第九十八話
「フィオラ……さん?」
その名を頭に浸透させるように僕は反芻した。フォトラさんとそっくりな容姿を持つ、双子の妹。お兄さんも初見では性別不詳なくらい整った美形だったけど、彼女もまた目を奪われるくらいの美人さんだ。
敵意と警戒心をむき出しにしていた兄と異なり、フィオラさんは柔和な物腰で挨拶をしてくれた。先程の唄の歌手という事もあって、僕はその優しげな笑顔にしばし目が釘付けになる。
「……あの、良ければあなた達のお名前も聴かせて貰えないかな?」
そうやって呆けているとフィオラさんの微笑みが苦笑いに変わり、それを見てやっと僕の心に活が入る。
「あ、ご、ごめんなさい! 僕はナオル! そしてこっちはコバです!」
慌てながら自己紹介とコバの紹介をすると、フィオラさんは興味深げに僕達を見比べた。
「ふむふむ、人間とゴブリンか……。面白い組み合わせだね。ゴブリン自体、人里で見るのは珍しいけど」
「コバは僕の友達です。友達として、一緒に旅をしています」
フォトラさんがコバに向けた蔑みの視線を思い出し、冷水を浴びせられたような気になった僕は急いでそう言い添えた。まさかフィオラさんも、ゴブリンだからとコバを侮るのだろうか?
「友達! 良いねそういうの! 意外性に富んでて面白いよ!」
フィオラさんの顔がパッと輝く。見開かれた目にこれでもかと好奇心が踊っていた。……褒められたのか侮辱されたのか、判断が難しいな。
「ナオルくんにコバくん……。うん、覚えた!これからよろしくね二人共!」
フィオラさんは軽い足取りで僕達の前まで来ると、抱えていたウクレレのような弦楽器を背中に担ぎ直してから屈託のない笑顔ので右手を差し出した。
「握手しよっ、握手!」
「え……? あ、はい……」
彼女の勢いに呑まれてその手を取ると、勢いよく握られてブンブン!と豪快に振られる。……傷が疼いて痛い。
「コバくんも! よろしく!」
ひとしきり僕の右手を振り回して満足した後、彼女は続いてコバにも握手を求めた。
「ヒェッ!? は、はい……。よろしく、おね……あわわわわっ!?」
怯えながらも震える手を伸ばして応えようとするコバだが、言葉も言い終わらない内に彼女の激しいスキンシップの餌食となってしまう。上下に激しく動かされる力に流されて、コバの身体もガクンガクンと揺れる。
「きゃー! 握手しちゃった! ゴブリンとお友達になれたのなんて初めてだから嬉しいっ!」
凄く良い笑顔でコバとの握手を交わした後、なんと彼女はそのままコバにハグを仕掛けると、抱きかかえてくるくるとその場で回転した。
「ヒャァァァ!? おや、おやめ下さいませです! 後生で、後生でございますですからぁぁぁっ!!」
「もうちょっと! もうちょっとだけ〜!」
コバの懇願を極上の笑みで却下し、金髪のエルフ美少女は興奮冷めやらぬように舞い踊り続ける。僕はそれを、ただ呆然と見守っていた。
……なんだこの子。とてもさっきの唄を歌っていた美声の持ち主と同一人物とは思えない。天真爛漫で押しが強い。ゴブリンに対しても偏見が無く、誰とでも分け隔てなく接する心の持ち主。
まるで、サーシャのような…………。
「……………………」
僕は頭を振って思考をそこで止める。
サーシャとフィオラさんは、違う。
「ねね! ナオルくん達って何処から来たの!? これまでどんな旅をしてきたの!?」
コバを抱っこしたまま、フィオラさんが目を輝かせて僕に尋ねる。コバが背中越しに涙目でこちらを振り返っている。『助けて!』と目で懇請していた。
「僕? 僕は、その、日ほ……」
“日本から”、とうっかり口にしかけて慌てて言葉を飲み込んだ。誤魔化すように咳払いをしてから、コバを気にする素振りを見せつつ改めて言った。
「あ~……その、ずっと遠いところだよ。故郷から遥々こっちまで旅してきたんだ。途中でマグ・トレドって街に寄って、そこで他の皆と知り合ったんだけど……ねえ、それよりそろそろコバを離……」
「マグ・トレド!? マグ・トレドってあのマグ・トレド!? ドラゴンの炎で焼き尽くされたって今話題沸騰中の!?」
僕の言葉をぶった切り、フィオラさんは興奮の度合いを増々高めて僕に詰め寄ってきた。頬を紅潮させ、鼻息も荒くなっている。物凄い食いつき様だった。
「ねえ、あなたも見たの!? ドラゴン! 人間達が竜って呼ぶ、あの空を駆ける神獣を!!」
「み、見たよ。あの騒ぎの真っ只中に居たんだから」
考え無しにそこまで言って、後悔する。が、もう遅い。フィオラさんの様相は、最早狂喜と呼ぶに相応しいくらいに昂ぶっていた。
「〜〜〜っ!! すごい! 素晴らしいっ!! あの事件の生き証人に此処で出会えるなんて!! これが神様のお導きというのかしら!? 誓約を破って追放されても、神様は私を見守って下さるのね!!」
一瞬、うっとりと目を閉じたのも束の間、カッ!と刮目したフィオラさんは、津波もかくやというような怒涛の勢いでまくし立ててきた。
「教えて! 当時の状況を! ドラゴンってどんな姿をしていたの!? 口から炎を吐いたの!? 襲われた街の人々はどうしたの!? 立ち向かった人は居たの!? 逃げた人達はちゃんと生き残れたの!? 建物はどれくらい壊されたの!? 火は何日間燃え続けたの!? 襲撃が始まった時刻は昼だったの!? 夜だったの!? ドラゴンが去った後の事後処理は……あだぁっ!!?」
マシンガンのように質問を発していたフィオラさんが、突然奇声を発してつんのめる。腕の力が緩み、拘束を脱したコバが急いで地面に着地した。
「節度を弁えろと常々言っているだろう、バカ妹」
氷のように冷えた声。お兄さんのフォトラさんが、怒りを顔を滲ませながら握り拳を固めて立っていた。あれでフィオラさんの後頭部をぶん殴ったらしい。
「きゅ〜…………」
前のめりに倒れたフィオラさんは、そんな漫画表現のような擬音を口から発しつつ、目を回していた。美しい歌声を奏でる優雅な吟遊詩人の面影は、最早何処にも無い。
「愚妹が失礼した、兄として謝罪する」
泰然とした物腰でフォトラさんが詫びる。どうやら妹のこうした振る舞いには慣れているらしい。
「あ、いえ、それは別に良いんですけど……」
対する僕はというと、突然の彼の登場に戸惑う気持ちの方が強く、しどろもどろな返答をしてしまう。それを気にする風でもなく、フォトラさんは地面に伸びてる妹を事も無げに肩に担ぐと、僕とコバに交互に視線を送った。
「君たちには他にも改めて詫びねばならないが、今はまずこの愚妹を部屋に寝かしつけるのが先だ。もう少々、待って頂きたい」
それだけ言うと、軽く黙礼して彼は気絶した妹を抱えたまま屋敷の表へと向かっていった。その後姿を見て、なんとなく米俵や麻袋を運ぶ人足を連想した。
「……………………」
「……………………」
僕とコバは、一連の出来事にどう感想を述べて良いか分からず、ただお互い顔を見合わせて立ち尽くしていた。