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竜の階  作者: ムルコラカ
第四章 忍び寄る闇雲
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第百四十七話

 翌日――。

 王都のイーグルアイズ邸は、まだ日中であるにも関わらずさながらお通夜のような厳粛さに満ちた雰囲気に包まれていた。

 それもその筈。これから此処で行われるのは、まさにそのお通夜――もといお葬式に他ならないからだ。


 「司教様、本日はわざわざ当家までお越しいただき、まことにありがとう存じます」


 分厚い法衣を纏った聖職者を前にして、メルエットさんは深々をお辞儀した。


 「メルエット嬢、ご遠慮は無用です。彷徨える魂を清め、あるべき場所へ導くのは我々の務め。むしろ我らが大聖堂へこうしてお声を掛けて下さったことを感謝致しておりますよ」


 柔和な顔つきをした《聖還教》の司教が、人格者然とした穏やかな物腰で語り掛けながら、深いシワの刻まれた目元を温厚に垂れ下げて福々しく肥えた身体を揺すった。


 「では、早速ですが鎮魂の儀をお願いしてもよろしいでしょうか?」


 「勿論です。斎場はどちらになりますかな?」


 「私がご案内致します。こちらへどうぞ――」


 簡潔なやり取りを終えると、メルエットさんと司教さんは共に連れたって館の奥へと歩いてゆく。

 僕とマルヴァスさんは、全身の神経を研ぎ澄ませてその後ろに付いた。

 謁見を明日に控えて今日一日の時間を確保した僕達は、この機会に旅の道中ずっと心残りだった皆の葬儀を済ませてしまうことにした。

 あのネルニアーク山での戦いで、メルエットさんを護る為に生命を散らした護衛の兵士さん達――。

 僕達はあの時、オークやワームの追撃から逃れるのに精一杯で、彼らの遺体はおろか遺品の回収すらも諦めざるを得なかった。

 メルエットさんに拠ると、彼らの亡骸はヨルガンの手によって《竜始教》流の火葬に処されたという話だったが、そのやり方は随分杜撰で死者に対する敬意も弔意もあったものでは無かったらしい。罠に嵌められた挙げ句無残に討たれ、その上憎き敵の手で雑に葬られたとあっては彼らもさぞかし死にきれないだろう。いずれ自分達の手で改めて正式な手順に則った弔いをしたいというメルエットさんに考えに、僕達の誰も異論のあろう筈が無かった。

 そして今日、ようやくその機会が巡ってきた。昨日館に到着してからメルエットさんが真っ先に着手したのが、王都に堂々と居を構える《聖還教》の大聖堂に使いを立てることだ。急な話にも関わらず、大聖堂側は彼女の願いを快く引き受け、即座に明日司教さんを派遣すると約束してくれた。

 それから今に至るという訳だ。


 「……マルヴァスさん、どうですか? 変な気配とか感じますか?」


 視界に入るどんな不審物でも見逃すまいと気を張りながら、僕は隣を歩くマルヴァスさんに小声で話しかけた。


 「いや、今の所は特に。今朝も念の為に館を一周りしたが、誰かが潜んでいる様子は無かった」


 マルヴァスさんは眠そうな顔で、あくびを噛み殺しながらそう言った。


 「……やっぱり、僕の見間違いだったんでしょうか? それとも、もう館の外に逃げたとか……」


 「その可能性もある。大抵の刺客なら、暗殺を仕掛ける前に発覚したら速攻で口封じを図るか、もしくはその時点で諦めてさっさと逃亡するかだ。こうしてナオルやメリーが今も息をしているってことは、その奴さんは後者を選んだのかもな」


 「……なんだか、ごめんなさい。そう言われると、アレが本当に人だったのかどうかも自信が無くなってきました……」


 僕の報告を受けて、昨夜の館では厳戒態勢が敷かれた。館に勤めている兵士さん達全員が夜通し寝ずの番をし、館中を捜索したのだ。マルヴァスさんも、フォトラさんもその輪に加わっていた。お陰で皆寝不足だ。これで実は僕の見間違いでした〜って話になったら申し訳無さ過ぎる。


 「気にすんな。今のメリーの立場を考えれば何が起きても不思議じゃねぇんだ。むしろこれくらいの緊張に包まれていた方が丁度いい。それよりも、謝るなら迂闊に不審者の影を追ってバルコニーの手すりに近づいたことな。もし俺がそいつだったら、ナオルをそこまでおびき寄せてから中庭に引きずり落としてただろうよ」


 「あぅ……ご、ごめんなさい……。軽率でした……」


 ぐぅの音も出ない正論だ。そう考えると、僕が今生きているのも大層な幸運のお陰だと言えるだろう。


 「素直でよろしい。……まァ、やすやすと死角に近づいたのは良くないが、お前の行動は別に間違っちゃいねぇよ。むしろ……」


 と、マルヴァスさんはそこで後ろを振り向き、


 「コイツの方が役に立ってねぇからな」


 溜息混じりに呆れた声を吐き出す。


 「お嬢様の前には出ない……跪いた際の姿勢は綺麗に……宮廷では口を開かない……万が一問われた時の受け答えは……ブツブツ……」


 すっかり生気の抜けた表情で、ブツブツと不気味に独り言を零しながら背中を丸めてトボトボと歩く大男。

 言うまでもなく、ローリスさんだ。

 普段の益荒男ぶりは何処へやら、精根尽き果てたと言わんばかりの変わり果てた姿である。あまりの憔悴ぶりに、今朝顔を見た時は本気で別人かと驚いた。


 「あの……ローリスさん、大丈夫ですか……?」


 無駄だと分かっているが、一応声を掛ける。


 「我が主にまで申し上げます……直答じきとう……ダメ、ぜったい……」


 案の定、僕の言葉なんか聴こえていないように自問自答とも言える独白を続けるローリスさん。一体何があったらこんな風になってしまうのか。というか、ちゃんと生きているのだろうか?


 「あの婦長のイザベルさんとやらに相当シゴかれたみたいでな。身だしなみを始めとして礼儀礼節言葉遣い、ありとあらゆる部分を徹底的に矯正すべく猛特訓をさせられたんだと」


 「ああ、そう言えば昨夜メルエットさんも言ってましたね。謁見に向けて騎士に相応しい振る舞いを身に着けさせるべく、イザベルさんにローリスさんの指導を頼んでるって」


 その結果がこれか……。あのローリスさんをここまでやつれさせるなんて……イザベルさんって何者だ?


 「国王の御前に出られるヤツなんて、メリーの他じゃコンラッドから正式に騎士の叙任を受けたローリスしかいないからな。生来の粗暴さを抑える為にゃ仕方ねぇのかも知れねーけど、使い物にならなくしてどうすんだ」


 確かに、メルエットさんに暗殺者が迫っている恐れがあるかも、という状況にも関わらずローリスさんはこの体たらくだ。いつもの彼なら目を血走らせてメルエットさんを護るべく奮起してるだろうに。


 「案外、イザベルさんこそが間者だったりしてな。それか、若い男の精気を吸って生命を永らえている魔女かなんかの類か」


 「ちょっと言い過ぎですよ、マルヴァスさん」


 お決まりの軽口だろうが、流石に不謹慎だ。万が一にも本人の耳に入ったらどうするんだろう?

 ちなみに、そのイザベルさんは只今厨房で料理人達の監督に当たっている。葬儀が済んだ後に司教さんをもてなすべく、食事の用意を担当しているとのことだ。なので陰口を叩いても直接は聴こえないだろうが、壁に耳あり障子に目あり。後で告げ口でもされたら困るのはマルヴァスさんである。


 「ゴホンッ……!」


 前を行く司教さんが咳払いをする。メルエットさんも、横顔でマルヴァスさんを軽く睨んでいた。どうやら二人にも聴こえてしまったらしい。


 「おお、怖っ。んじゃ、ぼちぼち黙るとすっかね」


 僅かに首を竦めつつ、マルヴァスさんは苦笑いで口を閉じた。

 そう言えば、と僕は再び前を向いたメルエットさんの後ろ姿を眺めながら、全然関係無いことに考えを馳せた。

 昨夜のあの話、あのままなし崩し的に棚上げになってしまったな。


 『“あの娘”とは、どんな関係だったの?』


 ――どうして、あの言葉を聴いた時に僕の心はあんなにもささくれだったんだろう? 友達だったって、その一言が何故言えなかったんだろう? 前にメルエットさんから激しく責められた時には、弾劾されることへの安堵感すら覚えていたくせに……。メルエットさんが“彼女”について触れるのがそんなに嫌だったのか? あの時と今で、何が違う?

 ぼんやりと浮かび続ける疑問に、応える声は無い。


 「余計な身動ぎはしない……目線も動かさない……咳きなどもってのほか……」


 ローリスさんだけが、壊れたラジオのように独り言を呟き続けていた。







 斎場は館の一階最奥、講堂のような広い部屋に用意されていた。元々は来賓を招いてのパーティなどを開催する為の部屋らしいが、今は各所に白い布が垂らされ、《聖還教》のシンボルである三角形の紋章が刻印された祭壇が中央に置かれていた。

 祭壇の前には、およそ三十を数える剣がそれぞれ等間隔で寝かされ、その手前には白磁のコブレットが添えられていた。あの中にこれからひとつひとつ清めの酒を注ぎ、司教さんが経文を唱えることで葬儀を進行させていくらしい。剣は旅で犠牲となった兵士さん達を示し、コブレットは彼らに供えるお酒の器だ。


 「メルエット殿、少しよろしいか?」


 斎場の手前まで来た時、中から扉が開かれフォトラさんが顔を出した。彼には、館の使用人さん達と一緒に斎場の支度を手伝ってもらっていたのだ。


 「なんでしょうか、フォトラ殿?」


 司教さんに断ってから、メルエットさんはフォトラさんと共に壁近くへ移動した。僕達もそちらへ近づく。


 「実は、清めの薬酒を取りに行ったフィオラとコバ殿がまだ戻ってこないのだ」


 「えっ……?」


 僕は思わず声を上げた。司教さんを出迎える前から、コバは僕の傍には居ない。《聖還教》はゴブリンを嫌っているからコバは姿を見せない方が良いだろうと思って、彼には葬儀で使う薬酒の調達をお願いしていたんだ。フィオラさんも一緒だというから安心していたんだけど……


 「薬酒は地下の酒蔵にあります。広いし暗い上に保管されている酒の種類も多いから、まだ見つけられていないだけかも知れません」


 そうは言いつつも、メルエットさんも不審の念を抱いているのだろう、形の良い眉の根がキュッと寄せられていた。


 「酒蔵の管理を担当している使用人も一緒に行かせたんだよな?」

 

 と、マルヴァスさんが確認する。


 「ええ……。酒類の保存から出納まで一切をまかせている者です。彼が共に居るなら、目当ての薬酒を取り出すのにそう時は掛からないと思っていたのですが……」


 歯切れ悪く、メルエットさんは言葉尻をすぼませた。


 「私が行って見てこよう」


 「あっ……! じゃ、じゃあ僕も行きます!」


 卒然と名乗り出たフォトラさんに乗っかるように、僕も手を上げた。

 嫌な胸騒ぎがする。早くコバとフィオラさんを見つけて、安心したかった。


 「…………」


 メルエットさんは、僅かに逡巡するように僕とフォトラさんを交互に見た後、


 「……分かりました。よろしく、お願いします」


 ぐっと目に力を貯めて、強く頷いたのだった。

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