第百九話
“貫腕のフォトラ”。彼は自らをそう称した。
仮にこれが現代日本で、しかも口にしているのが僕だったら『ただの中二病拗らせた痛い人』で終わるところだが、ここは異世界。死の匂いが常に付き纏うハイファンタジーそのものな世界だ。今、僕が存在している現実において、この手の二つ名は所有者の実力を示す指標に他ならない。
ローリスさん然り、フォトラさんもそれに違わない力量を有している。さっきの弓での殴打乱舞を見れば一目瞭然だ。……射術の腕は置いといて。
手甲を軋ませながら悠然とオーク達に向かっていくフォトラさんのスリムな背中が、途轍もなく大きく見えた。
そして……
「いくぞ――」
その呟きが終わるか終わらないかという刹那、フォトラさんの姿が消えた。
「ごっ!?」
「がっ!?」
「びゅ!?」
フォトラさんに弓で打ち据えられ、未だ地面に這いつくばっているオーク達の間から次々と奇声が上がる。それが断末魔だと気付いた時には、既に彼らは尽く首を変な風に捻れさせて息絶えていた。
「――まずは五匹」
言葉と同時にフォトラさんの姿が現れる。腕に装着された手甲から、僅かに血が滴り落ちる。僕は改めて亡骸と化したオーク達を見た。いずれも喉が抉れている。
あの手甲で、オーク達の喉笛を貫いてとどめを刺したのだ――。
迅速かつ容赦の無い早業。元・『赤枝従士隊』の名に違わない精強無比な戦士の姿。
ぞくり、と背筋が震えた。やはり彼もまた、一切の躊躇も葛藤も無く敵対者の生命を奪える人だ。甘える事が許されない、厳しい世界を生き抜いてきた存在。
恐ろしく、そして頼もしい味方。オーク達に感じた恐怖や怒りの感情が急速に萎み、代わりにフォトラさんに対する畏敬の念が膨らむ。
「さて…………」
「ヒッ……!? く、くるなッ!」
フォトラさんが一歩踏み出すと、オーク達が逆に一歩下がる。まだ二十体以上は居るというのに、フォトラさんひとりに完全に呑まれていた。
「逃がしはしない。お前達の罪は万死に値する。此処で骸を晒し、お前達が殺めた者達へ詫びろ」
何処までも静かに、努めて感情を押し殺した声を放ちながらフォトラさんが身を屈める。
「く、クソォ! 怯むな、一斉にかかれッ!!」
追い詰められて後が無くなったオーク達が、殆どヤケクソ気味に再び戦意を沸き立たせる。やられる前にやれとばかりに、数に頼った先制攻撃を仕掛けてきた。散開したオーク達の白刃がフォトラさん目掛けて殺到する。
「フッ――!」
フォトラさんは短く息を吐くと、自身に一番近い距離に居るオークに向けて身を滑らせた。大上段に構えられた剣が振り下ろされるより遥かに速く自分の間合いに持ち込み、隙だらけの脇腹に拳を打ち込んでオークを怯ませる。そして力の抜けた手首から剣をもぎ取ると、逆にそれを相手の腹に突き入れた。
「ウヴッ!?」
空気を絞り出すような断末魔に感心を示すでも無く、フォトラさんはもう片方の手でそのオークの肩を掴むと、突き刺した剣の柄を支点に自分と彼の位置を入れ替える。
直後、他のオーク達の繰り出した白刃が次々とそのオークの身体に食い込んだ。仲間を盾にされ、オーク達の顔に驚愕と憤怒と悲痛が広がる。
その隙を、当然フォトラさんは見逃さない。
無数の武器による攻撃を受けて歪なオブジェと化した“盾”の陰から身を躍らせると、瞬時に動きの鈍った残りのオーク達にその拳を向けた。
左に立つ一体の顎を砕き、その隣で剣を引き抜こうと苦戦している一体の鳩尾を強かに殴り付け、武器を手放して逃げようとしていた他の一体の項に手刀を叩き込む。
瞬く間に、地面に折り重なる死体の数が増えてゆく。
戦いの優劣は決定的だった。オーク達の勢いは無残に止められ、流れは完全にフォトラさんへと傾いている。
「凄い……!」
思わず僕の口から感嘆が零れる。目の前で繰り広げられているのは血なまぐさい殺し合いの光景なのに、それでもフォトラさんの戦いぶりを美しいと感じてしまう。身体能力に優れるワイルドエルフ。その中でも精鋭として恐れられた『赤枝従士隊』の一員だったフォトラさん。迷いのない、流れるような動きから繰り出される技の数々はいっそ武道の型のようで、神秘的なエルフの容姿と相まって何処か幻想的なイメージすら醸し出している。
マルヴァスさんやローリスさんと競わせたら、どっちが強いのだろう?
「ダ、ダメだ!! 俺達じゃコイツには勝てねェ! 逃げるぞ!!」
最早勝敗は決した。圧倒的なまでのフォトラさんの強さを見せつけられ、完膚無きまでに戦意を挫かれた生き残りのオーク達が我先に逃走を始める。
「…………」
そこを、無言の修羅と化したフォトラさんがすかさず追撃する。一息吐く暇すら与えずに、逃げるオーク達の背中に追い付く。
これから始まるのはもう戦いではない。それは一方的な殺戮。村人を殺された事に対する、容赦の無い報復である。
フォトラさんの制裁を見せつけられる予感を抱きつつ、僕がそこから目を離せないでいると、不意に状況に変化が訪れた。
逃げるオーク達の間から、一回り小さい影が飛び出てきた。それは寸分たがわず、追い縋るフォトラさんの前に立ちはだかる。
「――ッ!?」
刹那、一瞬の閃光が目の前を走り、小気味良い金属音が鳴り響いた。寸前まで前方に走っていたフォトラさんの身体が急停止し、ピョンピョンとバックステップをとって真後ろへ退る。
「えっ!? い、今何が起きた!?」
急転した事態を理解しきれずに困惑する僕。いや、『何か』がフォトラさんの前に飛び出てきたのは分かったんだ。ただその他の事を、脳が処理するのが遅れている。フォトラさんと『何か』が交差する瞬間に起きた事を、目が捉えきれなかったと言い換えても良い。
「――ほう、殺ったと思ったが防がれたか。流石に『赤枝従士隊』を名乗るだけはある」
その『何か』は、堂々と剣を構えて地面に立ち、不敵な笑みを浮かべていた。フォトラさんは油断無くファイティングポーズを取って、目の前の『そいつ』を睨み付ける。
『そいつ』は、顔の造りだけを見ればとても良くオークに似ていた。ただし、他のオークに比べると頭一つ分くらい小さい。身を包む鎧から覗く肌も、緑色ではなく赤紫とでも言うべき色だ。そして筋力も少なく、痩せている。いや、むしろ引き締まっていると表現した方が適切かも知れない。
「……! “シャープオーク”……!」
隣で、フィオラさんが息を呑む気配が伝わってくる。
「シャープ、オーク……?」
彼女の口にした耳慣れない単語を僕は繰り返した。
「オーク族のひとつよ。“力”に優れる通常のオークと異なり、“技”に長けた暗殺者の一族と言われているわ。オーク達の影に潜み、秘密裏に種族の敵を排除する隠密集団よ!」
「暗殺者……!?」
僕はぎょっとして『そいつ』に目を戻した。そんな僕らに対し、目を細めて『そいつ』が言う。
「暗殺者だの隠密だの、不名誉な呼び方は止めてもらいたいんだがな。今の俺は、最早“影”では無い」
そして、胸を反らして高らかに宣言する。
「俺の名はヴェイグ! シャープオーク族にして《オーク十二将》がひとり! この地におけるオーク達の指揮官にして、貴様らが大盗賊団と呼んでいる者達の頭領だ!!」
二人目のオーク十二将の登場。
次回、ワイルドエルフ対シャープオーク。