第百三十話
フィオラさんの密かな活躍によって血を流さずに盗賊達を無力化し、さあ今の内に通ろうとした矢先の修羅場。
最大の脅威は、霧に紛れて既に僕達の近くまで忍び寄ってきていたのだ。
「ううぅぅ……!」
ヴェイグに拘束されたフィオラさんが、苦悶の表情でか細い呻き声を上げる。必至に身じろぎして首に回された腕を外そうとするが、シャープオークの引き締まった筋肉はビクともしない。いくら身体能力に優れたワイルドエルフとはいえ、戦士ではないフィオラさんが自力で脱出するのは難しいだろう。
「ヴェイグ! フィオラを離せ!!」
フォトラさんが鬼気迫る形相で叫ぶ。妹の危機を前に、冷静さを保てなくなっているようだ。
そんなフォトラさんの様子を愉しんでいるかのように、ヴェイグの邪悪な笑みが更に大きくなる。
「いい顔をしているぞ、『赤枝』の戦士よ。死んでいった同胞達にも見せてやりたかったものだな」
「――っ!?」
ヴェイグの言葉が終わると同時に、霧の中から次々と黒装束のオーク達が音もなく現れた。僕達を取り囲むように周囲に陣取った彼らの手には、あの夜の襲撃と同じようにクロスボウが握られている。
「っ! 囲まれた……!?」
「お嬢様、俺の後ろへ……!」
「ダメですローリス殿! 迂闊に動かないで……!」
「フィオラちゃんが人質に取られてるんだ、我慢しろ!」
「ナ、ナオル様……!」
僕達は何も出来ず、ただ立ち尽くす。状況は極めて不利だった。
「我々の動きは筒抜けだったという事か!?」
せめてもの抵抗なのだろう、フォトラさんが忌々しげにヴェイグに問い質す。
「当然だ。この谷は今や我々の基地なのだぞ? 周辺の様子は座していても手に取るように分かる。お前達がご丁寧にもモルン村を出た事を報せてくれたお陰で、追跡や所要日数の計算も容易だったのでな」
「くっ……!」
フォトラさんが唇を噛む。
ヴェイグの言う通り、僕達は敢えて彼らに自分達の居場所を教えるような行動を取った。全ては敵側の注意を一手に引き付けてモルン村を守る為の策だったのだが、いざ実際にこのような窮地に立たされててしまうと、やはりフォトラさんの胸にも苦いものが広がるのだろう。
「落ち着け、フォトラ。こうなる事も覚悟の上だっただろう?」
マルヴァスさんが落ち着いた声音でフォトラさんを宥める。やはりこの窮地にあっても彼は泰然自若としていた。流石と言うしかない。
「この状況、我々はどう動くべきですか? マルヴァス殿」
「交渉……といきたいところだがなメリー。こっちから手札を切るのは危険過ぎる。まずは相手の出方を探ろう」
「……分かりました」
小声で打ち合わせをするメルエットさんとマルヴァスさんを尻目に、僕は僕でどうすれば良いのかを考えていた。
「(考えろ……! どう乗り切る……? 兄さんの教えを思い出せ……! 相手の身になって、相手の望む事に思考を巡らせろ……!)」
ヴェイグと、彼に捕らえられたフィオラさんを注意深く観察しながら、僕は必死に策を考えていた。
無意識に胸のペンダントを強く握り締める。僕と兄さん、それからナミ姉さんの繋がりを示す、唯一の宝物。
「(お願いだ、兄さん、姉さん……! どうか、僕に力と知恵を貸して……!)」
ロケットの中の写真、そこに写る兄さんと姉さんに、僕は思考の片隅でひたすら祈った。
「ワイルドエルフの女、貴様はあの『赤枝』の妹であったな?」
圧倒的な優位を保持している余裕からか、ヴェイグは配下に包囲させた僕達を放置して、フィオラさんに向かって話しかけた。
「……だったら、何?」
ガッチリ首をホールドされたフィオラさんが、苦しげに喘ぎつつもどうにか答える。
「我々が去った後のモルン村で起きた出来事は把握している。貴様の歌声は素晴らしい魔力を秘めているようだ」
「……あら、一曲歌って欲しいの? 別に、良いわよ。この……腕をどけて、くれるなら……!」
フィオラさんが不敵に笑ってみせる。強がりであるのは一目瞭然だった。
「くくく、気丈な女だ。俺が怖くないのか?」
面白がっているかのように、ヴェイグがその凶悪な顔をずいっとフィオラさんに寄せる。
「怖く……なんか、無いわよ……! 私は、オークでも、ゴブリンでも……仲良くなれるなら、仲良くしたい……から……っ!」
「ほう? その割には、我が同胞達に対して躊躇いなく戦ったようだが?」
「仕方、無いじゃない……! あんた達、オークは……っ! 惨すぎる、のよ……っ! なんでもかんでも、力で決めて……っ!」
「当然だ、我らは武を尊ぶ種族。力と毒こそが、我らを我らたらしめる基なのだ。お前達エルフや、人間共から見れば野蛮なのだろうがな」
「ええ……! でも、そこは、お互い様……でしょう……!?」
「然り、だ。我々オークからしても、エルフや人間の軟弱さは理解出来んよ」
くくくく、と再びくぐもった笑いを上げるヴェイグ。
「……だが、俺はお前の事は気に入っている」
「……え!?」
驚きに目を剥くフィオラさんに、ヴェイグが更に顔を近づける。フィオラさんの形の良い鼻先と、ヴェイグの下顎から突き出た牙が触れ合おうとしていた。
「どうだ、俺の女にならないか?」
「――っ!!?」
フィオラさんが大きく息を呑む。
傍に控えるヴェイグの部下達から「うへぇ!」という声が上がった。
「将軍、また悪い癖が出ましたな」
「全く、エルフ女の何処が良いのか……」
「異形を愛する特殊性癖、昔から有名でしたからな」
「好事家も程々になさって下さいよ、本当に……」
割と遠慮なく言いたい放題言われているが、ヴェイグに気にした様子は無い。ただただフィオラさんを、貫くような目で見詰めていた。
「俺は本気だ、お前が欲しい。お前の歌があれば、怖れるものは何も無い。俺とお前が組めば無敵だ。そうは思わないか、フィオラ?」
「……熱烈な告白は、嬉しい……けど、ね。フィオラちゃん、いきなり女の子の首を絞めて……迫ってくる、相手は……ごめん、かなっ!」
「正直な女だ、増々俺好みだ」
「私は……! あんた、嫌い……っ!」
「構わん。ならばオークのしきたり通り、力で屈服させるだけだ」
「ひっ――!?」
嫌悪に顔を染めるフィオラさんに、ヴェイグが口元を近付けた。……無理やり唇を奪おうとしているのか!?
「貴様ァァァァァ!!!」
ついに堪忍袋の尾が切れたフォトラさんが、怒髪天を衝く勢いで吠える。
「早まるな、フォトラ――!」
「フォトラ殿、いけません――!」
最早マルヴァスさんやメルエットさんの静止も届かない。
フォトラさんは今にもヴェイグへ向かって突進していきそうだ。
「おっと、そうだった。まずは他の虫ケラ共を始末せねばな」
ヴェイグが、たった今僕達の存在を思い出したかのようにこちらへ顔を戻し、おもむろにフィオラさんを捕まえている方とは別の手を上げる。
あれが振り下ろされた時、僕達を取り巻くクロスボウから一斉に矢が放たれるに違いない。
「さらばだ――!」
勝ち誇ったように口元を歪め、ヴェイグがその手を振り下ろそうした時…………。
「それが《オーク十二将》のやり方ですか!!?」
僕は、力の限り大声を上げた。




