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竜の階  作者: ムルコラカ
第四章 忍び寄る闇雲
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第百五十三話

 「ささやかな旅路とは言え、“箱庭”での冒険を経て少しは逞しい顔付きになったでは無いか。なぁ、ナオル?」


 鉄仮面の人物が、手に持った樫の杖で軽く地面を突きながら続けざまに語り掛けてくる。彼、もしくは彼女が被っている鉄仮面は目元にごく薄い切れ込みが入っているだけで、顔面のみならず耳元や髪の毛、更には後頭部からうなじに至るまで全てを覆い隠してしまえる形状のものらしく、被っているフェザーハットも相まって素顔は全く分からない。

 着込んでいる紺色の法衣は分厚く、身体のラインが出にくい構造をしており、肩には左右に向かって水平に伸びる金属製のパッドまで当てられて、その下から伸びるケープのような布切れが胸部を覆っている。こちらからでも男女の判別すらつかない。

 極めつけはその声。どう言えば良いのか、上手い表現が見つからないが……鉄の塊に紙やすりを擦り付けたような音を、スタンドマイクで拾ってスピーカーから流しているような……とでも言えば良いのだろうか? 非常にノイズが掛かった、それでいて発音はしっかりしている声であり、聴いているだけでぞわぞわと肌が粟立つ。とても人間が発しているものとは思われなかった。

 ……いや、もしかしなくても肉声じゃないのかも知れない。こんな出来の悪い機械音声みたいな声、ボイスチェンジャーなんて便利な代物がこの世界に存在するとは思えないが、魔法で代用するとかなら実現……。


 「どうした? 折角こうして会えたのだ、お前も何か話したらどうだ? それとも、だんまりを決め込んでいれば事態が好転するとでも思っているのか?」


 内心の驚愕を抑え込み、必死に相手の観察に努めている僕に向かって、鉄仮面の人物が挑発するように促してくる。


 「あなたは…………誰、ですか?」


 動悸と荒い呼吸に耐えながらどうにか開いた口から出てきたのは、やはり月並みな疑問だった。


 「お前はそこまで愚者ではあるまい。見当はついているであろう?」


 僕が返事をしたことに気分を良くしたのか、得体のしれない鉄仮面が楽しそうに肩を揺する。感情の乗らない機械音声も(便宜上そう呼ぶことにする)、心做しか響きに喜悦の色が加わったような気がした。


 「……ミアの、“主”さん?」


 そう、僕をこの世界に突き落とす直前に彼女ははっきりと口にしていた。《我が主が待っている、“渡り人”》と。

 あれは明らかに僕に向けて言った言葉だった。ということはつまり、ミアの目的は……


 「正解だ。少々のトラブルはあったようだが、あやつは無事に任務を果たしたようだな」


 「初めから、僕が目的だったんですか? 僕を此処に引きずり込む事が……」


 「如何にも。館へ忍び込み、お前を生かしたままこの世界へ誘う事。それがあやつに与えた仕事だった。謁見の際に共に王宮に呼び付けて仕掛けるという手もあったのだが、厄介な邪魔立てが入る可能性が高かったのでな。先手を打たせてもらった」


 事も無げに言い放つ鉄仮面の人物。だが、その言葉には違和感がある。


 「変ですね。ミアは最初、僕を殺そうとしてきましたよ? 暗闇の中で、僕の首筋目掛けてナイフを奮ってきたのはついさっきです」


 そう、あの時の後ろ髪を掠めた感触は今もしっかり残っている。あの瞬間、ミアは間違いなく殺しの標的を僕に定めていた。フォトラさんが助けてくれなかったら、とっくに僕はお陀仏だ。


 「それは無い、お前の誤解だ」


 鉄仮面の人物は僕の指摘した矛盾に首をかしげるでも無く、これまたあっさりと告げた。


 「先の酒蔵での顛末は、われもこの中より視ていた。ミアがお前の首筋に叩き込もうとしたのは、手刀だ。お前を気絶させ、あのエルフを片付けてからゆっくり事を成すつもりであったのだろうよ」


 「視ていた? この中から?」


 むしろ、眉を顰めたのは僕の方だ。この人、一体何を、何処まで把握しているのか。


 「ミアとわれの心はひとつよ。あやつは決して我を裏切らぬ」


 泰然とした様子で鉄仮面の人物は断言する。随分とミアを信頼しているようだ。

 

 「そうですか。そんなに大事な存在なら、早く助けに行ってあげたらどうですか? 今頃、彼女は大変なことになっているかも知れませんよ?」


 ミアとフォトラさんがこの場に居ないのなら、恐らく二人はまだあの酒蔵に残っているのだろう。ただでさえ妹の危機に冷静さを欠いていたフォトラさんが、騙し討ちを仕掛けてきたミアに対して何をするか、想像するだけで怖い。


 「ほう、このような状況にあっても敵の安否を気に掛けるか? 随分な余裕ではないか。お前が気にするべき相手は他に居ように」


 「…………」


 こう言えば何かアクションを起こすかも、という淡い期待は脆くも崩れた。むしろ逆にプレッシャーを掛けられ、胃の腑がぐっと締め付けられるような痛みを覚える。主導権はあちらに掌握されている。少なくとも今の段階で駆け引きを仕掛けるのは、無理だ。

 仕方無い。こうなったら、少しでも多くの情報をこの人から得よう。この相手は、僕との会話を望んでいる。そこを蟻の一穴として狙っていくしか、方法は無い。


 「此処は、何処ですか? ミアは『鏡の中の世界』だと言ってましたけど」


 「より正確に言うなら『鏡を通じて行き来出来る空間』といったところだな。あの鏡は、いわば“門”よ。この《記憶の塔》に繋がる道筋の、な」


 「記憶の、塔……?」


 僕はもう一度、この場所を見渡した。無限に伸びる壁と二つの螺旋階段、そして無数の扉が変わらずそこにある。


 「……あの扉の先に、“記憶”があるということですか?」


 「察しが良くて助かる。如何にも、この塔は古今東西、あらゆる者がその生涯において体験した“記憶”の保管庫。生ける者も、死んだ者も、“箱庭”に置かれたあらゆる存在の“記憶”が、此処には収められている」


 「全ての、“記憶”が……」


 なんとも凄まじくスケールの大きな話だ。道理で天辺が見えない訳だ。世界に生きる全ての人々の“記憶”なんて、どれ程の量になるのか僕には想像もつかない。


 「そんな空間が存在するなんて…………」


 「《始祖竜》の遺した神秘。“シー族”の古い伝承ではそう言っているな」


 圧倒されている僕に、鉄仮面の人物がそう補足を入れた。

 始祖竜。久し振りに聴く単語だ。


 「《竜始教》……」


 「そうだ、“シー族”こそがその創始者だ。竜を祀り、崇め称える《原初の民》共が興した教えよ」


 意外なところで意外な事実が判明した。それはそれで凄く興味深いけど、今は他にもっと大事なことがある。


 「それで、コバとフィオラさんは此処に居るんですか?」


 「ああ、あのゴブリンの男児とエルフの女であろう? 確かにミアが申した通り、あの二人と……ついでにミアに協力していたあの男は、お前に先駆けてこの《記憶の塔》に送り込まれて来たよ」


 あっさりと、鉄仮面の人物は僕に教えてくれる。あの男と言うのは、二人を酒蔵に案内した使用人のことで間違いないだろう。やはり、買収されたか何かでミアやこの鉄仮面の人物に加担していたようだ。折を見て僕と接触して僕だけを酒蔵に誘い込むつもりだったのだろうが、その前に夜目の利くコバによって運悪くミアが発見され……というのが大方の顛末だろうか。


 「……何処に、居るんですか?」


 「こちらの予定に無かったとは言え、折角お越しになられた客だ。別の間で、それなりの持て成しをさせて頂いている」


 鉄仮面の人物がまたも肩を揺らした。冷たく無機質な鉄面の向こうで、嗜虐的な笑みを浮かべている様がまざまざと想像出来た。


 「会わせて、下さいませんか?」


 「自分で捜してみたらどうだ? あの扉の先のどれかに居るかも知れんぞ?」


 そう言って鉄仮面の人物は上階を指差す。繰り返すまでもなく、その先にあるのはあの膨大な数の扉達だ。


 「ぐっ……!」


 僕は恨めしげに鉄仮面の人物を、そして無数に点在する“記憶”の扉を睨んだ。

 あの中のどれかに、コバとフィオラさんが囚われている。扉の先には誰かの“記憶”が詰め込まれているという話らしいが、実際にどうなっているのか皆目分からない。ミアは『あの鏡は中に取り込んだ人の生命を吸い取る』と言っていた。彼女の主人でこの一件の首謀者である鉄仮面の人物が此処に居る以上、あの言葉は僕を罠に掛ける為の方便という可能性も高いが、此処に長く留まればそれだけ状況が悪化するということには変わりはないだろう。

 早く見つけなくてはならない。コバとフィオラさんを助けられるのは、僕だけだ。やるしかない!

 だが覚悟を決めて僕が階段に向かって足を踏み出そうとすると、それに冷水をぶっ掛けるように巨大な不協和音が轟いた。


 「アッハッハッハ……! 冗談に決まっているだろう? 本気にするなよ、ナオル!」


 発しているのは、無論鉄仮面の人物だ。腹を抑え、さも可笑しそうに身を捩っている。


 「な、なんですか……!?」


 突然の大笑いに加え、やたらとフランクになった口調に果てしない不快感を覚える。ザラザラとしたノイズ混じりの機械音声だけに、一際不気味で恐ろしい。

 

 「フッフッフ……! クククッ……!」


 ひとしきり笑った後、鉄仮面の人物は威儀を正すように背筋を伸ばし、改めて僕を正面から見据えた。


 「心配せずとも、われが会わせてやろう。本番前の良い“余興”になるであろうしな」


 そう言って、手に持った樫の杖を高く振り上げ、勢いよくその先端を床に叩きつけた。

 カツーン! という小高い音が、振動を伴って周囲に広がる。

 そして、変化が起きた。


 「えっ――!?」


 床一面に、魔法陣が描き出されていく。複雑な紋様や術式が編まれたそれは、浮かび上がった端から紫の光を放ち始めて僕と仮面の人物を包み込む。


 「何を――!?」


 また何処かへ飛ばされるのかと身構えるが、どんどん眩しくなるその光に抗するべくもない。半ば諦めつつ腕を目の前にかざして目を細めていると、予想とは異なる光景が視界に流れた。


 「――っ!?」


 僕と鉄仮面の人物を残し、全ての空間が歪み、細かくひび割れて砕け散る。壁も階段も扉も、今しがた立っていた床さえもが消え、メッキが剥がれ落ちるように霧散したその後から漆黒の暗闇が姿を表す。

 落ちる――! 本能的にそう覚悟したが、全身を襲う浮遊感も落下する衝撃も無い。見えない床が存在するかのように、僕の足の裏には今もしっかりと固い地面を踏み締める感覚がある。そして、それは鉄仮面の人物も同じだ。まるで、光る魔法陣そのものが床の代わりとなって僕達を支えているかのようだった。

 僕と、鉄仮面の人物と、紫の光を放つ魔法陣。それらだけが残った闇の空間に、次なる変化が現れる。


 「っ……!? か、階段……!?」


 魔法陣の中心から、アクリル製の分厚い板のようなものが何段にも渡って出現し、上空へ向かって伸びていく。さっきの壁にあった階段のように螺旋を描き、何処までも上へ上へ――。

 紫だけではない、七色の異なる光をそれぞれに有し、一定のサイクルで繰り返すそれらはまるで――


 「虹……? 虹の、階段……!?」


 カラフルで神秘的とさえ言えるようなその光景に、僕は思わずそう呟いた。


 「“渡り人”だけが使える特別な『きざはし』だ。目当ての“記憶”がある場所まで、迷わずに辿り着ける」


 鉄仮面の人物が感情の乗らない機械的な音声でそう説明し、僕に向かってゆっくりと手袋が嵌められた手を差し伸ばした。


 「さあ、共に往こうか、今世の“渡り人”殿」


 鉄仮面の奥で、獲物を見定める鷹のような目が、僕を捉えているような気がした――。

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