第百三十五話
フォトラは一心不乱に拳を振るい続けた。
剣と斧、それぞれを左右に構えた二刀流戦術を自由自在に駆使するヴェイグは、これまで自分が相対した敵の中でも屈指の強敵だと言って差し支えない。
モルン村で一戦交えた時は、手も足も出ずに圧倒された。一瞬の交錯の中で、相手の力量をまざまざと見せつけられた。
たとえ再戦を挑んでも、果たして勝てるかどうかは分からない。それ程の実力を所有しているのが、このヴェイグというオークなのだ。
だがそれでも、自分はここで退くことは出来ない。
無辜の民を、自分と妹を快く向かいれてくれたあの村の人々を、このオークは苦しめた。盗賊を操り、ついには自らが乗り込んでまで。
それだけではない。妹のフィオラまでもが傷付けられた。醜い欲望を剥き出しにした声で、息で、手で。汚らわしい五体の全てを使って、血を分けた双子の妹をその毒牙にかけようとした。
自分にとってこのオークは、極めて赦し難い不倶戴天の敵だ。
あの日、故郷で成人の儀を迎えた際に立てた己の《誓約》にかけて、必ず討ち取ってくれる――!
「セアッ!!」
「ムンッ!!」
あらゆる方向、様々な角度から繰り出される変幻自在の攻撃を、フォトラは正確に読んでは躱し、あるいは手甲で受け止める。
手を変え品を変え、途中で休息を挟み、戦いはいつ終わるともなく続くと思われた。
ヴェイグは確かに強い。一瞬でも気を抜いたら負ける。
が、フォトラには微かな勝機が見えていた。
ヴェイグの動きに、僅かながら乱れがある。
恐らくは直前でのナオルとの口論に原因があるのだろう。奴の心気は今、尋常な状態ではない。動揺に怒りに、心の中で渦巻く様々な負の感情に振り回されているのだ。
目を凝らせ。五感を研ぎ澄ませろ。今のヴェイグであれば、必ずや致命的な隙を晒す瞬間が訪れる筈。
そこを見逃さなければ、自分は勝てる。見逃せば、無残に負ける。
そして――
「――ッハ!?」
「――!!」
待ちに待ったその瞬間がやってきた。
もう何度となく放たれた斧の一撃。
それを防ぎ、受け流した時、ヴェイグの体勢が僅かに崩れた。
――誘いでは無い。極限まで高めた集中力で相手の挙動を視ていたフォトラはそう確信した。
「(ここだ!!!)」
左足を思いっきり前に踏み出し、腰を落として上半身を捻る。限界まで引いた右拳に込める、渾身の力。
「うおおおおおおおッッッ!!!」
必殺の気合と共に放つ、全身全霊の正拳突き。
それは寸分違わず、がら空きになったヴェイグの腹に捩じ込まれた。
「ゴフッゥゥゥ!!!」
体内の空気を全て吐き出す勢いでヴェイグが噎せ、シャープオークの鍛え抜かれた赤紫の肉体が崩折れた。
勝敗の決した瞬間。彼の手から離れ、地面へと落ちる剣と斧が奏でた虚しい金属音が、その決着を絶対なものにした。
「……終わりだ、ヴェイグ」
這いつくばるヴェイグを見下ろし、フォトラが冷酷に告げる。
「お、おのれ……! この、俺が……!」
痛みに耐えながら、憎々しげにヴェイグがフォトラを見上げる。
そんな仇敵の顔に、フォトラは無情なまでの意趣返しを行う。
「“怒りに我を忘れてしまうようではまだ未熟だな”、ヴェイグ?」
「――ッ!!」
モルン村の戦いで、自身がフォトラに向けた言葉。
それをそっくりそのまま返されて、元々赤紫色だったヴェイグの顔が、燃え上がるような赤色に変化する。
だが、思わず反論しようと彼が口を開く前に、周囲を取り巻く状況の変化がそれを押し留めた。
「ぅぐっ――!?」
耳を掠めたその短い断末魔が、一対一の戦いに没頭していた二人の戦士を現実へと引き戻した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
僕は矢の飛んでいった方向、断末魔が上がった場所へ目を移した。
フィオラさんを捕まえていたオークの首に、マルヴァスさんの撃った矢が突き立っている。
「ぁ……!」
力尽き、倒れようとするオークの肩から、フィオラさんの身体がずり落ちる。
「フィオラさんっっ!!」
僕はすかさず駆け寄り、支えを失った彼女の身体を抱き止めた。
「って、重っ!?」
……までは良かったのだが、気絶した成人エルフの重さは想像を軽く超えていて、僕はフィオラさんを支えきれずにそのまま折り重なる形で地面に倒れてしまう。
「てっ……!?」
なんとか僕が下になり、フィオラさんの身体を地面に激突させるのだけは防いだ。
「き、貴様ァ!!」
「よくも騙したな!!」
僕を此処まで連行してきた二体のオーク忍者が、怒り心頭と言った様子で倒れた僕にクロスボウを向ける。
「――っ!?」
射られる! と、そう覚悟したが、直後に絶命したのは僕ではなかった。
「がっ!?」
「げっ!?」
二体のオーク忍者の胸から、ほぼ同時に鏃が突き出る。彼らの身体はあえなくそのまま崩れ落ちた。
その後ろから、弓を構えたマルヴァスさんの姿が現れる。
「に、二本の同時射撃……!?」
相変わらず凄まじい腕前だった。既にマルヴァスさんは弓をしまい、長剣を抜いてこちらに駆けてきている。その後ろからは、メルエットさんにローリスさん、コバも遅れる事なく続いていた。
そんな彼らの周囲から、いきり立って再び戦闘態勢に入ったオーク忍者達が迫る。その内一部はフォトラさん達の方に向かおうとしていた。
「フィオラさん……!」
僕は身を起こし、フィオラさんを抱きかかえて安否を確かめる。
「ん、ぅ…………」
微かな吐息と規則正しく上下する胸。どうやら本当に気を失っているだけみたいだ。その事実に、僕は少しだけ安心する。
「フォトラさんっ!!」
そして、未だヴェイグと対峙しているフォトラさんに呼びかけた。
「フィオラさんは無事ですっ!! 気絶しているだけですっっ!!」
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「そうか、フィオラ……!」
ナオルの声が、張り詰めたフォトラの緊張を僅かにほぐす。体内に蟠った陰の気が、長大息となって肺から外へ出ていった。
「……フン。俺としたことが、まんまとしてやられたわ」
苦々しげな仇敵の声に、緩みかけた気分を引き締める。まだヴェイグは生きている。
「お前の負けだ、潔く観念しろ」
そして、フォトラは再び腰を落として拳を構えた。
目の前のオークに止めを刺す為に。
「覚悟――!」
だが、そんなフォトラを見ても、ヴェイグはすっかり動揺から立ち直った様子で不敵に笑ってみせる。
「悪いが、俺はまだ死ねない」
「――ッ!?」
そして、フォトラが攻撃を放つよりも速く、ヴェイグは懐から掌の収まる程度の大きさの球体を取り出し…………
「さらばだ――!」
それを、目の前の地面に投げ付けた。