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竜の階  作者: ムルコラカ
第三章 エルフの誓い
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第百二十九話

 「ああっ!? フィオラ殿、そのような……っ!」


 隣で、手で口元を覆ったメルエットさんがくぐもった悲鳴を上げる。頬は自らの髪色にも負けないくらい紅潮しており、目元は潤んでいる。羞恥に悶えているのは一目瞭然だ。


 「な、何が見えるのメルエットさん!? フィオラさんは大丈夫!?」


 僕の言葉が届いているんだがいないんだか、メルエットさんは熱に浮かされたような語り口調で続ける。


 「いけませんっ! 盗賊達のあの表情! 絶対に良からぬ事を考えていますっ! あ……ああっ!? ダメっ! フィオラ殿に近付か……ええっ!? そ、そんなっ!? フィオラ殿、なんて破廉……大胆なっ!」


 何だ!? フィオラさんは一体何をやっているんだ!?

 僕の視力では、霧でぼやけているフィオラさんや盗賊達のやり取りを見る事は叶わない。鷲の目であるメルエットさんの説明だけが、霧の向こうの実態を知る唯一の方法なのだが、この通り彼女はすっかり魅入ってしまって実況に要領を得ない。

 なので、僕の中でもひたすらフラストレーションが溜まる一方だ。脳内が思春期男子特有の妄想で溢れかえりそう。

 僕とメルエットさん(あとついでにローリスさんも)は、ハァハァと荒い息を繰り返しながらひたすらフィオラさんが進んでいった先へ血走った目を向けた。……出歯亀か。


 「おいおい、少し落ち着けよお前ら」


 マルヴァスさんが呆れたように肩をすくめる。


 「やれやれ、ナオルとメリーはまァ分からんでも無いが、お前までそんなザマなのは滑稽だな、ローリス」


 「う、うるせっ! こちとらひたすら戦いに生きてンだ! 女に慣れてねェんだよ!」


 「そんなんで良くメリーの護衛が務まるな?」


 「お嬢様は特別だ!」


 「だろうな。だが、今は良くてもそんなザマじゃこの先きっと苦労するぞ。今の内に女に慣れる訓練も積んどけよ」


 「い、いらねェよ!? お、お、俺の人生に女なんざ……!」


 「そうか〜? 女は良いぞ〜。身体だけでなく、心も満たされる。人生が豊かになるぞ」


 「いや、いらねェって……!」


 「そうは言ってもお前、フィオラちゃんに興味津々じゃねーか」


 「ぐっ……!」


 いつものやり取りを繰り広げるマルヴァスさんとローリスさんの隣で、フォトラさんが頭を抱えている。


 「あ〜…………」


 「フォ……フォトラ様、大丈夫であられますですか?」


 「む、ゴブリン……いや、コバか……」


 自分に話しかけたコバを見て一瞬眉を顰めたが、フォトラさんはすぐに肩から力を抜いて溜め息を吐く。

 

 「問題無い。フィオラが奔放なのはいつもの事だ。あいつも、とっくに良い大人だ。あいつなりに考えた上での行動だろう」


 「……お気持ち、お察し致しますです。どれだけ御歳を重ねられようと、御兄妹は御兄妹であらせられます」


 「……ふん、知った風な口を利く」


 「コバめも、家族がおりましたですから……」


 「…………」


 フォトラさんはコバから目を外し、憮然と口を噤んだ。

 岩陰の中で、まんじりともせずに時間が過ぎてゆく。

 どれ程待ったか。実際は十数分かそこらだったかも知れない。


 「……あっ! フィオラ殿が出てきました!」


 霧で湿る髪やら服やらが気になりだした時、メルエットさんが弾かれたように声を上げた。

 僕も、他の皆も、緩みかけた気分を即座に棄て去って再び前方に意識を集中させる。


 「フィオラの様子はどうだ!? 怪我は!?」


 フォトラさんが張り詰めた顔でそう尋ねる。


 「いえ、見たところとてもお元気そうです。こちらに向かって笑顔で手を振っています」


 「そうか……」


 メルエットさんの言葉を聴いて、ほっと息を吐く。


 「とにかくフィオラちゃんは成功させたみたいだな。俺達も行ってみようぜ」


 マルヴァスさんの音頭で僕達はぞろぞろと岩陰から出て、霧の中を慎重に進みながら砦の前まで近付いた。


 「お〜〜〜い、こっちこっち〜〜〜!」


 ようやく、僕にもフィオラさんの姿が見えた。メルエットさんの言う通り、笑顔でブンブンと手を振っている。


 「もう通っても大丈夫だよ〜! 盗賊の皆さん、このフィオラちゃんの唄でぐっすり夢の世界に入っちゃってるから〜!」


 良かった……! フィオラさんの様子を見て、僕は胸を撫で下ろした。


 「ははっ、流石エルフの吟遊詩人だな。子守唄もお手の物ってかい?」


 「魔法の一種だよ、マルヴァス殿。吟遊詩人が紡ぐ言葉は、呪文と同義だ。“秘癒の儀”のような大型の秘術なら魔法陣や満月の力も必要となってくるが、歌声だけでも他者を眠りに誘ったり逆に気分を高揚させたりと、ある程度の干渉は可能となる。フィオラは敵の懐に飛び込むことで、砦内の盗賊全てを無力化したのだ」


 マルヴァスさんが口にした疑問に、フォトラさんが丁寧に答えた。

 

 「良かった……! これで誰も傷付けずに此処を通れますね!」


 「そうだな、ナオル。だが盗賊の陣地はこれひとつじゃない。願わくばこれ以降も……。――ッ!!」


 突如、マルヴァスさんの表情が変わった。

 彼は即座に弓を構え、矢筒から矢を一本抜き取って弦につがえると、躊躇う事無くそのまま発射した。

 それは一瞬の出来事であり、彼の手から矢が放たれるまでの一連の流れを、僕はかろうじて目に収めた。


 「――?」


 矢が、フィオラさんの笑顔の傍を横切る。フィオラさんからすれば『何か飛んできた』程度の認識だったかも知れない。


 「ギャッ――!!」


 悲鳴が、フィオラさんの背後で上がる。


 「えっ!?」


 慌てて振り向くフィオラさん。彼女の後ろの地面にどうっ! と斃れたのは……あの黒装束のオークだ!


 「気をつけろ、敵だ!!」


 マルヴァスさんの叫び。殆ど同時に、ローリスさんとフォトラさんが前へ踏み出した。

 だが――


 「――そこまでだ」


 新たな影が、何処からともなくフィオラさんの死角に現れる。本当に、瞬きすら追いつかない程の速さで。


 「ちっ……!」


 マルヴァスさんが再度矢をつがえるも、新たな影の方が彼の動きを上回った。


 「あっ……!!」


 フィオラさんの白い首に、赤紫色の腕が回される。逃げる間も無く、彼女は拘束された。


 「誰も動くな!!!」


 フィオラさんを捕らえた“そいつ”の言葉で、ローリスさんもフォトラさんも足を止める。


 「貴様……!!」


 歯ぎしりするフォトラさん。その眼光は、怒りで煮え滾っていた。


 「会いたかったぞ、『赤枝』の戦士よ。くくくくく……!!」


 残虐な笑みを浮かべながらフィオラさんを人質に取る、赤紫色の痩せたオーク。

 十二将と呼ばれる実力者のひとり、ヴェイグがそこに立っていた――。

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