第百七話
静穏だった村の夜を無情にも破る鬼達の饗宴。
修羅場と化した村の真っ只中で、地に伏せた親娘を背中に庇うフィオラさんと、家屋を焼く火を背景にしたオーク達が対峙する。
一体斃されたというものの、オーク達の顔には相変わらず余裕の笑みが浮かんでいる。数で勝る彼らは、フィオラさんを囲むようにじりじりと輪を広げていた。
「立って! 早く逃げて!」
油断なくマンドリンを構えつつ、フィオラさんが背後で倒れたままの親娘を促す。打ち震えながら呆然と成り行きを見守っていた父親は、目が覚めたように顔面に活力を取り戻すと急いで娘を立たせて走り出した。
「ハッ! 逃がすかよ!」
左右に展開していたオークが、それぞれ手に持った武器をしごいて親娘に追い縋ろうとする。
「させないわ!!」
迷いなく、フィオラさんが右のオークに向かって地を蹴りマンドリンを振りかぶる。動きにくいロングスカートを履いているというのに、彼女の動きは獲物を仕留めんとする猫のように俊敏だった。
「チィッ!!」
フィオラさんに狙われたオークは、咄嗟に剣を振り上げてマンドリンの一撃を受け止める。流石に一体屠られているからか、向こうにも油断がなく対応が速い。そのまま鍔迫り合いの体勢に持っていく。
「オラァッ! こっちにも居るんだぜェッ!!」
すかさず、他のオーク達がフィオラさん目掛けて殺到する。
「っ!?」
目の前の一体に手こずるフィオラさんに、それを捌く事は不可能だ。如何に勇ましかろうと、彼女は戦士では無い。
ならば……ッ!
「はぁぁっ!」
気合いと共に、僕は印契に込めた魔力を開放した。フィオラさんが時間を稼いでくれたお陰で、既に準備は完了してあったのだ。
人の頭程の大きさをした火球が組んだ掌から放たれ、一直線に飛ぶ。
「――ッ!!?」
悲鳴を上げる暇もなく、フィオラさんに襲いかかろうとしていた数体のオーク達がその餌食になる。火球に呑み込まれ、そのまま燃え盛る家屋の方へとぶっ飛んで行き、炎の中に消えた。
僕はその光景を、衝撃で揺れに揺れる視界の中でなんとか見届ける。発射の反動で逆方向に凄まじい圧が掛かり、踏ん張った両足が土を削りながら線を引く。それが収まった時、僕は荒い息を吐きながら地面の上に尻餅をついた。
「ナ、ナオルくん……!!?」
「な、なんだァ今のは!? 魔法か!? あのガキがやったのか!!?」
フィオラさんも、残りのオーク達も、喫驚を隠そうともせずに僕を見ている。その一瞬だけ彼らはお互いの存在を忘れ、闘争の音が止んだ。
「フィオラさん! 早くこっちに!」
僕はよろよろと立ち上がりながら、彼女に退くよう促した。その一言でフィオラさんも、そしてオーク達も我に返る。
「逃がすかよ、エルフの女ァ!」
先程まで鎬を削っていた相手のオークが無造作に剣を振る。その一撃を難なく躱し、そのままフィオラさんは僕の傍まで後退してくる。
「フィオラさん!」
「凄いわね、ナオルくん! 今の、キミの魔法!? 見かけによらず、とんでもない魔法使いね!」
僕の隣でマンドリンを構えつつ、フィオラさんが流し目で不敵に笑う。
「フィオラさんこそ! そんなに勇ましいなんて思ってませんでした!」
「これでもワイルドエルフよ! 戦えないなんて、いつから誤解してたの!?」
「いや本当、先入観って怖いですね! ところで、その楽器って武器としても使えるんですね!」
「楽器は鈍器! 旅で学んだ知恵なのよ!」
「わお! まさにワイルド!」
妙に高揚した気分で軽口を叩き合いながら、僕も再び印契を組む。
さっきの火球攻撃が注意を引いたのか、続々と散らばっていた他のオーク達が参集してきた。瞬く間に増えた彼らは、数を頼みにこちらを圧倒しようとジリジリ距離を詰めてくる。どの顔にも、警戒はあるが恐れは無い。むしろ仲間がやられた怒りを糧に、放つ殺気は鋭さを増していた。
それを見て、俄に沸き立っていた僕の戦意が急速に萎えてくる。
「……あー、その、フィオラさん。ここは一旦……」
「頼りになるわ! 一緒に戦って! あのオーク共を蹴散らしてやりましょ!!」
「えっ!? ……も、勿論そのつもりですとも! ええ!」
オーク達の威容を前にして、露程も動じていないフィオラさん。胆力からして僕とは出来が違う。ワイルドエルフの女性は皆こう勇敢なのだろうか? それとも僕が軟弱なだけか。
いずれにしろ、彼女に撤退の意思が無いなら僕だけが逃げるワケにはいかない。肚をくくるしかない。
先にマルヴァスさん達に異変を告げていなかったのが悔やまれる。今ここで、オーク達を食い止められるのは僕とフィオラさんだけだ。
ちらりと目だけを動かして周囲の状況を確認する。オークの手に掛かった村人達が、そこかしこで倒れて地面を血で染めている。満月と炎によってもたらされる明かりで、その有様が残酷な程に鮮明に映った。
何としても、これ以上の犠牲を出す事は避けないと! 胸の内に広がる苦さを抑え込み、僕は正面のオーク達を睨み据える。
大丈夫だ、時間さえ稼げばマルヴァスさん達もこの事態に気付いて駆けつけてくれる筈! それまで持ちこたえれば…………
「ガキから狙え! 女エルフは後だ!」
オークのひとりがそう指示を飛ばす。その結果、連中の狙いが纏めて僕に絞られる。数多の殺気を一身に感じて背筋が凍る思いがしたが、絶対にここで弱気を見せてはいけない。
「く、来るなら来いっ! さっきのような火の玉を浴びせてやるぞ!!」
精一杯の虚勢だが、全くのハッタリでもない。もう一発、いつでも放てる用意は整えている。
無論、オーク達もそれを理解しており、こちらの隙を見逃すまいと各々が目を光らせている。
フィオラさんも、腰を落としたまま動かずにじっと相手の出方を伺っている。
一進一退の攻防。僅かな切っ掛けで崩れる均衡状態。お互いの集中力の勝負だと思えた。
だが、その均衡を破ったのは、またしても予想外の方向から加わった存在だった。
「待ていッ!!!」
横から朗々と響き渡る声。思わず全員の視線がそちらへ向く。
弓を構えたフォトラさんが、堂々とそこに屹立していた。