第百十話
「オーク十二将!?」
聞き覚えのあるその単語に僕は瞠目した。
「まさか、レブと同じ……!?」
言い掛けて『しまった!』と思ったが、もう遅い。(フィオラさんの時といい、こんなのばかりだな僕は。メルエットさんを笑えまい。)
ヴェイグと名乗ったオークは、薄笑いの浮いた顔で僕を眺める。
「ほう、するとお前だな? レブのとこから逃げ出した捕虜のひとりとは。そう言えばその女のような顔立ち、聴いていた捕虜の特徴と合致するな」
僕はごくりと生唾を飲み込む。コイツは今、この地の盗賊団を束ねていると言った。つまりこのヴェイグとその仲間のオーク達は、カリガ領に潜伏しているレブ達とはまた別の集団なのだ。そして同じ十二将を名乗るだけに、コイツはレブと連絡を取り合っている。しかも逃げる僕達の足を追い越して情報を得ている程の正確な連絡網が敷かれている。
オーク達はカリガ領のみならず、此処ランガル領でも根を張っている。そして恐らく、マグ・トレド領にも。僕の脳裏に、ブリズ・ベアが襲撃してきた時の一件が蘇る。
一体どれだけのオークがダナン王国に入り込み、隠然とした勢力を培っているのか。その予想に至り、僕は戦慄した。
「下等な人間共もたまには役に立つ。偶然とは言え、標的を見つけてくれたのだからな」
他のオーク達と比べると貧弱とすら呼べる体躯のヴェイグだが、細めた目から放たれる眼光の強さは尋常ではない。全身から、妖気にも似た凄まじい威圧感を放っている。潰走しかけていた他のオーク達も彼の登場で落ち着きを取り戻し、それぞれが安堵の色を顔に表してその背中を見守っていた。ヴェイグに対する信頼度の高さが、その仕草ひとつからでも見て取れる。
「オーク十二将って、その圧倒的な武勇でソラスのオーク族を纏め上げてるっていう、十二人の実力者達!? そんな大物がどうしてこの地に!?」
シャープオークの登場に彼の持つ肩書。立て続けに起こる予想外の展開にフィオラさんも驚きっぱなしだ。それには答えず、ヴェイグはフォトラさんに視線を戻して言った。
「ワイルドエルフの戦士よ、貴様の戦いぶりは見事だった。今宵は小手調べだ。これにてお互い引き下がろうではないか」
「随分、虫の良い提案だな。私がそれに応じるとでも?」
押し殺した声を出しながら、フォトラさんは手甲を嵌めた拳を打ち合わせる。彼の心の中で渦巻く怒りや苛立ちの感情が僕にも痛い程分かった。
だがヴェイグは余裕たっぷりの笑みを口元に表した。
「良いのか? そこらに転がっている村人共にはまだ息がある。急いで治療を施せば、生命だけは取り留めるかもしれんぞ」
「何……!?」
「俺が、あえてそう指示を出しておいた。なるだけ即死させないように、とな。貴様が看取った役立たずの門番も、一言二言喋るだけの余力はあっただろう?」
「っ! 貴様!!」
冷静さを保とうとしていたフォトラさんだが、ついに激情を抑えきれなくなったように声を荒げる。今にもヴェイグに飛び掛からんとより一層腰をかがめた。
「どうしてもと言うなら相手をしてやらんでも無いが、そうやって時間を浪費している間に村人共は死に近付く――」
ヴェイグが最後まで言い切る前に、フォトラさんは動いていた。
まるで瞬間移動としか思えない速度で数メートル分の距離を一気に詰める。気付けば両者の距離は数インチまで縮まっており、フォトラさんの振りかぶられた拳が今にもヴェイグを殴り抜こうとしていた。
神速としか言いようがない動き。攻撃の瞬間を目視出来ただけで奇跡とすら思える一撃。自分のセリフに集中していたヴェイグは剣を構えてすらいない。フォトラさんの拳が、迎撃態勢を整えていないヴェイグを捉えるのは必至と思えたその時。
ヴェイグの口の端が、僅かに吊り上がったように見えた。
――ギィィンッッ!!
「ぐっ……!!」
苦しげな声を上げたのは、フォトラさんの方だった。
見えない壁にでもぶち当たったかのように、拳を振り抜いたフォトラさんが逆に弾き飛ばされる。背中から地面に倒れ込み、それでも勢いを殺しきれずに彼の身体は土埃を舞い上げながら地を滑る。
「兄貴!!」
「フォトラさんっ!」
「大事無い!!」
すぐさま駆け寄った僕とフィオラさんが手を差し伸べるが、フォトラさんはそれを払いのけるように自力で身体を起こして立ち上がる。緩慢な動きでは無く、余りダメージを受けているようにも見えない。幸いにもきちんと受け身を取れていたようだ。彼のしっかりした様子を見て、僕はひとまず胸を撫で下ろす。
しかし、今のは一体……。
ヴェイグの方に目を移すと、彼は右手にだらりと剣を提げたまま、左手に握った斧を振り上げた姿勢で立っていた。
「不意打ちには不意打ちで対抗か? 嫌いではない心意気だが、俺には通じん」
勝ち誇ったようにフォトラさんを見下し、ヴェイグが嗤う。
「っ! フォトラさん……!」
僕は慌ててフォトラさんとヴェイグの様子を見比べた。仮にあの斧で斬られていたとしたら、フォトラさんの身体もきっと毒に侵されてしまっている!
僕の心を察したのか、フォトラさんが苛立たしげに告げる。
「無用な心配だ、斧の一撃なら手甲で受けた。見てみろ、あの斧に私の血は付いていない」
言われて斧の刃を見ると、確かに綺麗なままだった。
「良かった……!」
フィオラさんも心の底から安堵したようで、強張った内心をほぐすようにホッと息を吐いた。
そんな僕らの様子を滑稽に思っているのか、ニヤニヤと不快な笑みを浮かべたままヴェイグが言う。
「『赤枝』の戦士よ、貴様の腕前は中々のものだが、怒りに我を忘れてしまうようではまだ未熟だな。最初の一合で互いの実力差は分かった筈。現実を枉げて見ていると、つまらぬ死に方をする羽目になるぞ」
「ぬかせ……! オークごときが……!」
親の仇を見るような目で、フォトラさんはヴェイグを睨み付ける。
「覚えておけ……! 貴様は必ず、このフォトラが討つ! 無垢なる民に暴虐な牙を剥いた悪鬼羅刹に等しい貴様らの所業、必ず裁いてくれる!!」
「思い上がるのも結構だが、忘れるな。既に貴様には幾人もの仲間が屠られた。許せぬのはこちらも同じよ」
「身勝手極まる! 我利我欲でのみ生きる下賤な生き物め! 神々に呪われてしまえば良い!!」
「くくく、“神”か。エルフや人間の語る神々が正しいものであれば、そうなるだろうがな」
ヴェイグは意味深に喉の奥で嗤う。
その様子に引っ掛かるものを覚えて、どういう意味か訊き出そうとした時、不意に後方から声が届いた。
「ナオル殿!!!」
……メルエットさんの声だ! 僕は急いで後方を振り返った。
するとまさに、メルエットさんやマルヴァスさん、コバやローリスさんは勿論村長を始めとする他の村人達が揃って駆けつけてくるところだった。その中には、先程フィオラさんが身体を張って逃した親娘の姿もしっかりと見える。彼らが他の村人やマルヴァスさん達に事態を知らせてくれたのだろう。
「さて、そろそろ潮時だ。これにて失礼させてもらう」
「……ッ! 待て!」
憎々しげに呼び止めるフォトラさんを無視して、ヴェイグが踵を返す。
「気を揉まずとも、すぐに再会出来よう。その時こそ決着をつける。『赤枝』のエルフも、レブの捕虜達も、全員纏めて片付けてくれるわ。精々首を洗って待っておくことだ」
最後に横顔をこちらに向けてそれだけ言い残すと、ヴェイグと部下のオーク達は、燃え盛る家屋を避けながらその向こうへ消えていった。満月の光を掻き消す赤い炎に遮られ、明るい夜にも関わらずオーク達の姿はすぐに見えなくなる。
「………………」
僕も、フィオラさんも、フォトラさんも。仲間や村人達が駆け寄って来るまでの間、ずっと無言で彼らの消えていった炎の先を見つめていた。




