第37話 敵地での生活
『この近くのライゲの食堂、人を探してた。本当は一人でいいけど、お前たちは言葉が喋れない。二人で働いて、一人と半分の給料でなら雇ってくれるが、どうだ?』
『ありがとう。食堂でどんな仕事をするの?』
『男は厨房で皿洗いや雑用、女は給仕だ。君は少し喋れるから、なんとかなるだろう』
『なるほど…彼と相談しても?』
『ああ、すぐに決めなくても構わない。ただ、今求人を出しているから、もし他に一人雇ってしまったら働けない』
『わかったわ』
ラーデ様から説明を聞いたが、条件としてはかなりいいと思われる。
待遇のいい職に就くのはどうせ難しいし、だったら二人で働けた方が良い。
あとの問題は、実際に給料がいくらぐらいで、旅の費用を貯めるのにどのくらいかかるのかと、それと…。
「ラーデ様、客層を確認してください。酔っ払いが多くて女性従業員に不埒なことをするようなお店だったら、貴女を働かせたくないです」
「ああ、アステリードでも下級街のお店では、そういうことがあると聞いたことがありますわね」
お父さんに確認したところ、この宿の近く、中級街にある店のため、変な客は滅多にいないらしく、本来は農民や下級市民よりは給料もいいという。働いているのも中級市民である。半人前とはいえ一人だけ働くよりは給料も入るし、その上で泊まるのが一部屋なら多少は貯金に回せる。
計算してみたところ、長くとも半年もあれば旅費も貯まりそうだった。この宿の家族は信用できそうだし、そこで働かせてもらうのが良さそうだ。
『なるべく早く、働かせてほしいわ』
『わかった。それなら明日の朝、日の出から二つ目の鐘までに店に行けばいい。明日は俺が連れて行ってやる』
『ありがとう。本当に助かるわ』
『いい。それと…フェイグテスから来たと言っていたが…アステリードやドラクレアのことを話しているのが聞こえる。その二国とはつい先日まで戦争していた。停戦したから商人なんかは来ているかもしれないが…あまり口にしない方がいい』
お父さんの言葉をなんとかラーデ様が翻したところ、そういうことを言われた。この辺りには余りいないが、首都の方では戦争で家族や友人を亡くした人などもいるとのこと。
当たり前のことだった。俺たちからすれば侵略されたわけだが、一般国民からすれば事情は関係ない。西の国はただの敵国で、恨むのは当り前に敵国なのだ。
この家族が優しいだけで、周り全員から、もっと敵意を向けられてもおかしくはない。
『ありがとう。あなたたち家族の善意に心からの感謝を』
「なんだかほっとしましたね」
「そうですわね、とにかく、やることは決まりましたわ」
そうしてラーデ様はヤミィの頭を撫でて、ふんわりと笑うのだった。
『ヤミィに会えてよかったわ』
『えらい?ヤミィ役にたった?』
『はい、とっても助かった。ヤミィはえらいわ』
『えへへ、よかった!ねえ、ご飯のとき何飲む?』
『えーと、じゃあヤミィが選んでくれる?』
『わかった!』
ラーデ様は片言程度と言っていたが、身振り手振りを加えれば日常会話程度は何とかなっている。俺は全くだが、雑用ならなんとかなるだろう。アステリードの教会でも最初は似たようなものだった。
さて、今日の料理は煮込み料理だ。さすがに食材の名前や調理法はラーデ様もよくわからないので、何をどう調理した料理なのかはさっぱり分からない。
ここで出てくるのは基本的には家庭料理な感じで、メインの一皿に副菜が一品つくのと、昨日のようなパンがよく出てくるらしい。これまで西の国で食べてきたブールとは少し違い、米粉パンのような、もちもちのパンである。昨日の夜のメインも色々な肉や野菜を焼いたものだった。朝はもう少し簡素なメインとスープだ。
多分、煮込みに使われているのはお酒や魚醤のような調味料だと思われる。プリプリの魚の肉が入っており、油がたっぷりと浮いている。よっぽど脂がのった魚だったのだろう。
現代日本とは違い、この世界では国問わず、脂がのりすぎた霜降り系よりは、質のよい赤身が好まれる傾向にあるが、魚についても歯ごたえのあるものが好まれ、トロのような物が比較的安く手に入るようだ。
公爵家の賄いも美味しかったが、やはり下級使用人向けの物は香辛料がきつかったし、教会は質素だった。いくつかの店で食べた平民向けの食事は質より量で、あまり美味しいことがなかった。この宿の料理に比較的似ているのは、グレアムの連れていってくれた店だろう。あそこも美味しかったが、やはり中級市民向けで家庭的だった。
富裕層向けのお店や、グランテニア帝都で食べた上級使用人向けの料理などはとても美味しかったが、我々庶民が普段食べるような料理ではない。
この宿の料理は家庭料理としてなら最も好みに近い。
恐らく貴族に好まれる食材の傾向や、香辛料の値段の問題もあるのだろうが、香辛料が効きすぎていない素朴な味なのだ。
お酒は甘酒のような、日本酒のにごり酒のような、白く濁った酒で、ヨーグルトのような酸味がある酒だった。単体なら美味しいが、料理に対してやや味がはっきりしすぎ、甘さが強いように思われた。もしかしたら、日本酒のように搾った、透明で辛口の酒があるのかもしれない。
ヤミィが選んだので、食事に合う合わないなどは期待していないし、これはこれで美味しいが、また今度は違う酒も飲んでみたいところだ。
資金的な問題もあるので、酒は夕食時に一杯のみということにした。ラーデ様は元々、セレタさんがいる私的な空間でしか酔うような飲み方はしない。俺としては物足りないが、そもそも現時点ではラーデ様の持ち物で得た資金であり、この世界では農民や下級市民は、食べられる肉などクズ肉や、ささやかな干し肉程度だということを考えると、この宿での宿泊や食事が既に贅沢の部類なのだから、当然ながらこれ以上のことを望むことなどはできない。
酒がないし、コース式でもないので早めに食事を終えると、あとは部屋でゆっくりするだけだった。
体を重ねた昨日がラーデ様の初体験だった。それほど体に違和感があるようには見えなかったが、今日は何もしないでおくつもりだ。しかし、やはり親密さがかなり増したのは間違いない。
自然とベッドで身を寄せるように隣合い、他愛のない話をしていく。
幸運にも生活の目途もたった。時間はかかるがきっと帰れる。そんな安心感のせいか、ラーデ様も転移後では最もリラックスしているように見えた。
この宿では毎日、一部屋に桶で一杯のお湯をもらえる。濡らした布で体を清めるわけだが、昨日などはお互い緊張しつつ、見ないようにしたり大変だった。今日は緊張感はかなり緩和されている。
ラーデ様は元々お風呂なども世話をされていたわけだし、背中など手の届きにくいところもあるので、お互いに拭きあう形になった。
「ふふ、一緒の部屋で身を清めるのも、もう恥ずかしくありませんわね」
ラーデ様はそんな風に笑うが、俺としては下半身に熱が集まってしまって大変だった。なんとか平静を保とうとするが、昨晩のことが頭に浮かび、反応してしまう。当然、すぐにラーデ様も気付く。
「申し訳ありません。つい…」
「…今日は流石に体がきついですけれど…手伝うくらいなら、してさしあげますわ」
…こんな生活が続くなら一生このままでいい。
ほんの一瞬でもそう思ったのは内緒だ。
そもそも身分が違いすぎる。国は帰れば公爵家の姫と異世界の平民だ。
無事に帰すことで頭がいっぱいだったし、愛しい気持ちで踏み込んでしまったが、国へ帰ったらこの関係はどうなるのだろう。
そんな不安が頭を過ぎったが、結局その後長い間、ラーデ様にはそんな話はできなかった。




