第36話 二人で
漆喰らしき壁にある、ガラスのない窓をふさぐ木板の隙間から、朝日がこぼれる。
それほど質がいいわけではないが、清潔なベッドで目を開けると、隣には暖かな温もりがあった。
初めて会った時、女神と思えた美貌は、寝ていても美しさを全く損なわない。こうして見ると、あどけなさが残っていることに気付く。
普段は高い教養と高貴な淑女然とした振る舞いで大人びて見えるが、まだ少女と言ってもいい年齢なのだ。
一糸まとわぬ姿のまま、布団から真っ白な肌を覗かせて眠るラーデ様に、愛しさがこみあげる。
体を重ねるということは偉大だ。愛し合った結果、さらに愛が深まる。
髪にふれ、頬にふれ、ただ眠り姫を眺めていたら、やがて目を覚ました。
寝ぼけた目で俺を見て、ふわりと微笑む。
この女性を無事に帰さなくては。
思いを一層強くして、新しい国での生活は始まった。
追加料金を払えば朝食も用意してもらえるようで、ひとまず食事をしながら、今後に向けての話し合いをすることにした。
幸い、アステリードの言語で話せば周りに分かる人間などまずいないので、誰かに聞かれて困ることもない。
そして、昨日の夕食でも思ったが、この宿の食事はかなり美味しい。
赤身のような鳥肉なのだが、まぐろや牛肉のように脂がのつていて、それでいてくどくない肉と卵の料理と、焼きたてのパンがいくつか、それとスープだ。
この国ではパンはクーパ、スープはシャというそうだ。
すぐには帰らないとなると、またもや言葉を覚えないといけない。
ヤミィは朝早くからきびきびと動き回り、給仕をしている。まだ子供と言っていい年齢だが、この世界ではほとんどの子供が働かなくてはいけない立場にある。
『ヤミィ、この辺りでヴィト語を喋れる人がいそうなところは?』
拙い言葉でラーデ様が問いかける。
『この町にはいないよ!西からの観光客も滅多に来ないもん。首都の方とか大きい町なら商人とかがいると思うよ』
『えーと、そこまで行くのにお金はどのくらい?』
『行ったことないからヤミィ分かんない』
その後お母さんになんとか聞いたところ、手持ちの貴金属類を売り払った金では厳しそうだった。交通費はともかく、首都に近づくほど宿代が高くなるようだ。どうやらこの町は紅龍連邦の南東、海の近い町らしく、首都や大きな町は北部に集中しているらしい。
「働くしかありませんわね…」
「仕事、ありますかね…」
言葉の分からない町で仕事を探す。それも働いたことなどない公爵令嬢と異世界人。分かってはいたが、厳しい状況だ。
手持ちの資金や貴金属類では、この宿なら1か月近く泊まれるが、その程度だった。
夜着でこそなかったが、転移時は夜だったため、二人とも身軽な服装だったのだ。
せめて日中であればラーデ様の身に着けている貴金属類だけでも十分な旅費になったと思うが、なんとタイミングの悪いことか。
『なにか仕事はないかしら。問題が起きて、旅費がなくなってしまったの』
ダメ元で母娘に聞いてみる。外出中の父親が戻ったら聞いてくれることになった。また、一応仕事の斡旋所の場所を教えてもらう。
「とりあえず、今日は斡旋所を確認しつつ町の把握に努めましょうか」
「そうですわね。もしかしたらヴィト語を喋れる商人に会えるかもしれませんし」
そうしてまずは斡旋所に向かう。昨日よりは落ち着いて周囲を楽しむ余裕ができた。
アステリードやドラクレアの道は石畳だったが、こちらは基本的に土の道だ。二階建ての木造家屋が立ち並び、屋根は少し派手な色が多い。ガレッド車のようなものはおらず、人力車や飛脚のような移動手段が散見される。銃の量産に成功していたことから科学、もしくは魔道水準の高いイメージがあったが、軽く見た感じだと、生活レベルは王国や帝国より低いように見受けられる。
斡旋所にはそれなりの人がいた。身なりや清潔感も様々だ。といっても、路地裏で見たような目の死んだような人はいない。
壁にたくさんの紙が貼ってある。恐らく求人情報だろうが、ラーデ様にも読めない部分が多く、あてにならない。やはり現段階では、ここで仕事を見つけるのは難しいかもしれない。
受付と思われるカウンターで相談している人もいるが、これだけ人がいるのに言葉の喋れない者を選ぶこともないだろう。ラーデ様なら見た目だけで採用もあるかもしれないが、いきなり一人で働かせるのも色々な意味で不安である。
ふと気付いたが、受付では身なりの悪い人間はあまり相手にされていないようで、短時間で追い払われている。何か身分差別があるのか、それとも単に身なりで判断されているのだろうか。
「早口で聞き取れないのですけれど、お金がないと身なりが整えられない、そうすると仕事が余計見つからない、というようなことを訴えている人がおりましたわ。どうやら一度社会から転落すると厳しいようですわね」
そうして何もかも諦めた結果があの路地裏の住人ということだろう。
俺たちも、手持ちの金が尽きる前に目途を立てないと厳しいかもしれない。俺だけならともかく、ラーデ様に惨めな思いをさせるわけにはいかない。
その後はラーデ様に簡単な言葉を教えてもらいながら散策した。
観光地ではないためか、正直に言って観て楽しいような場所はなかった。もちろん見たことのない意匠も多く、興味を惹かれないわけではないが、中心の大通り以外はどこへ行っても生活感が強く、店なども少ない。
奇異の目で見られるので、結局大通りを端から端まで歩いて終った。
中級街や高級街にはそれなりに店も活気もあるが、それでもアステリードなどに比べると、栄えている感じはしない。フェイグテスは貧しくとも陽気で気さくな人が多かったが、人の顔が暗めなのも原因だろうか。特に下級街では店も少なく、閑散とした雰囲気があった。上級街は上級街で余所者を受けつけていない感じが全面に出ていたので、比較的活気もあって人の感じも良いヤミィの宿の辺りで生活するのがいいだろう。
とりあえずは宿に戻った。長期宿泊だと割安になるらしいので、手持ちの資金と相談して、とりあえず二週間分の宿泊代を払う。今日もいくつかの店を確認したが、やはりここは料理のコスパもいいので、なるべく食事もここで済ませる方が良さそうだった。
夕食の時間が近くなると、狩りや仕入れに出ていたという父親が戻り、料理を作る。基本的に母親が受付や事務をしつつ全体を仕切っており、父親が料理、仕入れ、ヤミィは掃除などの雑用や食事の際の給仕をしているようだ。
父親も母娘と同じ種族の亜人で、厳めしい顔つきでガタイもいいのだが、ぶっきらぼうながらも俺たちの事情を何となく察して気を使ってくれているのが分かる。長期宿泊のことも、昨日の夕食の際に彼が教えてくれたのだった。
営業トークの面もあるだろうが、非常に良心的な宿だし、思いやりで言ってくれたのが分かる。
『仕事、あるぞ』
しかもヤミィが聞いてくれたところ、あっさりとそんな返答が返ってきた。




