第百三十七話
恐慌に陥りながら必死にこちらへ逃げてくる盗賊達。
それを追うように霧から飛び出してきた黒い甲冑の騎士。
「ひ、ひぃぃぃ!!?」
「お、お助け……!」
騎士の姿を認めた盗賊達が、喉を引きつらせて叫ぶ。中には腰を抜かして命乞いする者も居る。
「……」
怯える盗賊達の姿を意に介する様子もなく、黒い騎士が無言で手に持った槍を構える。穂先が光を反射してキラリと光った。
そして、そのまま馬上から躊躇なくそれを突き出した。
「ぐっ――!」
「がっ――!」
「やめ……げっ――!」
瞬く間に黒い騎士が振るう槍の餌食となる盗賊達。戦意を喪失した相手だろうと全く容赦が無かった。
黒い騎士は流れるような槍捌きで次々と盗賊達を屠ってゆく。駆ける馬の力が加わった槍が、ひとりまたひとりと盗賊の身体を刺し貫き、あるいは宙に跳ね上げて、迅速かつ確実にその生命を刈り取ってゆく。
盗賊達は誰ひとり抵抗せずにひたすら逃げようとするが、人間の足で馬の速度に敵う筈もなく、ただ流血に染まりながら無残に躯を野辺に晒してゆくばかりだった。
「な、なんだってんだ一体!?」
ローリスさんの言葉がこの場の全員の心情を代弁していた。
いきなり現れて盗賊達を掃討してゆく謎の黒騎士。果たして彼は味方なのか? それとも……。
やがて、殺戮を終えた黒騎士がゆっくりと首をこちらへ向けた。周囲に積み重なった盗賊達の死体の中を、悠々と馬を歩かせて近付いてくる。
「…………」
僕達は、固唾を飲んで向こうの様子を伺った。ローリスさんが密かに《トレング》を握り直し、フォトラさんが拳を上げ、マルヴァスさんが腰を落としていつでも弓を引ける体勢を取る。向こうの出方次第では、即座に応戦する気構えだ。
「其の方らは何者か!? この賊徒共の仲間か!!?」
ある程度まで距離を詰めたところで黒騎士が馬を止め、声高に誰何してきた。
「違う! 俺達は旅の商隊だ!! 商いの為に王都へ向かっている!!」
マルヴァスさんが、警戒を解くことなく答える。
「商隊、だと? 出任せを言うな! それならば商品を積んだ馬車の一台でもある筈! そのようなもの、何処にも見当たらぬでは無いか!!」
黒騎士が声を荒げる。兜で顔は見えないが、その奥で眉をひそめる様子が目に浮かぶようだった。
「本当だ! 俺達は護衛として雇われた傭兵なんだ! 此処に来る途中で盗賊共の襲撃に遭い、商隊は散り散りになっちまってな! 思い思いに王都まで辿り着いて、そこで合流する手筈になってるんだ!!」
マルヴァスさんは動揺を見せない。あくまでも自分達は無害な一般人であると主張し続ける。
そして、黒騎士が言葉を発する前に逆に尋ねた。
「あんたの方こそ何者なんだ!? 盗賊達を片付けてくれたようだが、まさかランガル領主の派遣した地方騎士か何かかい!?」
「む、孤……いや、我は――」
出鼻を挫かれたように鼻白む声を上げた後、黒騎士が名乗ろうとする。
「御大将――!」
しかしその時、彼の後方から更に複数の馬蹄が響いたかと思うと、十数騎に及ぶ騎兵が次々と霧を破って現れ、黒騎士の傍に駆けつける。
「お下がりを!」
「我らが前に……!」
「またおひとりで先行なされて! 無茶だと何度も申し上げておりましょうに!!」
口々に緊張に満ちた声を上げながら、黒騎士を守るように周囲に侍る騎兵の集団。いずれも黒騎士と同じように甲冑に全身を包んだ、重装の騎士達だった。
彼らの内何人かは、武器の代わりに旗を掲げていた。
翼を大きく広げた竜と、クロスさせた二本の剣、そしてそれらを包むように置かれた巨大な王冠……といった意匠で描かれた、重厚で派手な旗だ。
「あれは……? まさか!」
旗を見たメルエットさんが大きく目を見開く。
そして、僕達を押しのけるように前に出ると、大きく声を張り上げた。
「もしや貴方様方は、王都より派遣された討伐軍の方々ではありませんか!!?」
なんだって!? 僕は驚いてメルエットさんと騎士達を見比べた。
モルン村で聴いた話では、討伐軍はオルフィリスト領で盗賊の掃討に当たっている筈だったじゃないか。それが何故、此処に……!?
「私はマグ・トレド伯、コンラッド・シェアード・イーグルアイズが一子、メルエット・シェアード・イーグルアイズです!! マグ・トレドで起きた竜の襲撃事件について国王陛下に奏上奉る為、王都へ上るところでございます!!」
メルエットさんの告白を受けて、騎士達がどよめいた。
「おお! 貴君がメルエット殿か! よもやこんな所で出逢えようとは!!」
その騒ぎを割って、黒騎士が再び前へと出てくる。
そしておもむろに兜に手を掛け、それを脱いだ。
「良かった……! カリガ領で消息を絶ったと仄聞し、案じておったのだ!」
兜の下から現れた顔は、直前までのイメージと全くそぐわない、人懐っこい笑みを浮かべた眉目秀麗な若い男だった。緑色のきめ細かな髪が、兜から解放されてサラサラと流れる。
「あんた……! いえ、あなた様は……!」
マルヴァスさんが息を呑む。瞬きをするのも忘れたかのように、瞠目しながら黒騎士の顔に見入っている。彼がそんな様子を見せるなんて珍しい。
だが黒騎士が馬を降りてメルエットさんに歩み寄り、自然な動作で彼女の手を取りながら発した言葉を聴いた時、僕もまたマルヴァスさんと同じ表情になっただろう。
「こうして、直にお会いするのは初めてであるな。孤はラセラン・ドゥア・ギラダック・ダナン。討伐軍の長にして、ダナン王国の第二王子である」
そう言って彼は――ラセラン王子は、メルエットさんの手にそっと口付けをしたのである。