第33話 決断
転移の原因まであっさりと言及され、全く理解と考えが追いついていかない。それでも、魔女は答えがもう分かっているという。
俺は今、現在進行形で悩んでいるというのに、彼女には未来が見えているようだ。もう話すべきことは話したとばかりに、底知れない微笑を湛えて、魔女は答えを待つ。
頭の中をぐるぐると、色々な人の顔が浮かぶ。
母親は心配しているだろう。親父が死んでから、少し心が弱っていたことを知っている。つい最近も体調を崩していた。年の離れた妹は、就職が決まったばかりだ。初任給で家族を焼肉に連れて行くと笑っていた。
分かれた元カノは、生活のすれ違いで別れたが、お互いにまだ切り捨てていたわけではなかった。きっと気にしているだろう。その他にも友人たちの顔が浮かぶ。
日本の人たちばかりじゃない。シャーレさん、セレタさん、ザスト隊長にニール、ガトーさん。こちらで知り合って、この世界に寄る辺のない俺を助けてくれた、優しい人たちの顔が浮かぶ。何も言わずに帰ったら、特にシャーレさんは悲しむだろう。
「行ったり来たりは、できないんですか」
「悪いけれど、それは不干渉原則を超えるわ。もう一つ言っておくなら、どちらの世界を選んだとしても、あなたは選ばなかった世界とは完全に縁が切れる。多元宇宙のいかなる次元、いかなる宇宙にも、あなたがこの機会の他に世界を転移するチャンスはない。正確に言うなら、私の知る未来を選ばなかった場合に生まれる宇宙ではその限りではないけれど、私の知らない世界は、今まで生まれたことがない」
やはり都合のいい話はない。俺の生きてきた大半を過ごしてきた日本の人たちと、新たな旅立ちを経て得たこちらの世界の人たちと、どちらかとは永遠の別れになる。
「テラード」
その時、ラーデ様が真剣な声で俺を呼んだ。
「これまで、よく仕えてくれました。有用な知識も十分得られました。ここからの帰路についても、わたくしは無事に帰れるようですから、気にせずあなたも、いるべきところへお帰りなさい」
淡々と、ともすれば冷たい声音で彼女は言った。その表情は威厳に満ちたもので、下々の生活を守る、誇り高い貴族の顔なのだと思った。
「しかし…」
「大魔女様が無事に帰れると保証している以上、あなたを手元に置いておく理由はそれほどありません。向こうに家族がいるのでしょう?悲しませてはなりません」
戦争が始まった当初は、ラーデ様とその家族は、お互いにもう会えない可能性を覚悟していた。その経験もあるからだろう、本当に俺と俺の家族のことを想ってくれているのが分かった。
「俺はあなたの助けになりたいと思って、ここまで来ました」
「ありがとうございます。もう十分です。あなたは公爵家に、色々なものをくれました。もう帰れると思っていなかったのでしょう?自分の居場所を作るのに、必死だったのでしょう?たった今、その前提は覆りました。平和で便利で楽しい、あなたの世界よりいいものなんて、この世界にはありません」
確かに、この世界では二度も遭難したし、戦争に巻き込まれかけたし、利便性や安全性、生活の快適さは比べ物にならない。でも、地球のどんな国へ行くより、この世界は面白いのも事実だ。
何より、こんなに気高く、美しい人はどこにもいない。地球とか日本とか、異世界とか、そんなものは関係ないんだろう。
ラーデ様は悠然としているが、腰の前で組んだ手は少し震えている。この数日で破れたドレスからわずかに見える足も。大魔女に帰れることを保証されたからと言って、どれだけの苦労があるのか分からない。五体満足との保証だってされていない。きっと大魔女は、彼女が家に帰るまでにどれだけ肉体的、精神的に傷つくのだとしても、それを口にはしない。
しかも、何年か遅れると言っていた。見知らぬ場所に一人放り出される恐怖は、俺が一番よく知っている。それが街だとしても、文化も違い、頼れる人も誰もいない土地だ。怖くないわけがない。
不安でないわけがないのだ。
なのに彼女は俺を帰そうとしている。それは、ライアルラーデという少女の、ただただ真っすぐで誇り高い心を俺に見せる。
俺の世界だったら成人もしていない少女が、恐怖を抑え、表情には一切出さず。
彼女は俺のことを考えてくれた。
覚悟は決まった。
「…残ります。ラ・アストラ。あなたの傍が、俺の世界です。」
ラーデ様があまりにも恰好いいから、俺もこんな気障な台詞が言える。
「…馬鹿ね」
そう言って、ラーデ様は一筋の涙を流しながら、ほんの少し微笑んだ。俺たちは見つめ合い、全く同じタイミングで距離を縮めようと足を出した。この時、世界はふたりだけになった。
「うん、それじゃあ、街に飛ばそうか」
大魔女がにんまりと笑いながら言った。
二人の世界は一瞬で終わり、気まずい空気が流れる。大魔女は気にしない。気色の悪い笑顔のまま、どこからともなく小さな羽ペンを出すと、空中に光る文字を書いていく。
「離れてると術の面倒さが増すから、手をつなぎなさい」
追い打ちをかけるようにそんなことまで言う。
俺はなんだか顔が熱いし、鼓動が早くなっているのが分かる。ちらりと横目で見ると、ラーデ様も顔が真っ赤になっていた。
「んふふ、いやぁ、本当好きだわ、あなたたち」
ニヤニヤ笑う大魔女。と思った次の瞬間、女神にも見える、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
「私って、瞬きの間に死んじゃう人間たちの間で生まれる、儚いからこそ輝く一瞬が好きなのよねぇ。悠久を生きてても、飽きないわ。気高き魂を持つ子らよ。アシェット、キスティ、ヴァルクロウ、レスカ、ジャーニー、ティアシィ…。誇りなさい。あなたたちは、数多の英雄にも劣らない」
空中の光文字が広がって、繋がって、回って、光る。段々と光は強くなり、すぐに目も開けていられなくなった。同時に周囲から音が消えていく。
――――敬意を表して、一つだけ。
眩い光と静寂の中、大魔女の美しい声だけが響く。
――――あなたたちは、飛べるわ。
その言葉を最後に、ふっと浮遊感に包まれた次の瞬間。
俺たちは、どこかの街の真ん中にいた。
第2章 ”魔道具と機械 ドラクレア帝国” 完




