第百四十二話
「おお〜……!」
王都の外観を遠望した時、思わず喉から感嘆の声が漏れた。
まず、何よりもその巨大さに圧倒された。滑らかな街道を挟む広大な平原の彼方に、まるで国境線のような長大な壁が真一文字に立ちはだかっている。そしてその向こうには件の竜牙の塔を始め、外壁以上の高さを誇る建物群もちらほら見える。そのいずれもが、遠目からでも分かるくらいに綺羅びやかで豪奢な造りをしていた。
全貌を視界に収めることなど到底叶わない。万里の長城もかくやと思えるような外壁の威容から考えても、その奥に広がる街並みがどれ程の規模を持っているか、僕には想像もつかなかった。
「ああ、フィンディアだ。懐かしの我が故郷――ってな」
苦笑いの中に僅かな郷愁を含ませてマルヴァスさんが呟く。実家を勘当されて王都を去った彼にしてみれば、複雑な想いを抱えての帰郷になるのだろう。
「あれが、王都かよ……! すげぇな……! マグ・トレドの何倍ありやがんだ……!?」
「見事なものだ、ドワーフの地底都市ともまた違った趣がある。あれだけの建築物、ワイルドエルフでは考えられん」
「でっかいね〜! これまでに無い詩想が沢山湧いてきそう!」
ローリスさんや、フォトラさんフィオラさんも、三者三様の反応を浮かべながら王都に目が釘付けになっていた。
「どうですか、勇壮にして美麗でありましょう? 壁の向こうに広がる街並みにも期待して頂いて構いませんぞ」
僕達の乗る荷台の傍らで馬を駆けさせているゲオルグ侯爵も誇らしげだ。が、それも僅かな間ですぐ真顔に戻り、メルエットさんに視線を向けた。
「時にメルエット殿、本当に王宮までお連れしなくてよろしいのですかな? 謁見の手筈が整うまで城にて皆様を保護なさろうというのが、殿下のご配慮なのですが」
言いながら、前方を走る王族専用の馬車に目を移す。既にラセラン王子が中に居る。王族たるもの、王都へ凱旋の際は衆目に生身を晒してはならず、必ずこの馬車に乗らなくてはならない……などとゲオルグ侯爵から熱心に説得され、渋々といった感じで乗り込んでいた。『また爺が弧を檻車に押し込めようとする……』などと文句を口にしながら。
「殿下のお心遣いに背くのは大変心苦しく思っております」
メルエットさんは申し訳無さそうに頭を下げた。しかし、彼女の意思は変わらない。怯みのない声で続けた。
「しかしながら、我々は旅の塵に塗れた身。それを清めずして王宮に足を運ぶのは陛下に対して甚だ不敬。故に、まずは王都にある我がイーグルアイズ家の館に入り、心身を修めつつ王宮からお声が掛かるのを待つのが道理であると存じます」
「平時であればそうでございましょう。しかし、今は非常時です。メルエット殿の御身は、ご自身が考えておられるよりずっと貴重で大切なのです。こんな事を申し上げるのはこちらとて心苦しいが、万が一という可能性を考えれば、やはりこのまま我々にご同行頂くのが最も安全確実かと私は考えますぞ」
万が一、という言葉に僕の心臓が跳ねる。それは……どういう意味で言っているのだろう?
メルエットさんやローリスさんも身を固くする。息が詰まるような緊張が僕達とゲオルグ侯爵の間に広がりかけた時、前方から爽やかな声が飛んできた。
「良いではないか、爺。メルエット嬢にも都合があろう、無理強いするものでは無い」
「殿下っ!! なんとはしたない! 早う御顔をお下げなされ!」
ラセラン王子が、馬車の小窓から首を突き出してこっちを振り返っていた。それを見たゲオルグ侯爵が例のごとく顔を真赤にして怒鳴る。
それを笑顔で聴き流しながら、王子はメルエットさんに向かって言った。
「メルエット嬢、陛下には弧から仔細を上申しておこう。瑣末事には煩わず、御身の館で休まれるが良い。これまでずっと過酷な旅を経てきたのだ。今の貴君には何をおいてもまず休息が第一であろう。自らの館ほど、心身を落ち着けられる場所は他に無いであろうしな」
「……重ね重ねの御慈悲、今はお返しする術もございません。殿下の御恩には、いずれ必ずお報い致します」
「うむ、ではこれで話は纏まったな。残りの道中は短いが、その間も宜しく頼む」
快活な笑みを浮かべたまま、王子は再び顔を引っ込めた。
駆け引き、なのだろうか? それとも、裏のない純粋な厚意?
……分からない。どっちとも判別が付かず、彼の乗る馬車を僕は複雑な想いで眺める。
ふと隣を見ると、マルヴァスさんもまた、意味深な目を王子の馬車に向けていた――。
外壁に設えられた凱旋門を潜り、王都の内部へ入る。
途端に、周囲から歓声が轟いた。大通りの左右に民衆がひしめき合って王子の帰還を迎えていたのだ。
その量、その熱気、そして人々の向こうに広がる意匠を凝らした瀟洒な街並み。
全てが、予想を遥かに上回っていた。これが王都。花の都というのはこういうものを言うのだろうか。
圧倒的な格の違いを見せつけられて、僕だけでなくローリスさんまでも気圧されたように身を竦ませている。コバは言わずもがなだ。
対照的に、メルエットさんやマルヴァスさんは毅然としていた。フォトラさんは物珍しそうに首を巡らせていたものの、やはり物腰は落ち着いていた。
「わはーっ! 此処が王都なんだ〜! すっごく賑やか! 人々は活気に満ちてるし、街の造りも豪華だし……あっ! あの子今こっちに手を振ってくれた!」
フィオラさんは、まあ……普段どおりだ。
「皆々よ、出迎えご苦労! そなた達の心尽くし、弧は大変嬉しく思うておるぞ!」
ラセラン王子は、再び馬車の小窓から顔を覗かせて自分に呼びかける大衆の声に手を振って応えた。その姿を見て、彼を取り巻く人々が更なる歓喜の大呼を繰り返す。
「凄い人気ですね」
僕は声を潜めてマルヴァスさんに話しかけた。
「ああ、第二王子はあの通りの人だからな。気さくで親しみやすく、下々の者達へのいたわりを忘れない。民衆や兵士達からは広く支持を集めているぜ」
明らかに含みをもたせた言い方だった。僕はマルヴァスさんの懐にそっと目をやった。
そこには、例のモントリオーネ卿の書状がある。ラセラン王子を王位につけんと画策する、彼の計画の一端が記された書状が。
しかし、今のマルヴァスさんの口調には、その陰謀に起因する以上の意図が込められているような気がした。その正体が何か分からないが、今はこれ以上の追及をするべきではないだろう。
僕は問うのを止め、荷台に背中を預けて成り行きに身を任せることにした。
やがて民衆の列が途切れ、王子の一団は民衆の住まう区画から貴族達の居住区へと差し掛かる。
その境界には、外部と同様に両者を隔てる内壁が建てられており、その門を潜った後に僕達一行は王子達と別れた。
「ではまた、メルエット嬢。本当は貴君の館まで送ってやりたかったところだが、規則規則と煩い誰かのお陰でそうもいかなくてな」
「御無用に願います、殿下。此処まで我々を伴って頂けただけでも身に余る光栄なれば」
「せめてもの埋め合わせに、貴君らの到着を報せる使者は送っておいた。館へ辿り着く頃には貴君を出迎える準備が整っていよう」
そんなやり取りを最後に、王子は最後まで穏やかさを保ったまま僕達の前から去り王宮へ向かっていった。
「……さあ、行きましょう。こちらです」
彼らが見えなくなるまで見送った後、僕達はメルエットさんの先導でイーグルアイズ家の館へ向かって歩き出した。
庶民区とは比較にならない程に華美な建物が立ち並ぶ貴族の居住区をおっかなびっくり歩くこと数時間。日差しが西に傾き、王都の広さに辟易しかかっていた頃に、ようやく僕達は目的地へと辿り着いた。
「あれが……!?」
王都に置かれたイーグルアイズ家の館を目にした時、僕は思わず息を呑んだ。外観を見ただけでマグ・トレドにあったものより遥かに贅を凝らしたと分かる、壮麗な建物だった。
「父の趣味とも、私の趣味とも違うわ。他の貴族達から見くびられないよう仕方無く、よ」
メルエットさんが、僕の内心を見透かしたかのように言った。
門に近づくと、守衛の兵士さん達が目を剥いて騒ぎ出した。
「良かった、殿下の使者は私達の事を事細かに教えて下さったみたいね」
メルエットさんが肩の力を抜いたように笑うのと同時に門が開け放たれ、僕達はすぐさま中へ通された。人どころか馬車もそのまま通れそうな玄関扉を潜ると、エントランスには館の使用人と思しき人達が勢揃いしてメルエットさんに頭を下げていた。
「お嬢様! ああ、よくぞご無事で……!」
その中央で、目頭を抑えながら感極まったようにメルエットさんを見つめる女性がひとり。メイド服に身を包んではいるが、その堂々とした佇まいから相当の立場にある人だと思えた。
「イザベル!」
メルエットさんは彼女の名を呼び、駆け寄ってその手を取った。
そして、二人はまるで親子のように抱擁を交わす。
「久し振りね! 貴女も元気そうで何よりよ!」
「ああ……! お嬢様、久しくお会いにならない間に、これ程までご立派になられて……!」
「四年振りだもの、私だって成長するわ」
「本当に……! 消息を絶たれたと耳にした時から、安らかに眠れる日はありませんでした……! どれ程こうして御顔を見られる日を待ち望んでいたことか……!」
「心配掛けてごめんね。でも、この通り私は大丈夫よ。此処に居る皆のお陰でね」
メルエットさんはイザベルと呼んだ女性から身体を離し、僕達を振り返った。
「紹介させてイザベル。私の掛け替えのない仲間達よ」
そうして、ひとりひとり丁寧にイザベルさんに僕達を紹介していく。僕達の名を告げられる度に、イザベルさんは至上の感謝を表情に込めて深々とお辞儀を繰り返した。ゴブリンである、コバにも。
「皆、紹介するわ。この館の管理を任せている、婦長のイザベルよ」
「初めまして、皆様方。お嬢様をお守り頂いた事、心よりお礼申し上げます。せめてもの感謝の気持ちとして我々一同、誠心誠意皆様方のお世話をさせて頂きますゆえ、どうかごゆるりと当館でお寛ぎくださいませ」
イザベルさんに合わせて、使用人達が一斉に頭を下げる。メルエットさんは彼女達を、そしてエントランスを見渡し、自分の家に帰ってきたのだと実感したのだろう、
「あはっ……! あはは……っ!」
泣きそうなくらいに顔を歪めて、それでもこの上なく嬉しそうに笑うのだった。




