第百十七話
「おお、戻ったかナオル、コバ」
居間に入ると、マルヴァスさんとホワトル牧師、そしてオズマ村長が集まって何やら話しているところだった。僕が扉を開けたのを目聡く見つけたマルヴァスさんが、『お疲れ』というように片手を上げて迎えてくれる。
「先程そちらの方から声が聴こえたような気がするが、あのワイルドエルフのお嬢さんは大丈夫なのかね?」
腕組みをしたホワトル牧師が尋ねてくる。相変わらず難しい顔をしているが、一応心配してくれていたようだ。
「はい、彼女はさっき目を覚ましましたよ。今はフォトラさんが傍に付いてくれています」
僕が答えると、三人共張り詰めた緊張が少し緩んだように肩から力を抜いた。
「それは良うございました。フィオラ様にもしもの事があれば、村民一同悔やんでも悔やみきれませんでな」
「色々と思うところはあるが、彼女のお陰で皆が助かったのは紛れもない事実だ。三女神の末、冥神様の御慈悲に感謝を」
オズマ村長が愁眉を開き、ホワトル牧師が瞑目して指で虚空に三角形を描く。あれはきっと《聖還教》で言うところの“十字を切る”所作なのだろう。
「まぁ、まずは一安心だな。ところでナオル、メリーはどうした? 一緒じゃないのか?」
と、マルヴァスさんが安堵の表情に僅かばかり怪訝な色を滲ませた。
「丁度僕もそれを訊きたかったところです。メルエットさんは先に戻ってきてると思ってたんですが……」
「いいや? ずっと此処に居たがメリーの姿は見ていないぞ。戻ってきたのはお前達が先だ」
「あっ、じゃあ……」
『途中のトイレに寄ったのかな?』と続けようとして、言葉を飲み込んだ。隠すような事じゃないかも知れないけど、女性のトイレ事情なんてあまり言及しない方が良いだろう。
「“じゃあ”、なんだ?」
「いえ、記憶違いでした。僕達の方が先だったんです。なんでもメルエットさん、少しフィオラさんに話があるとかで」
「うん……? そうか、まあ良い」
適当にごまかす僕にマルヴァスさんは一瞬眉を上げたものの、それ以上追及してきたりはしなかった。これがローリスさんであればまた色をなして僕を詰ったであろうが、彼の姿は此処には無い。恐らくまだ村長の家の軒先で、今はもう無い古傷達を偲んで黄昏れているのだろう。
「後ほど、我々もフィオラ様へのお見舞いに上がりましょう」
「そうですな、村長殿。村の恩人である彼女には改めて礼をせねばなりますまい。だが今は、それよりも先に話し合っておかねばならん事がある」
一度は緩んだ表情を再び引き締めて、ホワトル牧師は僕に目を向けた。
「君、幾度も確認して済まないが、先日襲ってきたオーク共の頭は間違いなく《オーク十二将》を名乗ったのかね?」
「はい、その通りです。彼は自らを“ヴェイグ”と称していて、オーク達だけでなく、その前に襲ってきた盗賊達をも統率していると語っていました」
淀みなく答えると、場の空気が緊迫したものに差し替えられる。オズマ村長が青ざめた顔になって嘆息した。
「まさか、ソラスの流民から構成された盗賊達と、彼らを祖国から追い出した張本人たるオークが手を組むとは……。一体どうなっているのか儂にはさっぱりですじゃ」
「同感ですな村長殿。しかもこの地に入り込んできたのは、オーク族を束ねる十二人の有力者の一角という話ではないか。そのような大物がこのモルン村に現れたとは、俄には信じ難い」
「だが、信じてもらうしかない」
深刻な顔を向け合うオズマ村長とホワトル牧師の前に、マルヴァスさんが進み出た。
「カリガ領にもオークは居た。ネルニアーク山で連中の指揮を執っていた奴も《オーク十二将》のひとりだったんだ。その前にはマグ・トレド領でも奴らの痕跡を目の当たりにした。状況は俺達が想像していたより遥かに悪い。オーク共は、この国のあちこちに根を下ろしている。何か恐ろしい計画が水面下で進行している予感がするぜ」
既にこの二人には、昨日の段階で僕達の素性を(僕が“渡り人”であるという一点を除いて)明かしている。これまでの経緯も、モントリオーネ卿の企みに関する部分のみを伏せて他は包み隠さず伝えた。
「ソラスから逃れてきた者達が賊に成り下がったかと思えば、竜が暴威を奮って街を襲い、その上今度はオークか。国難続きにも程がある。偉大なる国王陛下は今度こそ有効な手立てを考えて下さるのだろうな?」
ホワトル牧師が皮肉たっぷりに吐き捨てる。それでも飽き足らないのか、彼は忌々しげに地団駄を踏んだ。
「ええいっ! 王都の大聖堂からも連絡は来んし……! 《聖還教》が誇る聖堂騎士団さえ派遣してくれれば、盗賊だろうとオークだろうと物の数では無いと言うに……!」
「国や領主は何も手を差し伸べてくれないんですか? 討伐軍なら何度も派遣されているのでしょう?」
気になって僕は訊いてみた。「はっ!」とやさぐれた返事がホワトル牧師からは返されてきた。
「モルン村はランガル領でも僻地に当たる、見向きもされまいよ。討伐軍の主眼はオルフィリスト領に向けられているからな。ソラス王国と国境を接しているあちらの手当てが国としては喫緊の大事なのであろう。領主殿にしても同じ事。ランガル領で盗賊が出没しているのは此処だけでは無いのだ。手持ちの兵士達だけでそれらに対処せねばならぬというのであれば、モルン村が後回しにされるのも致し方あるまい」
そう結びつつも、ホワトル牧師の顔にははっきりと『納得がいかない』と書かれている。まぁ、この村に住まう人達からすれば見捨てられているも同然か。
「こうなってくると、最早伝説にでもお縋りする他ありませんなぁ」
「村長殿、“渡り人”伝説の事かね?」
「……っ!?」
出し抜けに出てきたその単語に僕の心臓が跳ねた。喉から変な声が漏れそうになり、慌てて口を噤む。
そうだった、《聖還教》では“渡り人”の存在を信じているんだ。
「ええ、『雲の上より来たる 神に喚ばれし天津人 魔の理に通じ 民の望みを映す 乱るる大地に降り立ち 蔓延る邪を討ちこれを定めん』……。ダナン王国が揺れに揺れている今こそ、この伝説が現実になればと希わずにはいられませんのじゃ」
「気持ちは分かりますがね、私としては望み薄だと考えざるを得ませんな。あの大戦中でも“渡り人”が降臨するなどという奇跡は起きなかった。むしろ、あのワイルドエルフのお嬢さんこそ女神が遣わしてくださった奇跡だとさえ思えますよ」
「ほほほ、それは間違いございませんな。フィオラ様とフォトラ様が居てくださって本当に良かった。これ以上を望むのは不遜というものかも知れませんのぅ」
僕はそっとマルヴァスさんを見る。彼は無表情のままで僅かに首を横に振った。『言うな』という事か。
確かに、僕が“渡り人”だと明かしたところでどうにもならない。火の球が撃てるようになったとはいえ、ただそれだけだ。伝説に謳われる存在とは程遠い。とてもあのヴェイグを始めとする敵の集団を、ひとりで片付けるなんて芸当は無理だ。
ならどうするか? もっと現実的な対策と言えば…………
「では、新たに現れた《オーク十二将》の情報を王都に届ければ如何でしょう?」
凛とした声が放たれ、居間は水を打ったように静まった。




