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竜の階  作者: ムルコラカ
第三章 エルフの誓い
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第百二十二話

 野営地に戻ってみると、小さくなった焚き火の前にローリスさんだけがただ静かに座っていた。日頃から纏っている粗野な雰囲気は鳴りを潜め、険しいものが取れた顔付きでぼんやりと揺れる炎を見つめている。何処か思慮深い様子に見えなくもない。


 「あれ? 他の皆は?」


 普段の彼とは違う佇まいに新鮮さを感じながら尋ねると、途端にいつもの調子を取り戻したようでジロリと面倒くさそうにこっちを見てくる。


 「幕舎テントの中に決まってんだろ。お嬢様ももうお休みになられたぜ」


 言われて僕はテントの方に目をやる。メルエットさん・フィオラさん用の女性陣テントが一つと、僕ら男性陣のテントが二つ。いずれも中に灯りは点いていない。耳を澄ますと、野太いいびきのような声が微かに聴こえてくる。


 「……お酒はもう十分ですか」


 「いいや、全然足りねェな。あんな質の悪い酒、どんだけ飲もうが水と変わんねェよ」


 ローリスさんが不満気に傍の小枝を取り、無造作に焚き火に投じる。パチッという音が爆ぜて、僅かに舞う火の粉が彼の顔を照らした。酒の力で赤く染まっていた筈の彼の頬は、既に酔いが醒めているかのように元の肌色を取り戻している。


 「その割には、さっきは随分と上機嫌に見えましたけど」


 「ふん、まァ騒ぐ分には悪かァなかったがな。酒の切れ目が酔いの切れ目、ってもんだ。お開きになっちまえば、あれぐれェの酒気なんぞ余所行きよ」


 ローリスさんの顔が、焚き火から僕へと向く。


 「テメェこそ散々お楽しみみてェだったじゃねェか。ズドンズドンと、こっちまで響いてきてたぜ」


 「練習ですよ、魔法の。少しくらい制御出来るようになっておきたくて。毎度毎度、自分の体力をすり減らすのは勘弁してもらいたいので」


 「へっ、ご立派なこった。んで、ちったァ成果とやらは出たのかよ?」


 「いえ、それがあんまり……。魔法の強さは、自力では調整不可能という結論が出ただけです」


 「しょっぺェなァ。んじゃあ、あの火の玉以外で何か使えるようにゃなったのか?」


 「いえ、それも……。その辺を試す前に切り上げて戻ってきちゃいましたし……」


 「なんだそりゃ。伝説の《渡り人》様ともあろう御方が、随分と情けねェもんだなァ、おい」


 グウの音も出ない。バカにしたようなローリスさんの視線を、甘んじて僕は受ける。

 と、急にその嘲笑を収め、ローリスさんは真顔でじっと僕を見る。


 「でもまァ、良かったじゃねェか。あんだけの魔法がありゃ、《棕櫚の翼》にだって十分太刀打ち出来るだろうよ」


 「――!!」


 息を呑む。マグ・トレドが襲われた日の光景が、花火のように一気に脳内で爆ぜる。


 「ナオル様……!」


 コバの声にも、震えが顕れている。僕達の想いが至る先は、ひとつだ。

 そしてそれは、どうやらローリスさんも同じらしい。


 「あー…………。その、なんだ…………」


 僕を見据えていた視線があちこちに泳ぎだす。しばらく言葉を探しあぐねていたようだが、やがて観念したように長い溜息を吐くと――


 「悪かった、な…………」

 

 そう、ポツリと言った。


 「ローリスさん…………」


 『何のこと?』と惚けるつもりはない。胸に去来する様々な感傷を頑張って抑え込み、僕は彼の言葉に神経を集中させた。


 「俺を助けた所為で、あの娘がワリを食ったんだろ。詫びのひとつぐれェ、とっとと入れるべきだったんだって分かっちゃいたんだが……」


 忙しなく視線を彷徨わせながら、この上なく気まずそうにしながらも、ローリスさんは真剣に考えながら言葉を紡いでゆく。

 “あの娘”が誰を指しているのか、僕にもコバにも痛い程分かっている。


 「そもそもが、そっちのゴブリンに因縁ふっかけた時からテメェには……テメェとあの娘にはとんだ迷惑を掛けちまった。それが巡り巡って、しまいにゃあんな事になるなんざ…………」


 「ローリス様……」


 心配そうに声を掛けるコバに少しだけ目を合わせてから、ローリスさんは俯いた。


 「俺ァ……ずっと過去に拘っていた。騎士に憧れた自分、鉈と鋤を担いで村を飛び出した自分、義勇軍に入って戦いに明け暮れた日々、討ち取った敵の首級、身体に刻まれた古傷……。そういった積み重ねの果てに、栄達への道ってやつがあるもんだと信じていた」


 僕もコバも口を挟まない。懺悔にも似た彼の告白に、じっと耳を傾けている。

 ローリスさんがまたひとつ、焚き火の中に薪をくべる。弱くなった火が俄に元気を取り戻し、目の前に座る彼の全身を明るく照らす。手や顔に沢山刻まれていた大小の古傷は、フィオラさんの“秘癒の儀”で全て治されて、今はもう影も形も無い。恐らく、鎧に包まれた身体の方も同じだろう。

 リセット、されていた。


 「だからあの時、俺ァ……落ちぶれた今の自分が信じられずに……認めたくなくて…………酒に溺れて目を逸らしていた。誰彼構わず絡んで、荒れ狂って暴れる事で、見苦しいテメェの姿を忘れようとしていたんだ……」


 ローリスさんは両手を組み、そこに自分の額を当てた。彼がどんな顔をしているのか、僕達の位置からでは伺い知れない。


 「悪かった…………」


 万感の思いが籠もった『悪かった』だった。


 「伯爵閣下には、イーグルアイズ卿からは温情を頂けた。お嬢様も昨夜、似たような事を仰られた。俺は…………やり直してェ。過去を棄て、生まれ変わりてェ。あんな古傷だの首級だの、とっくに終わった話をいつまでも自慢するようなつまらねえェ男で終わりたくねェ。功績に拘る前に、テメェのしでかした失敗をきちんと見つめて、償いてェ」


 ローリスさんが顔を上げ、僕とコバをしっかりと見据えた。炎を映す瞳に、確かな決意を宿して。


 「赦してくれ、なんざ言わねェし言えねェ。ただ、これからの俺を見ていて欲しいんだ。あの娘と、テメェらから貰った恩に、報いさせてくれ」


 そう言った彼の顔は。

 これまで見てきた中で一番真摯で、心打たれるものだった。


 「ローリス、さ……」


 何か言わなくちゃ。けじめを取ろうとする彼の誠意に、きちんと応えてあげなくちゃ。

 そう思い、口を開きかけた時だった。


 「な、ナオル様――!」


 切羽詰まったようなコバの小さな悲鳴が、その場の空気を一瞬で塗り替えた。

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