第百三十一話
「《オーク十二将》ともあろう御方が、こんな勝ち方をして満足なんですか!!?」
霧で満たされた峡谷の中を、僕の叫びがこだまする。
「――!?」
振り下ろされようとしたヴェイグの手が、何かに阻まれたかのようにピタリと空中で硬直する。
「ナオル……!?」
メルエットさんの驚く声。しかし、今は彼女の方に振り返る余裕は無い。
僕が相対すべきは、正面に立つ赤紫のシャープオークだ。
「霧に隠れながら突然攻撃してきて、あまつさえ人質まで取って! そんな卑怯なやり方が、オークの流儀とやらなんですか!? 武を尊ぶ種族? 力と毒こそが基? はっ! よく言えますねぇ!!」
肚に力を込め、両脚を踏ん張って精一杯胸をそらしながら、僕は堂々と居丈高に構えて吠える。
最近になって分かってきたけど、どうやら僕ははったりをかます時は案外気が大きくなるものらしい。
「き、貴様…………っ!」
ヴェイグの声が震える。灼けるような怒りを両目に滾らせて、刺し殺さんばかりに僕を睨んでくる。
僕の言葉が効いている証拠だ。
「いやはや感服しましたよ! 流石は暗殺者の一族と謳われたシャープオークの指揮官ですねぇ! 正々堂々とした勝負なんてハナからお呼びじゃありませんか! 普通のオークとは大違いだ! あっはっは!!」
自分でも聴いていて腹が立つくらいに耳障りな物言いにしてみる。お腹を抱えて大笑いの仕草も加えようかとも思ったけど、オーバーリアクションで嘘っぽくなりそうだったので自重した。
「ふざけるなよ……! 貴様、この俺を愚弄するか……っ!」
声だけでなく、ヴェイグの全身が震えだした。耐え難い怒りと屈辱が、冷静で冷酷なシャープオークの余裕を奪ってゆく。
読みどおりだ。僕は自分の推量が当たって密かに胸を撫で下ろした。
『暗殺者だの隠密だの、不名誉な呼び方は止めてもらいたいんだがな。今の俺は、最早“影”では無い』
モルン村での戦いの時、シャープオークについてフィオラさんが語った時にヴェイグが言った言葉だ。
あいつは、《オーク十二将》の一員にまでのし上がった今の自分にプライドを持っている。そうなるまでに沢山の苦労があったのだろう。オーク族の裏打ち部隊として、様々な闇の仕事に手を染めてきたのだろう。惨めな気持ちになった事もあっただろうし、ひょっとするとシャープオークに生まれついた自分の運命を嘆く事だってあったかも知れない。
ヴェイグにとっては封印したい過去。だからこそ僕は、そこを思いっきり突っついてやる。
ヴェイグの精神的優位性を崩さなければ、突破口なんて開けないのだから。
「おや? 怒ったんですか? 変ですねぇ、僕はあなたの仕事ぶりを褒めたつもりなんですが」
片眉を上げて、ついでにこめかみも指でトントンと叩く。相手から見れば、さぞかしバカにしてる表情に見えるだろう。
「ま、愚弄されてると思うなら? 《十二将》と呼ばれるに相応しい方法で戦ってみれば良いんじゃないですか? あなたにそれが出来るのか、甚だ疑問ですけど」
「――ッ!!」
ヴェイグが口を大きく開けながら、思わず僕に向けて一歩踏み出す。怒りが強くなりすぎて最早言葉にならないらしい。
「……っ! そ、そうよ! 卑怯だなんて言われたくないなら、もっと公平な勝負を挑んでくれば良いじゃない! 誇り高いオーク殿!?」
僕の意図に気付いたらしく、メルエットさんが同調してくれる。
彼女に続いて、他の皆も口々に声を上げた。
「その通りだ! 人質なんて姑息な真似は止めて、正々堂々サシの戦いにでも臨んでみたらどうなんだ!?」
「おう! あのレブって奴はそうしてたぜ! アイツは強かった! テメェはどうだか知らねェけどよ!!」
「そ、それに此処で《オーク十二将》の威厳と貫禄をお示しになれば、フィオラ様のお心を射止められるかも知れませんですよ!?」
精神攻撃の嵐。ヴェイグの抱えるコンプレックスを、僕達はひたすら刺激した。こんな緊迫した状況でなければ間違いなくただのイジメだ。
「ぐ……! ぐぅ……!」
ピクピクと頬を痙攣させながら、忌々しげにヴェイグが呻く。どうするべきか、大いに迷っている様子だ。
さあ、取り敢えず彼の心を掻き乱す事には成功した。果たして僕達のこの策は是と出るか非と出るか。
固唾を呑んで成り行きを見守っていると、部下のオークがひとり、足音も立てずにヴェイグに近付くと何やら耳打ちした。
「……!? 本当か!?」
「はい、既に数里先まで。進行方向から考えて、真っ直ぐこの峡谷へ――」
ヴェイグの表情が驚きに染まる。何か異変でも起きたのか?
「っ!?」
そして、フィオラさんも目を見開いた。どうやらヴェイグと密着していたお陰で、彼らの密談が耳に入ったらしい。
彼女は懸命に息を吸い、声を振り絞った。
「み、みんな……っ! もう少しのっ、辛抱……っ! 今、この谷に――!」
「フンッ!!」
「がはッッ!!?」
フィオラさんのお腹に、ヴェイグの拳がめり込んだ。
「フィオラッッッ!!!」
フォトラさんの悲痛な叫びが耳をつんざく。
ヴェイグに容赦なく腹を殴られたフィオラさんは、ぐったりと意識を失って項垂れていた。
「コイツを持っておけ」
まるで手荷物を預けるかのような気安さで、ヴェイグは傍らの部下にフィオラさんの身体を引き渡す。部下の肩に担がれたフィオラさんの白い足が、力無くだらりと垂れ下がっていた。
ヴェイグはそんなフィオラさんに一瞥だけくれると、おもむろに剣と斧を両手に構え、悠然と僕達の前に歩み出た。
「お前達は手を出すな!」
その一言で、僕達を取り囲んでいたヴェイグの部下達がクロスボウを下ろす。
「お望み通り、サシの勝負をしてやろう。俺に挑みたい者が居れば――」
「私だ!」
ヴェイグの言葉が終わる前に、フォトラさんが足を踏み出した。
ヴェイグが、口の端を吊り上げる。
「お前だろうと思ったぞ、『赤枝』。あの夜の決着を付けてやる」
「それはこちらのセリフだ。お前はモルン村の良民だけでなく、フィオラまで傷付けた。赦しはしない!」
未だ霧の立ち込める中、シャープオークとワイルドエルフの戦士が対峙する。
そして――
「――フッ!」
「――ハァッ!」
二人の戦士は、同時に動いた。