでいないで早く来るが良い。本気で友を助けたいのならば勇気を奮い起こすことだ、ナオル」
言いたいことだけ言い捨てると、鉄仮面の人物は僕に構わずどんどん階段を上ってゆく。
「…………!」
僕は肚をくくった。どの道、他に選択肢は無い。
この先にコバとフィオラさんが囚われていて、助けられるのは僕しか居ないのだから。
僕は深く息を吸うと、意を決して光の階段に足をかけた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
七色の光る階段を、鉄仮面の人物に従って黙々と上る。
段の隙間から何気なく下を覗いてみると、最下段に繋がる紫の魔法陣は既に大分小さくなっており、相当な高さに至っていることを否が応にも認識させられる。三十メートルと言えば短距離走にも満たない距離なのに、『高度』という要素が添えられた途端に危険極まりない数値になってしまう。
「(もし、足を踏み外して此処から落ちたら…………)」
ろくでもない想像が頭の中をよぎり、冷や汗が頬を伝う。落下防止用の柵も手すりも無い。万が一足を滑らせようものなら、そのまま真っ逆さま。地面に叩きつけられて墜死するならまだマシかも知れない。全てが闇に支配され、僕達だけが取り残されたかのようなこの空間に、この階段とあの魔法陣以外の足場なんてあるのだろうか? もし外に飛ばされたら、永遠の暗闇の中を何処までも落ち続ける……なんて結末が待っている可能性だって否定できない。
「(そうだ、落ちると言えば……)」
僕はふと思い出した。ネルニアーク山でワームに崖から落とされた時。一緒に落ち行くコバとメルエットさんを死なせまいとして、僕が風の魔法を使ったと思しきあの瞬間。
結局、あの時に実際何が起きたかは今も分からないままだ。コバとメルエットさんに伸ばした掌の先に浮かんだあの魔法陣は、明らかに僕が描いたものじゃない。ひとりでに浮かび上がってきただけだ。あれは所謂奇跡か何かだったのか。
仮に奇跡だったとして、そんな都合の良いものが二度も起きるとは思えない。
僕は生唾を飲み込み、前を行く鉄仮面の背中に視線を向けた。
鉄仮面の人物は悠々と歩を進めており、後ろを振り返る気配すら無い。
「(無防備に背中を晒してくれちゃって……。僕が背後から襲いかかってくる、とか全く考えていないんだろうな)」
もし此処にローリスさんが居たら、『隙だらけだぜ!!』とか言いながら喜々として大槌を叩き込むだろうか?
……いや、ローリスさんでもやらないだろう。むしろ彼なら、僕以上に現状のヤバさをしっかり理解して自重しそうだ。長年戦場を駆けた彼の嗅覚は伊達じゃ無いのだから。
勿論、僕だってそんなことは出来ない。腰に佩いている《ウィリィロン》に手を伸ばそうなど到底思えない。ただ勇気が欠けているからというだけじゃない。
《記憶の塔》について詳しく語っていたことと言い、こんな階段を出現させたことと言い、明らかに此処はあいつの“庭”だ。地の利の加え、人質だって取られている状態では手も足も出ない。迂闊に攻撃を仕掛けようものなら、かなりの確率で最悪の結果を招き寄せてしまうだろう。
「(今は、とにかくあいつに従うしか方法が無い。注意深く様子を探れば反撃の機会は必ず巡ってくると信じて、取り敢えず成り行きに身を任せよう)」
僕は胸元に目を落とし、ペンダントのチャーム部分を再び手で掴んだ。
「(兄さん、姉さん。どうか僕に力を――っ!?)」
二人に祈りを捧げながら顔を上げて、息を呑んだ。
鉄仮面の人物が足を止め、こちらを振り返っていたのだ。冷たい仮面に開けられた細い切れ込みから、纏わり付くような粘っこい視線を感じる。悪寒が背筋を走り抜け、僕も思わず立ち止まった。
「そのペンダント、大切にしている物か?」
無機質な機械の声で、鉄仮面の人物が問いかけてくる。
「お前の、思い出が込められている品なのか?」
「……そうだとしたら、何だと言うんです?」
心の中で警鐘が鳴り響く。質問の意図が分からない。ただ、鉄仮面の人物がペンダントに興味を示しているという事実に、例えようもなく不快で不穏な気分を味わう。ヨルガンにこのペンダントを利用され、『呪印』を施された時にも感じた最悪の感覚だ。
もう一度、あんな事をされてたまるか。僕はペンダントを一層強く握り締め、身構えた。
「思い出……“記憶”……。それは、人が前に進む為の原動力だ。行動を起こす際の指針にして起爆剤だ。現在とは、過去を積み重ねた果ての結び目であるのだから。より良い未来を描き、それを引き寄せるために、人は“記憶”を糧とする。そうして自らの行いを決める。たとえそれが他者から見て間違っていようと、な」
「……モントリオーネ卿も、似たようなことを言っていました」
「当然だ。あやつも我の薫陶を受けているのだから」
あっさりと繋がりがあることをバラすが、鉄仮面の人物は特段意に介している様子も無い。モントリオーネ卿との関係など、言質を取られたところで構わないと考えているのか。
「この《記憶の塔》は、そんな人々の思い出の保管庫よ。自らの過去と向き合うのに、此処程適した場所は他に無い」
またも言いたいことだけを言い終えると、鉄仮面の人物は顔を前に戻して歩みを再開する。僕もまた、不快感と不安感を燻ぶらせながらも無言でその後を付いていく。
転落の恐怖に震えながら上り続けた光の階段にも、とうとう終わりが訪れる。
最上段まで辿り着いた僕達の目の前に聳えるのは、何の変哲もない木目の扉だ。周囲に広がるのは、やはり絶対の闇黒。一見するとその扉の先に部屋があるようには見えない。
「では、お客人と会って頂こう」
扉の前に立った鉄仮面の人物が、取っ手に手を掛けた。おもむろに押し広げ、何の躊躇もなく中に身を滑り込ませる。
「さあ、入るが良い」
僕は深く息を吸い、鉄仮面の人物の後に続いて扉の先に足を踏み入れた。
「わぁ……!」
そこは、今の今まで居た暗闇の空間とはまた異なる趣をしていた。
一言で言うなら、果てしなく広がる灰色の空に浮かぶ、巨大な白い円盤。ただそれだけの殺風景な広場の中央に、アクセントを加えるように置かれたトーテムポールにも似た一本の太い柱。
そしてその周囲を取り囲むように座って項垂れている三人の人物――。
「コバ!! フィオラさん!!」
僕はその中に捜し求めていた二人の姿を認め、矢も盾もたまらずに駆け出した。さっきまでの暗闇と違い、此処には確かな足場がある。駆け寄るのに躊躇いは無かった。
僕の声が聴こえていないのか、コバもフィオラさんも全く反応しない。身動ぎひとつせず、まるでトーテムポールを拝むかのように前のめりの姿勢で突っ伏している。
彼らの周囲には、キラキラと粉のような光の粒子がいくつも舞っていた。
あれは何だろう? ――と頭を掠めはしたが、すぐにより大きな感情の波に押し流されてしまう。
「コバ!! 僕だよ! 迎えに来たんだ!!」
とうとう傍まで辿り着き、僕はすかさずコバを引き起こそうとその小さな肩に手を伸ばした。
そして、彼の肩に手が触れた瞬間――
「っ!? なっ――!?」
僕の頭の中で火花が散り、光が弾けた。




