第7話 出会い
教会に世話になり始めてから、三か月が経った。季節は秋に変わり、夜はかなり冷え込むようになってきた。森を出て知ったが、この世界には月が二つあり、一つは地球の月と同じくらいだが、もう一つはかなり大きいように思える。
この世界では、一日が十五時間に分かれており、一ヶ月は二十五日、一年は三百日になる。
子供達に隠れて腕時計と照らし合わせると、自転や公転の周期が地球と違うのが分かる。だいたい一時間が地球の一時間半だ。四季はあるが、夏の最も暑い季節が一月、こちらの世界では始めの月になり、十二ヶ月なのは地球と同じだが、感覚に大きなズレがある。
こちらの世界の秋は四月で、眠りの月と言われる。
切羽詰まっていたからだろうか。この三か月で日常会話なら困らない程度に話せるようになり、もはや子供達の面倒を見る、教会の職員のように、毎日を過ごしていた。
が、この教会の唯一の正式な職員であるところのリーメ・マーシャからは、そろそろ住み込みの仕事を見付けるように言われている。
やはり二十八のオッサンをいつまでも住まわせていると、リーメとの関係が疑われたりするし、教会に依頼される仕事は孤児がやる前提だ。オッサンが出向くのは色々と面倒らしい。
リーメの方でも当たってくれているようだが、教会で育った孤児よりも、身元不明の外国人らしきオッサンの方を雇いたいなどと、そう考える人が少ないらしい。
とにかく負担を掛けないようにと、仕事に精を出し、子供達より早く勉強を進め、小さい子相手になら教える側に回ったりしていた。
そんなある日のこと、女神に出会った。
いや、ヴィータ様じゃない。
あの女神像よりも美しい少女に出会ったのだ。
歳は二十にもいってないように見える。
この世界の成人は十五なので、成人はしてそうだが。
この世界の意匠の、ひどく豪華そうなドレスを着て、侍女や従者を連れていた。恐らく貴族の視察だろう。慈善事業として寄付や訪問があることは聞いていた。
銀色に輝く長い髪に、西洋人形のような完璧な配置の顔。少し目つきがキツめだが、それが少女の内面の強さを表現しているように見え、凛とした雰囲気を出している。背は175センチの俺より目測で10センチ以上低いが、恐ろしく顔が小さく、モデルのようなスタイルだ。胸は巨乳というほどではなさそうだが、細い割にはある。ドレスの下で矯正されているとしても、脱いでも結構あると確信できる。って何考えてるんだ俺は。
ロリコンのつもりはなかった。
最後に付き合っていた彼女は四つ下だったが、それでも社会人だったし。
けれど、惚けたまま見つめ続けてしまうくらいには、衝撃を受けていた。
当然、彼女にも気付かれる。
怪訝な顔をして、同行していたリーメ・マーシャに聞いた。
「この男はなに?」
「大森林で保護された、迷い人でございます。言葉と常識を教えるため、一時的に預かっております。」
リーメ・マーシャが答える。
迷い人というのは異世界から迷い込んだ人のことで、この世界ではごく稀にそういった人がいるらしい。必ず大森林から現れるとのことで、この辺りでは伝承が残っているのだとか。
それはつまり、あの森の中に現れ、人知れず死んでいった異世界人もいるということでないだろうか、と思ったが、何ができるでもない。ただ自分の幸運を喜ぶしかなかった。
こちらの言語で森はフォーリと言い、フォーリ何とかだのと言うのだが、大森林はそのまま、大いなるという意味のラが付くだけで、ただのフォーリだ。ただフォーリと言ったら大森林を意味する。
広大で、危険で、偉大で、とても神聖視されていた。ザスト達が監視と保護の任についているが、俺と会った辺りより奥には行かない。奥に入れば戻ってこれないとされている。
迷い人と言っても、科学の知識で文明の発展に貢献したとか、一騎当千の戦士だったとか、そんな歴史はなく、ただ近年では生活水準も上がっているので、もし見つかった場合は面倒を見てあげて、生活基盤を作らせる程度のことはしてあげるらしい。
森で見つけた時は謎の文明を持った民族とか密猟者とかも考えたが、腕時計や服装から、迷い人の可能性が高いとして行政に処理されたと、グレアムに聞いていた。
「そう。なぜ私をジロジロと見ているのかしら。不敬ではなくて?」
咎めるような目つきでそう言われた。
リーメ・マーシャがすぐさま謝っている。この世界の常識がないのだと。ちなみに、基本的には謝罪の際に頭を下げる習慣もない。
俺はと言えば、テンパって、弁明しようとして、変なことを言った。
「申し訳ございません。あまりにも美しすぎて、思わず見つめてしまいました。ヴィータ様よりも美しい人に出会って、気が動転してしまったのです。他意はございません。お許しください」
慌てて一息で言い切って、一泊置いて全身から冷や汗が噴き出した。
一般市民の識字率向上のために学校が作られ始めるなど、近年では庶民の地位向上など考えられてはいるらしいが、未だに身分差は激しいと勉強していたのに。
貴族に楯突いて、理不尽に殺される人間はまだまだいる。
少女は一瞬目を見開いて、眉間に皺を寄せた。怒っているように見える。頬がほんのり赤くなっている。
「だ、だからといって舐め回すように見つめるのはよろしくなくてよ!それに、ヴィータ様より美しいなどと、褒めているつもりかもしれませんが、大いなる女神様に対する不敬です」
そうなるのか。
慌てて手を組んで額につけ、九十度腰を折り曲げるという、最大の謝罪を示すポーズをとった。頭を下げる習慣は基本的にはないが、罪人が罰せられたり、慈悲を乞う際にはこうする。要するに、異世界版土下座だ。
「姫様、殺しますか?」
少女の後ろにいた執事然とした老人が、冷たい声で言った。
ええ!?
本当にこれだけで殺されるのか!?
ビクリと震え、組んだ手に力が入る。
「いいえ、ガトー。わたくしは寛大ですから、この程度のことに命で償えとまでは言いません」
少女が擁護してくれた。なんていい子だ。惚れてまうやないか!
などという冗談はともかく、許してくれるならさっさと辞するに限る。
「大いなるご慈悲に感謝致します。これ以上の失礼を致します前に、御前を失礼させて頂きたく存じます」
そう言って下がろうとした。が、
「お待ちなさい。何も罰を与えないなどどまで、わたくしは口にしておりませんわよ」
その言葉が言い終わる頃には、ガトーと呼ばれた老執事に背後から羽交い締めにされていた。
え!?
いつ後ろに回ったんだ!?
全く見えなかったぞ!何者だよ!
「ラ・アストラ。ご慈悲を。罰ならば教育を誤った、このわたくしめにお申し付け頂きたく存じます」
リーメ・マーシャがかばってくれる。
いやいやいや。
リーメに迷惑を掛けるわけにはいかない。
「不敬を働いたのはわたくしめにございます。リーメは何の関係もございません。甘んじてどんな罰もこの身に受ける所存です」
そう言って、ラ・アストラ--高貴なる者と呼ばれた少女を見つめる。今度は目だけを見つめた。さっきの口ぶりなら、殺されることだけはないだろう。きっと、遭難よりマシだ。
「・・・わたくしをどう思っているのか知らないけれど、それほど冷酷な人間ではないと自負していてよ。怪我を負わせたりも致しません。ただ、ほんの少し労働でもさせるだけですわ。そんなに怖がらないでくださる?何だかこちらが悲しくなってくるではありませんか。リーメ・マーシャ、わたくしが旧態以前の、傲慢な貴族と思っていたのですか?」
すると、リーメはすぐに満面の笑みになった。
「とんでもございません。寛大なる御心に感謝致します。高貴なる貴方様がお優しい御方であると、わたくしは存じ上げております。何の取り柄もない男ですが、異世界の話は興味深いものもございますし、ラ・アストラのご日常に、ほんの少しの刺激くらいはもたらさられるものと存じます」
こえええええええーーーー!!!
絶対この人この少女の性格知ってたよ!
変なことされるわけないこと知ってて焚きつけたよ!
え!?そんな邪魔なの!?
俺そんなに疎まれてた!?
唖然とする俺を前に、少女はくすりと笑って、
「リーメ・マーシャ。そこまで言って、つまらない男なら、ただでは置かなくてよ?」
そう言って、そんなことを言われても、なおにこやかに笑うマーシャに、俺の連れ出しを宣言し、少ない荷物ごと豪華な馬車に押し込まれ、教会を後にしたのだった。