第九十四話
「聴こえなかったのか!? その場から一歩も動くな!」
突如櫓に現れたその金髪エルフは、構えた弓を威嚇するように左右に揺らした。
「さもなくば、撃つ!」
脅しではないぞ、と強調するかのように声音が低くなる。彼(彼女? 中性的な容姿と声質な為、イマイチ判別がつかない。口調は男っぽいが。)の本気を反映するかのように、つがえた矢の鏃がキラリと光った。
「……ま、待ちなさい貴方! 私達は怪しい者では無いわ!!」
相手の剣幕に圧されていたメルエットさんだが、それでも毅然として相対しようとする。それを受けて、金髪エルフは弓の照準を彼女に合わせようとした。
「そ、そうですよ! 僕達はただの旅人です!」
僕は慌てて割って入る。万が一にもメルエットさんが射られる事態になってはならない。
「マグ・トレドから遥々王都フィンディアに向かう途中なんです! この村で一晩の宿でもお借りできないかと思い、立ち寄らせてもらいました!」
事前に打ち合わせた設定通りに来訪の意を告げる。嘘は言っていない。
「盗賊は皆そう言うのさ!」
金髪エルフは一ミリも信じた様子を見せず、バカにしたように鼻を鳴らした。
「以前ソラス王国の小さな村に逗留していた。ある日、数人の怪我を追った流れ者が助けを求めてきた。オーク共の攻撃から生命からがら逃れてきたと言ってな。村人達は親切にも彼らを受け入れ、手厚く庇護した」
そこで金髪エルフは一旦言葉を切る。一呼吸置かれて再開した語り口調には、濃厚な苦さが滲んでいた。
「その夜、村は盗賊共の夜襲を受け、滅ぼされた。受け入れた怪我人達が盗賊の一味で、内側から仲間を手引きしたからだ。村人達の殆どが無残に殺され、村は焼かれた。私と妹だけが、連中の包囲を破ってどうにか生き延びた」
ゾッとするような話だった。村人達の善意に付け込む、残忍極まりない狡猾なやり口。ネルニアーク山で戦った盗賊達の顔が脳裏に浮かんだ。
「もう二度とあんな光景は見たくない! お前達も同類だろう! 先日襲ってきた連中の仲間なんだろう!? 正面からの侵攻が失敗したから搦手を使おうとしたのだろうが残念だったな! このフォトラ、自らに課した誓約にかけて二度も同じ過ちは犯さん! 我が矢に射抜かれる前にとっとと立ち去れ!!」
金髪エルフは、憎悪すら込められた眼で僕達を睥睨した。彼(もしくは彼女)の敵意と警戒心は尋常では無いようだ。
「おいおい、そりゃちょいとばかり僭越が過ぎるってもんだろう」
どうしたものかと思案する僕を他所に、マルヴァスさんがいつもの調子でフォトラと名乗った金髪エルフに反駁する。
「その話を聴く限り、余所者なのはお前も同じだろう? 俺達の処遇をどうするか決める権限は無いんじゃないのか? 村の人間はどうした? 彼らと話をさせろよ」
「フン、断る!」
にべもなく、フォトラは拒否した。
「どうして余所者のお前が見張りなんてしている? 盗賊の来襲を恐れているのに、信頼できる生え抜きの人間をその櫓に立たせていない理由はなんだ?」
「答える義理は無い!」
「ははは!」
突然、何故かマルヴァスさんが笑い声を上げる。
「分かったぞ、村人の多くは今出払っているか、もしくは負傷が酷くて動けない状態なんだろう? つまりこの村はほぼ空同然って訳だ」
フォトラの目が見開かれ、次いで口元が歪んだ。割れた唇から、歯ぎしりしている様子が窺えた。図星か。だが、だとしてもすぐ顔に出るのはどうなんだ?
「そんな時に盗賊に襲われたら一溜りもないものな! だからお前は自ら矢面に立ち、此処にやって来る人間を威嚇して追い払おうとしたんだ!」
「だ、黙れッ!!」
震える制止の声を無視してマルヴァスさんは続けた。
「なあお前、取引といかないか?」
「取引、だと?」
怪訝そうに眉をひそめるフォトラ。
「俺はこれでも流れの武人だ。そこそこの腕はあると自負している。用心棒として使ってみる気は無いか?」
「ちょ、マルヴァス殿……!?」
反射的にメルエットさんが抗議の声を上げようとするが、すぐに口をつぐんだ。ここはマルヴァスさんに任せた方が良いと、彼女も理解したのだろう。
「はっ! 用心棒だと!? お前が!?」
胡散臭いものを見る目つきで、フォトラがマルヴァスさんを見下す。
「その手には乗らん! この村には一歩も踏み込ませんぞ!」
「おいおい、よく見ろよ。本当に俺達が盗賊に見えるのか?」
マルヴァスさんはそう言うと、いきなり僕とメルエットさんをそれぞれ左右の腕で抱き寄せた。
「きゃっ!?」
「ちょ、ちょっと!?」
僕達の文句は、例によって軽く聞き流される。
「俺の従兄妹達だ。訳あって一緒に旅をしている。見ての通り旅の垢で薄汚れちまってはいるが、両方ともまだ十六かそこらのガキだ。こんなションベン臭い盗賊なんて居ると思うか?」
「む…………」
フォトラが口をつぐんだ。少しの間考え込むように視線を彷徨わせたが、すぐに再び眦が吊り上がった。
「いやいや、騙されんぞ! 間者というのは、一見して無害そうに見えるものだ! 前の村は、怪我人を装った盗賊達に欺かれた! 女子供に同様の役目を担わせたとしても驚かん! 第一、そっちの人相の悪い大男はなんだ!? 如何にも悪人という顔をしているぞ!」
「ほっとけ!! 面構えが悪ィのは生まれ付きなんだよ!!!」
水を向けられたローリスさんが、烈火のような怒りの声を上げる。はっきり悪党面と言われてしまうのは少し不憫に思えた。
「それに、ゴブリンまで居るではないか!」
フォトラの鋭い視線が、ローリスさんからコバに移った。
「オークと大差ない穢れた種族を引き連れているとは、やはりまともな素性の者ではあるまい!」
「なっ……!?」
コバの事に言及され、僕の頭に血が上る。が、憤怒の言葉が口を衝いて出る前にマルヴァスさんに頭をワシャワシャっとされる。
「おぶっ……! ま、マルヴァスしゃんっ……!」
お陰で怒りの感情は瞬時に霧散して気持ちは紛れたが、ちょっとは手加減してほしい。
「どっちも俺の仲間だ! 悪いヤツらじゃない! まぁ、ローリスの奴の顔が悪いのは認めるけどな!」
「マルヴァス、テメェ!!」
「………………」
視線だけで相手を殺せそうな程の恐ろしい形相を浮かべるローリスさんと対照的に、コバはただ俯くだけだった。
「それでも信用出来ないってんなら、コイツを人質にとってもらっても良い!」
とんでもない提案をしながらマルヴァスさんは僕の背中を叩く。最早文句を言う気力すら湧かない。メルエットさんも呆れ顔だ。
「フン! 信用を買う為に親族を簡単に差し出すのか? 薄情者め! 身内すら道具として扱う貴様が、この村の為に生命を張る筈があるまい!」
マルヴァスさんを見下ろすフォトラの表情が軽蔑に染まりきった。今の一言で完全に見限られただろう事は、僕でも予想がつく。
「やべ……しくじった……」
困った表情を浮かべながら小さくボヤくマルヴァスさんを、メルエットさんもジト目で睨んでいた。どうするんだろう、これ。
「話はここまでだ! これが最後の警告だぞ! 回れ右してとっとと…………」
無情な交渉決裂通知がくだされようとした時、フォトラのその声が尻すぼみになる。
「…………?」
なんだ、と思って見上げると、フォトラの視線は僕達一行と通り越して後ろの彼方に向けられていた。
そして、心なしかそっちの方角から軽い騒音が届いてきてるような……。
「…………」
嫌な予感がする。僕はそーっと背後を振り返ってみた。
巻き上がる砂塵。日光を照り返す鋼の数々。地面一杯に広がりながらこっちに向かって駆けてくるガラの悪い人々。
「あ〜…………」
盗賊達の、お出ましである。