第百二十三話
「っ!?」
一瞬の内に身体が強張り、背筋に悪寒が走る。視線を下に移すと、コバは迷子になった幼子のように不安ではちきれそうな顔を忙しなく左右に動かしていた。
「……来たか」
片やローリスさんはと言えば、全く驚く様子も無く泰然自若としており、足元に寝かせていた《トレング》をおもむろに手に取った。
「コバ、何が見える!?」
冷や汗が額に浮かぶのを感じながら、僕は小声でコバに質す。
「く、黒い……黒ずくめの装束を来た、人間……? が、み……見えるだけで、六人……!」
喘ぎつつも、コバは必死に視界に収めた情報を伝えてくれる。
「じ、ジリジリと……距離、詰めてきてます……! 姿勢を……か、かがめて……!」
「っ! ローリスさんっ!」
「騒ぐんじゃねェ、相手の呼吸が読めなくなンぞ」
ローリスさんは立ち上がりもしない。ただ《トレング》を肩に担いだだけでまだ腰を落ち着けている。
「いやでも! そ、そうだ! マルヴァスさん達を起こさないと……!」
「動くな、じっとしてろ」
「……!?」
身体を翻そうとすると、ローリスさんの低い声が僕を捕らえた。歴戦の猛者が放つ重圧感に、僕の足はその場で縫い付けられる。
「な、なぜ……!?」
それだけ言うのが精一杯な僕に、ローリスさんは目を据えて答えた。
「“俺ら”に任せとけ」
「えっ――?」
俺ら、って……。
「ナ、ナオル様! クロスボウです! 彼奴ら、小型のクロスボウを所持しておりますです!」
喉を引き裂くようなコバの悲鳴。
「伏せろッッ!!」
「へっ……!? うわぁっ!!?」
気付けば、目の前に広がる巨漢の胸板。同時に起こる、幾重にも重なった『パシュッ!』という何かを弾いた音と、それに続く風切り音。
「ひゃっ!?」
「むぎゅっ!!?」
僕とコバは、ローリスさんに押し倒される形で地面へと身を投げ出した。巨体の下敷きになった際に腹部を圧迫され、潰れたカエルのような声が僕達の口から漏れる。
複数の風切り音が僕達の真上を通過してゆく。放たれたクロスボウの矢が、一瞬前まで僕達の立っていた場所を素通りしていったのだと頭の片隅で理解する。
「野郎ッ!!」
ローリスさんが身を起こし、《トレング》を唸らせ矢の射出音がした方へ駆け出す。背中の圧迫感が消えた僕は、地面に肘をついて顔を上げた。
「あいつらが――!?」
闇の中から朧気に浮かび上がる人型の輪郭達。複数の影として生まれてきたかのように真っ黒い装束に身を包むそれらは、いずれも矢の無いクロスボウを手に原野に散開していた。
「……忍者!?」
身体も顔も黒い布で覆い尽くしたそれらは、まるで時代劇に出てくる忍者さながらの出で立ちだった。違うのは遣ってきた武器が手裏剣でも短弓でもなく、西洋物のクロスボウ(東洋にも『弩』というクロスボウの原型っぽい武器が存在するが、忍者のイメージにはそぐわないだろう)という点だが。
「――!」
黒ずくめ達は、示し合わせていたかのような動きで一斉にクロスボウを仕舞い、代わって黒光りする短めの剣のような得物を取り出す。闇の中で黒い剣身が僅かに光を反射したのが、かろうじて見えたのだ。
ますます忍者っぽい……などと呑気に見とれている場合じゃない。
「ローリスさん、気をつけて!!」
何をどう“気をつけて”なのか、気の利いた具体的な注意が出来ないもどかしさを覚えながらも、とにかく僕は真っ向から『忍者』達に挑んでいくローリスさんの背中に向けて叫んだ。
「わーってら! テメェらはそこで伏せてろ!」
慢心も油断も感じさせない声音でそう言うと、ローリスさんは躊躇せずに『忍者』のひとりの間合いに踏み込み、《トレング》を一閃させた。
だが『忍者』は、かなりの余裕をもって後ろに飛び退り、難なくその一撃を回避する。空振りしたローリスさんの隙を衝くように、死角から別の『忍者』が迫る。
「ローリスさんッ!!」
彼が気付くよう、僕は声を張り上げた。しかし、そこは流石に歴戦のローリスさんである。僕の声が届くよりも前に、彼は死角から近付く『忍者』の殺気を感じ取り、素早く振り返って《トレング》の柄頭をそちらへ向けていた。
黒光りの剣と大槌の柄が交錯し、闇の中で一瞬火花が踊る。
死角からの一撃を受け止めたローリスさんが、そのまま相手を押し飛ばそうとする。力比べでは圧倒的にローリスさんに分があるようで、彼が少し足を踏み出しただけで《トレング》の柄を受ける『忍者』があっさり体勢を崩す。
が、しかしそこでまた別の『忍者』が仲間を救わんとローリスさんに躍りかかる。
「チッ!」
短く舌打ちをして、ローリスさんは《トレング》を引き戻し、両手で柄を横に突っ張ってその攻撃を防御する。
と、そこで更に彼の後ろに、再度クロスボウに矢を装填した『忍者』がスタンバイしていた。
「ローリスさん!!」
「ローリス様っっ!!」
もう一度声を張り上げる僕。今度はコバも一緒だ。
それが功を奏したのかは定かではないが、ローリスさんは紙一重で離れた位置から自分に向けられた殺気に気づき、身を捻って飛んでくる矢を躱した。
「……はっ! そこそこやるな!」
残心を示しながら、ローリスさんは『忍者』達から距離を取って仕切り直す。彼の前に対峙する『忍者』は、三人である。
だが、それが敵の全員ではない。他の『忍者』達は、その三人がローリスさんを抑える役になると踏んだのか、別の動きを見せた。
すなわち、僕達が居るこっちの方へ向かってきたのだ。
「――っ! コバ、来るよ!」
言いざま、僕は『火の印契』を組む。
「しょ、承知致しておりますです! コバめも、戦いまする!」
コバもまた、傍らに落ちている手頃な石を拾って構えていた。
だが次の瞬間、僕は自分の見通しの甘さを呪う。
「ああっ!?」
こちらに向かってきた『忍者』達が、更に分散した。数人が僕とコバの方へ。そして残りの半分が剣の切っ先を定めた先は……テントの方だ!
マズい! 彼処では今、メルエットさんやフィオラさんが休んでいる! マルヴァスさんもフォトラさんも、とっくに泥酔して今頃は夢の中だろう。自分達に迫る凶刃に気付く事は出来ないし、気付いてもまともに太刀打ち出来るかどうか。助けたいけど、この局面で放てる火球は精々一発。僕達に向かってくる方を迎撃していたら間に合わない!かといって目の前を疎かにすれば、僕とコバがやられてしまう!
束の間、どっちに照準を合わせるか僕は迷ってしまった。逡巡している暇すら無いというのに!
「(ええいっ!!)」
殆どヤケクソ気味に肚を決め、テントに殺到せんとする『忍者』達に火球を撃とうとした時だ。
「まだまだだな、ナオル――」
テントのひとつが口を開け、そこから二つの影が疾風の如く飛び出した!