第百六話
深更に至ろうかという時間帯。殆どの村人が床につき、すっかり静まり返ったモルン村の中をフォトラは歩いていた。満月から降り注ぐ蒼い光が、弓を担いだエルフの影を色濃く地面に落とす。
そろそろ櫓での見張りを交代する時間だ。村人達は余所者の自分を矢面に立たせる事を嫌がるが、フォトラはあえて強く願い出た。
モルン村は既に、幾度となく繰り返される盗賊達の襲撃で疲弊の極みに達している。村の大人達の中で手傷を負っていない者は居ないという有様だ。今現在、当番として櫓に上っている者も、腕や頭部に痛々しい血止めの処置を施されている。
そのような状況を鑑みれば、余所者の自分がただ手を拱いて見ている道理は無い。モルン村は良い村だ。住民達は自分と妹を快く迎え入れてくれた。自分の《誓約》と直接関わりは無いが、受けた恩は返さねばならない。
それに、嫌な胸騒ぎがするのだ。この村の状況は、かつてソラス王国で滞在したとある村が滅ぶ直前と良く似ている。同じ轍を踏ませる事だけは避けたい。門前であのナオルとかいう少年の一行と一悶着を起こしたのもそれが原因だ。幸いな事に、彼らは盗賊ではなかったようだが。
彼らのお陰で、今日の危難は免れた。が、明日はどうか分からない。追い返しても追い返しても、盗賊の数は尽きない。モルン村の状況はそれほど逼迫している。
「(もしかしたら、彼らにも助力を頼まなくてはならないかも知れないな……)」
胸の内で今後の方策を検討していると、星空の下で影になっている櫓の姿が見えてきた。松明も篝火も用意されていない櫓は、門共々夜の帳に呑み込まれており、不気味な影のオブジェとしてそこに鎮座していた。本来であれば多くの火を焚いて門前の照明を確保するべきなのだが、盗賊が横行している所為で外部との商いさえ困難なモルン村では、既に油の備えも底を尽きかけているのだ。というのも、村で生産している農作物では油分の含有量が少なく、動物達から得ようにも狩猟の為に外出するのは自殺行為に等しい。ナオル達一行が湯浴みを堪能出来たのだって、村長による格別の厚意があればこそだ。それひとつをとってみても、どれだけ厳しい状況なのかが分かろう。
早くなんとかしなければ、早晩この村は滅ぶ。フォトラは改めてそれを実感しつつ、見張りの交代を告げようと櫓に近付いた。
そこで違和感に気付く。
「(……血の匂い!?)」
風にのって鼻に運ばれてくる、嗅ぎ慣れた匂い。フォトラは咄嗟に腰を落とし、背中の弓を執って闇の中で目を凝らす。
すると、櫓の下で誰かが大の字になって倒れているのに気付いた。
「……ッ!」
音もなく、フォトラは瞬時にそこへ駆け付ける。目を瞠るほどの疾さだ。月光に煌めく彼の金髪が、夜の暗闇の中に一条の光となって尾を引いた。
「おいッ! しっかりしろ!」
傍に膝を付き、倒れている人物に呼び掛ける。間違いない。日中に交代して以降この時まで見張りとして櫓に詰めていた村人だ。
反応は、あった。
「う……! ぁ……!」
身体を僅かに痙攣させながら、彼が口を開く。何かを訴えるように唇が蠢いている。
「何があった!?」
一番大事な質問。フォトラは端的にそれだけを尋ねる。
村人は息も絶え絶えながら、必死に言葉を絞り出す。
「ゴ、ゴブ…リン……! デカい……ゴブリンが、たく…さん……ッ! なか、にッ……!」
それだけを告げると、村人の身体は力を失った。フォトラはすぐに脈をとったが、既に事切れていた。
「……ッ!」
奥歯を噛みしめる。だが彼のお陰で状況は分かった。
「デカいゴブリン……オークか!!」
悔しさを抑え込み、フォトラは即座に踵を返して村へと駆け出す。
同時に、村の中央で火の手が上がった。
◆◆◆◆◆◆◆
「な、なんだ!?」
突如現れた赤い光に、僕は目を丸くした。あの明かり……もしかして、火か!?
「大変! 火事よ!!」
「あっ! フィオラさんっ!?」
言うが早いか、フィオラさんは赤い光目掛けて走り去ってしまう。僕も反射的にその背中を追った。
屋敷に戻って皆に知らせるべきだ、と理性が語りかけるが、それよりもフィオラさんを追いかけなくては、という感覚が強く働いた。状況がはっきりしない以上、まずは彼女を引き止める方が先だと思ったのだ。
正直、この時の僕は気が緩んでいた。ただのボヤか何かだ、と事態を楽観視していたのは否めない。村の中なら安全で、差し当たり危険は遠ざかったとすっかり思い込んでいた。
それがとんでもない油断だと思い知らされるのに、時は掛からなかった。
「……ッ!? これは!?」
赤い光の正体をこの目で確かめて、愕然とした。
燃える家屋。そこかしこで上がる悲鳴と怒号。逃げ惑う村人達とそれを追うモノ達の影が、盛る火に揺られて交差する。
「かかれッ! 皆殺しだ!!」
武器を手に村人達に襲い掛かる、人の形をした異形の鬼達。
「オーク!! どうして!!?」
レブやヨルガンが放った追手。ランガル領にまでは入ってこないと思っていたのに、間違っていたと言うのか!?
いや、考えるのは後だ! 今はとにかくオークから村人達を守らないと!
僕は印契を組み、腰を落とした。ここから放たれる火球の威力は抜群だ。当たれば、一撃でオークを斃せる。生命を奪う魔法を行使する事に相変わらず嫌な気持ちが湧き上がるが、逡巡している場合でもない。ああ、やってやるさ!
阿鼻叫喚の中、こちらに向かって逃げてくる親子連れが居る。父親と、手をひかれる小さな女の子。その後ろから数体のオークが目をギラつかせながら追ってくる。
「伏せてっ!!」
僕は親娘に向かって叫んだ。しかし聴こえていないのか意味が分かっていないのか、親娘はそのまま無我夢中で駆けてくる。
ダメだ、完全に射線に入っている! 僕が位置をずらすべきだ! しかし、オークは今にも親娘に追いつきそうである。間に合うか!?
祈るような気持ちで足を横に動かした時、不意に親娘が足をもつれさせて地面に転んだ。
「ッ!?」
しまった、と唇を噛む。今なら射線を遮るものが無いというのに、僕は既に体勢を崩しかけている。オークと親娘の距離はもう殆どない。先頭の一体は、残忍な笑みを浮かべながら既に剣を大上段に振り被っている。あれが振り下ろされるより先に再び照準を合わせ、火球を放てるだろうか!?
焦燥感に身を焦がしながら必死に印契を構え直そうとした時、親娘とオークの隙間に割り込むように影が飛び込んできた。
「フィオラさんっ!!?」
僕は度肝を抜かれた。親娘に迫るオーク達の前に立ち塞がったのは、間違いなくフィオラさんだ。彼女の姿を認めたオーク達が、凶相から作り上げた笑みを更に深くする。
「フィオラさん! 危ない、逃げてッッ!!」
僕の叫びも虚しく、フィオラさん目掛けてオークの凶刃が振り下ろされる。脳裏に浮かぶ最悪の展開。血を吹きながら斃れるフィオラさんの姿を僕は想像してしまった。
だが、直後に起きた出来事はその予想を軽く裏切った。
ガキィン!!!
修羅場に金属と金属がぶつかる音が奏でられる。なんとフィオラさんは、手にしたマンドリンで敵の斬撃を受け止めていた。
「なにィッ!?」
攻撃を防がれたオークが驚愕する。
「吟遊詩人だからといって、甘く見ないでよねッッ!!」
一閃。フィオラさんはオークの刃を跳ね上げると、返す刀でマンドリンを横薙ぎに振り抜いた。
「ガァッッ!!?」
それは見事オークの脇を直撃し、殴られたそのオークはくるくると回転しながら吹っ飛んだ。
「ドワーフの職人に改造してもらったアダマント製マンドリンよ! 叩かれて昇天したいヤツは前に出なさい!!」
竿を掴んで逆手持ちにしたマンドリンをまるで剣のように構えながら、フィオラさんは高らかに宣言する。
「つ、強っ……!?」
僕は一瞬何もかもを忘れ、その凛々しい後ろ姿に魅入ったのだった。




