第百二十六話
「あ、あれは……!?」
僕は瞠目して、晴れてきた霧の中から薄っすら出てきた“それ”を凝視した。
組まれた逆茂木、横に伸びる木柵、突き出た監視塔。全容は未だ霧に包まれたままではあるが、それは間違いなく砦だった。
「盗賊共の陣地か……。知らずにもう少し接近していたら気付かれていたかもな」
マルヴァスさんが、丸めた手で視界を絞りながら砦を偵察する。
「どうする? 引き返して迂回するか?」
ローリスさんが声を潜めながら尋ねる。
「それはどうだろうな。我々は先程まで壁伝いに歩いてきたが、横道があるような気配はしなかった。風の流れ、霧の淀み方を見ても、途中で迂回できるような道があったとは考えにくい」
フォトラさんが、油断なく砦を睨みつつそれに答えた。
「じゃ、じゃあ、正面突破しか手がないってこと!?」
フィオラさんの顔に緊張が走る。
「結論を急ぐな、フィオラ。まずは状況を正確に把握してからだ。現状、少し霧が晴れたお陰で我々はあの砦の存在に気づけたが、彼処に配備されている盗賊共の規模や配置等はまだ……」
「いいえ、何人かの姿は見えます、フォトラ殿」
僕から手を離して、じっと砦に目を凝らしていたメルエットさんが出し抜けに言った。
「監視塔にひとり、逆茂木の後ろに三人。いずれも気を緩めているのか、欠伸をしたり所在なさげに歩き回ったりしています」
事も無げに敵兵の様子を口述したメルエットさんに、フォトラさんもフィオラさんも驚いたようだ。
「すご〜い! メルエットちゃん、分かるの!?」
「ええ、目には多少の自負がありますので……」
メルエットさんは、照れたように少しだけ目を伏せる。
「驚いたな、この霧の中でそこまで正確に視えるとは」
「だろ? お嬢様の観察力はすげーぞ、恐れ入ったか?」
「いや、まことに感服したよローリス殿。メルエット殿は鷹の目をお持ちなのだな」
「違うぞフォトラ、メリーは鷲の目だ」
「これはしたり、一本取られたよマルヴァス殿」
「あはっ、良いねそれ! 洒落てる!」
はははは、とマルヴァスさん達が小声で笑い合う。
「ユーモアで盛り上がってる場合じゃないですよ。どうするかを考えないと……」
緩んだ雰囲気を嗜めるように僕は言った。
空気が読めないと言われてしまうかも知れないが、敵陣を前にして談笑する余裕は僕には無かった。
僕は、皆のような歴戦の戦士じゃない。
「おっと、そうだったなナオル。さて、どうするか。迂回は望み薄、入り口まで引き返せば外の盗賊共と鉢合わせ。とくれば……」
マルヴァスさんは、意味深な目で僕を見つつ顎に手を当て考える仕草をする。
「んなもん、決まりきってるだろ」
何で迷う必要がある?、とローリスさんが事も無げに続ける。
「とっとと奇襲を仕掛けて、あの砦を落としゃあ良い。この霧だ、バレやしねェ」
「っ……!」
ローリスさんの言葉が、僕の胸を抉る。
「同感だ、ローリス殿。見たところ、あの砦の規模は小さい。あくまで監視と警戒、そして連絡用の中継地を目的として作った簡易的な陣だろう。であれば、配備されている人数も高が知れている。メルエット殿が見た四人に加え、もう五・六人というところだろうな」
フォトラさんが全く動じていない目でそう分析する。
「そういうこったな。敵が騒ぎ出す前に全員片付けちまえば問題ねェ。マルヴァス、矢はあるだろ?」
「ん? ああ、モルン村を襲ってきた盗賊連中から回収したしな。お陰で矢筒は腹いっぱいだ」
「まず、お前の矢で監視塔の見張りを片付ける。それから俺とそっちのワイルドエルフで……」
「ローリス殿、そろそろ名前で呼んで頂けないか?」
「……ちっ、ああ分かったよ! 俺とフォトラで地上の三人を瞬殺すんだよ。声を出す暇も与えずにな」
「で、それから木柵を乗り越えて、外の異変に気付いていない中の仲間を殺るんだな?」
「そうよ。手際良くやれば三分も掛からねェだろ」
「妥当な作戦だと思う、ローリス殿。では早速始めるとしようか」
「ああ、霧が晴れ切っちゃ元も子もねェしな」
ローリスさんとフォトラさんが腰を浮かせかける。マルヴァスさんも無言で弓を手に執った。
「あの……! 奇襲を仕掛けるって事は、つまり……その……」
決定事項のように話を進める三人の間に割り込んで、僕は喘ぎつつ言った。
「こ、殺す……んです、よね……? 僕達に気付いていない敵を、こっちから……!」
ローリスさんとフォトラさんが怪訝な顔で僕を見る。対して、マルヴァスさんの表情は変わらない。
「何言ってやがるんだ、ガ……いや、ナオル。今そう言ったじゃねェか」
ローリスさんに初めて『ナオル』と呼ばれた。だが、今はそれを素直に喜ぶ気になれない。
「ナオル殿、何かご懸念がお有りかな?」
フォトラさんが生真面目な顔で僕に尋ねる。戦術的な意味で言っている事は嫌でも分かった。倫理的なそれではなく。
「いや、あの、ですね……。つまり…………」
しどろもどろに、僕は口籠ってしまう。僕の心で渦巻いている想いを、この二人は分かってくれるだろうか?
……くれないだろう。僕の軟弱さを笑うか、怒るか、呆れるか。何れにせよ、無駄話だと思われるのが関の山だ。
だって彼らは、軍人として生きてきたんだから。
「嫌なんだろ、ナオル。敵意を向けてきていない相手を、こっちから始末するのが」
「――ッ!!?」
心臓を錐で突かれたような気がした。
マルヴァスさんが、感情の読めない目で僕を見ていた。
「あ〜…………」
「……? どういう事だろうか?」
マルヴァスさんの言葉に、ローリスさんは気まずそうに頭を掻き、フォトラさんは眉根を更に寄せた。
「ナオルはな、平和な場所で生まれ育ったんだよ。争い事や戦とは縁遠い土地でな」
僕が《渡り人》だと言うことは、まだフォトラさんとフィオラさんには話していない。
「だからよ。“死”ってものにまだ慣れてねえんだよ。戦う事も、殺す事にもな。根強い抵抗感ってものが未だ心の中に居座っているんだ。襲ってくる敵を返り討ちにする時ですらそうなのに、ましてや先制攻撃ってのは……って忌避する気持ちがどうしても先に立っちまう。……そうなんだろ、ナオル?」
マルヴァスさんには全部お見通しだ。僕のちっぽけな感傷など、彼には最初から筒抜けだったのだろう。
出逢った頃からそうなのだ。彼はいつだって、僕の気持ちを見抜いて、正確に理解してくれるのだ。
ただし……。
「でもよナオル、これが現実ってもんなんだ。仕方がない事なんだ」
慮ってくれても、甘やかしてはくれない。
僕を、この厳しい世界に馴染ませるように、ちゃんと此処でも生きていけるように、厳しくも正しく、導こうとしてくれる。
「俺達は、この峡谷を抜けて、王都まで行かなきゃならねえ。その為に、障害となるものは取り除かなくてはならねえ。たとえ無防備で無抵抗な相手でも、状況が異なれば立派な敵として俺達に刃を向けて来るんだ。それを予め排除する事は、悪い事か?」
「………………」
諭すようなマルヴァスさんの言葉に、僕は答える事が出来ずに俯いた。
「驚いたな……。あの夜のオーク襲撃に立ち向かっていた時の姿を見て、ナオル殿は中々場数を踏まれた戦場の男だと、私などは思っていたのだが」
ええ、ある意味それは間違っていませんよフォトラさん。
僕も、この世界に来てからそれなりに修羅場を潜ってきた。
この手で奪ってきた生命も、ある。
喉を串刺しにした火蜥蜴、片手を斬り落としたオーク兵、自分でも良く分からない魔法で焼き尽くしたワーム、モルン村でフィオラさんに斬りかかろうとしたヴェイグの配下達――。
振り返ってみて、気付いた。
相手の生命を奪う度に、段々と薄れていく抵抗感や忌避感。それに、罪悪感。
僕は……恐れなくなってきている。少しずつ、だが確実に。
最たる例が、直近のモルン村での戦いだ。
あの時僕は、ヴェイグ配下のオークが発した侮辱の言葉が許せなくて……殺してやりたい、と、そう思ってしまった。
それどころか、その前に『印契』魔法の火球で斃したオーク達に対して、何の感慨すら抱かなかった。
次は、なんだ? 無抵抗の相手を殺せるようになるのか? 殺した上で、何ら罪悪感すら抱かなくなっていってしまうのか?
「僕は…………」
震える手に目を落とす。
僕は、変わってしまったのだろうか? それとも、元々の本性が出てきた結果がこうだと言うのだろうか?
……分からない。分かるのは、自分の知っている“自分”が、次第に消えてゆく恐怖――――
「っ!?」
不意に、僕の手に別の手が重ねられた。
力付けるように優しく、だがしっかりと掴んで。
「メルエット、さん…………」
「しっかりしなさい、ナオル。自分を見失わないで」
霧の中を彷徨い歩いていた時と同じように、しっかりと僕の手を握り、メルエットさんがじっと僕の目を覗き込む。
「貴方はナオル。それ以上でも、それ以下でもないわ」
不思議と、その言葉はすとんと、僕の中に落とし込まれて沁み渡った。
そうだった……。僕は、ナオル。高千穂 直だ。
どのように心情が変わっても、殺戮に慣れてしまったのだとしても、根っこはきっと変わらない。
自分がこれまで生きてきた、その軌跡は、絶対に消えない――。
「……うん。ありがとう、メルエットさん、もう、大丈夫だよ」
ぎこちなく笑みを作ってメルエットさんに向ける。それでも、彼女は僕の手を離そうとはしなかった。
「ナオル様。コバめにとっても、ナオル様は無二のご主人様であらせられますです。たとえどのようにお心持ちが変わられようとも、芯となられる部分は決して変わられませんです。サーシャ様が、そうであられたように」
コバもまた、温かい目線で僕を励ましてくれた。サーシャを知る彼の言葉も、また僕の心を優しくほぐす。
「コバ…………」
涙が出そうになった。メルエットさんとコバの優しさが、思いやりが、狂おしいほどに僕の中を満たしてくれる。
本当に、僕は恵まれている。日本に居た時も、こっちの世界に渡ってからも。
ありがたい事だった。僕は幸福を噛みしめる想いで、二人を見つめ返した。
「……まぁ、私もどっちかって言うとナオルくん寄りかな〜。殺さずに済むなら、それに越したことは無いもんね」
珍しく脇に控えて、ただ黙って僕達の会話を見守っていたフィオラさんが、そこで声を上げた。穏やかな口元に、意味深な笑みを含ませて。
「フィオラ、まさかお前…………」
フォトラさんが何かに気付いたような口を挟みかけるが、それを制するようにフィオラさんが続けた。
「まぁまぁ兄貴、要はバレずに全員無力化すれば良いんでしょ? それなら、わざわざ殺さなくても出来るかも知れないよ。相手が殺気立っているならともかく、この霧だし」
と、フィオラさんはおもむろに背中のマンドリンを手に取った。
「此処は、このフィオラちゃんにお任せあれ♪」
そして、自信有りげにウィンクをしたのだった。




