第百三十六話
「っ!? フォトラさんッッ!!」
ヴェイグが懐から何かを取り出した時、僕は思わず叫んでいた。
ぱっと見て、それはあのネルニアーク山の坑道でワームに対抗する時に使った《炸火球》に良く似ていた。投げつけると小規模ながら爆発を起こす危険な爆弾だ。
もしあれがそうだとしたら、フォトラさんが危ない! あんな至近距離から放られたら、いくら彼でも……!
「さらばだ――!」
捨て台詞と共に、ヴェイグの手で“それ”が投げられる。
「避けてッ――!!」
僕の声も虚しく、フォトラさんが対処行動に移る前に“それ”が地面へと落ちる。
そして――
「ぐっ!? な、なんだ!?」
「えっ!? これは……っ!?」
“それ”が着弾した地点から、大量の煙が一気に周囲に広がる。
随分と霧も薄まり、段々見通しが良くなってきていた峡谷内が、再び視界を遮る濃度の気体で満たされる。煙はフォトラさんとヴェイグの近辺に留まらず、僕達が居る場所にまで瞬く間に雪崩込んできた。
「ゴホッ! ゴホッ! け、煙玉……!? ゴホッッ!」
恐れていたような爆弾では無かったみたいだが、それでも夥しい量の煙に視界と気管を阻害され、僕は涙目になりながら咳を繰り返した。掌大の砲丸に等しい大きさに過ぎない球体の何処に、これ程の煙が詰まっていたのだろうか。屋外であるにも関わらず立ちどころに充満した白い気体を前にして、先程とは別種の恐怖心が呼び起こされてくる。
「う……! かっ……! ぐふっ……!」
「フィオラさん、しっかり……!」
僕の腕の中で、フィオラさんも苦しそうに咳き込む。それでも、彼女はまだ意識を取り戻さない。
僕は背後を見た。そこには、盗賊達が造った砦がある。木柵の内側にまで行けば、少しはマシになるかも知れない。
しかしそれには、フィオラさんの身体を僕の手でそこまで移動させなければならない、という問題がある。こんな状態で彼女の身体を運べる自信は無いし、下手に動かすのもマズい、という気持ちが働いた。
代わりに、僕は彼女が少しでも楽になるように、そっと彼女の身体を地面の上に横たえた。確か、煙は下にいく程密度が薄まるという話だったから、こうやって寝かせた姿勢にしておけば影響は軽微で済む筈。
「ハァ……! ハァ……。フゥ…………スゥ……」
僕の推測を裏付けるかのように、フィオラさんの呼吸はすぐさま落ち着いた。
昔学校で習った避難訓練に感謝、だな。
『時間切れだ! 今回は俺の負けという事にしてやる!!』
「――っ!?」
煙の中から、ヴェイグの声だけが飛んでくる。
『だがこのままでは終わらんぞ! 次に会う時が貴様らの最期だ! それまで精々首を洗っておくんだな!!』
ヴェイグの声は何処から響いてくるのか、分からない。近いようでもあり、遠く離れた場所からのようでもある。
「くそっ、何処だ……!?」
涙を拭い、息苦しさを堪えながら滲む視界の中で必死にヴェイグの姿を探す。
「ナオル、無事か!?」
「良かった……! ちゃんとフィオラ殿も一緒ね!」
「ナオル様……! ああ、良うございました!」
すると、煙を破ってマルヴァスさん達が駆け付けてくれた。
「み、皆こそっ……ゴホッ! ほ、他のオーク達は!?」
咳き込みながらも、僕は彼らの姿が見えた事に安堵した。
「分からん、急に連中の気配が消えた」
マルヴァスさんは油断なく剣を構えて周囲を警戒している。ローリスさんも同様だ。
「フォトラさんは!?」
「さァな。少なくとも、途中で姿は見ていない」
「そう、ですか……」
彼も無事だと良いが……。
「それよりナオル、フィオラちゃんの容態はどうだ?」
「あ、はい、この煙で少し咳をしてましたけど、寝かせたお陰か今はもう落ち着いたみたいです」
「怪我は?」
「ヴェイグにお腹を殴られた事以外は、特に目立った外傷は無さそうですけど……」
「意識は?」
「まだ戻りません……」
「彼女の肌を触った感想は?」
「そうですね、霧の所為で少しベタベタしてますけど、柔らかくてまるで吸い付くような…………はっ!?」
真剣な問答の中に混ぜられた、おふざけ感満載な質問。
それに気付いた時には、僕は素直に無意識の片隅に追いやっていた思考を意識下に引っ張り出してきて、口上に乗せていた。
マルヴァスさんがこちらを振り返り、嫌らしげな笑みを浮かべる。
「そうかそうか〜、中々しっかり役得を堪能してるじゃないか、ナオル」
「マ、マルヴァスさんっ!?」
抗議しようとした時、僕を睨めつける冷たい視線に気付き、はっとなってそちらを見た。
「ふ〜〜ん……。こんな時だと言うのに随分と余裕あるじゃない。ねぇ、ナオル?」
「メ、メ、メルエット、さん……!?」
まるで道端に転がる犬のフンでも見るような目で、メルエットさんが冷然と僕を見下していた。
「い、いやねメルエットさん!? こ、これは違……!」
「今忙しいの、話しかけないで頂戴」
冷たくそう言って、メルエットさんはふいっと顔を逸してしまう。
あああ……。まずい、怒っちゃった……。
「此処に居たか、皆!」
気まずい空気をぶち破ったのは、最後に煙の中から現れたフォトラさんだった。
「フォトラさん!? 良かった、無事だったんですね!」
「ああ、だがヴェイグを見失った。部下のオーク共も、何処に隠れたか分からない」
「油断するなよ。この煙に紛れて仕掛けてくるかも知れない」
「当然だ、マルヴァス殿。……だが、どうも連中は既に此処から消えているという気がするな……」
「……あァ、実は俺も同意見だぜ、フォトラ」
マルヴァスさん達の推測を聴き、僕も先程のヴェイグのセリフを思い出し、心密かに同意した。
そうこうしている内に、次第に煙が晴れてゆく。
朝から立ち込めていた霧も、今では殆ど薄まっている。
再び開けた視界の中に、やはりヴェイグも、部下のオーク忍者達も、誰一人そこには残っていなかった。マルヴァスさんが斃した数体の死体だけが、打ち捨てられてように無造作に地面に転がっているだけだ。
「……逃げた、か?」
油断なく周囲に目を配りながら、ローリスさんが言う。
「恐らくな。息の根を止められず仕舞いとは、惜しい事をした。私の詰めが甘かったな」
フォトラさんが、悔しげに手甲をガシッ! と打ち合わせた。だがすぐに気を取り直したかのようにこちらを振り向き、地面に横たわったフィオラさんの傍へと歩み寄る。
「フィオラ…………!」
様々な感情がない混ぜになった顔で、フォトラさんが妹の頭を優しく撫でる。
僕は兄妹水入らずの邪魔をしてはならないと思い、ゆっくりと立ち上がるとマルヴァスさんへ目を向けた。
「ヴェイグ達は、どうして逃げたんでしょうね?」
「謎だな。あのまま手下共をけしかけていれば、戦いの行方はどっちに転ぶか分からなかったんだが」
「挑発に乗った手前、決闘で負けた以上は戦いを続ける気力が残っていなかったとか?」
サシの勝負でやられそうになったから部下達に頼るとか、かなり情けない話だし。
「あるいは、他の理由があるのか……」
と、マルヴァスさんは顎に手を当て思案している。
「“時間切れ”、とか言ってたな。まさか…………」
何かに気付いたように、マルヴァスさんが目を上げた。思い当たる節でもあるのだろうか?
しかし、それが何か尋ねようとした時、先にローリスさんが声を上げた。
「おい、変だぜ。地響きがしてやがる」
「え…………?」
言われて僕は、足の裏に意識を集中させる。
……確かに、微かな振動が伝わってくる。
「む……? 剣戟に、悲鳴、掛け声……。それに、馬蹄の音だ。彼方の方向から僅かに聴こえるぞ」
フィオラさんを介抱していたフォトラさんも、事態の異変に気付いて顔を上げた。彼の目線が向いている先は、僕達の背後にそびえる盗賊達の砦とは真逆の方向……つまり、僕達が通ってきた道だ。
確かそっちの方には、峡谷に入る前に見掛けた盗賊達の集団が居た筈だが…………。
「……! 見て! 向こうから誰かが出てきます!」
メルエットさんがそちらを指差す。そこにはまだ少しだけ霧が残っており、不確かな輪郭を持ったいくつもの影が、その中でゆらゆらと蠢いていた。
すぐにその正体は明らかになる。
「ひぃぃ……! た、助けてくれぇぇ……!」
「やめてくれ……! 殺さないで……!」
「い、生命だけは……!」
盗賊達だった。いずれも満身創痍であり、顔に恐怖を刻んで何かから必死に逃げている。
「こ、これは……!?」
予想外の光景に、僕は言葉を失った。
そして――
「ハァァァ!!!」
彼らの後を追うように、霧から一騎の騎馬と、それに跨る黒い甲冑の騎士が飛び出してきた――!




