第30話 船旅
空は快晴。レングテックへ向けて、大きな帆船での船旅は丸一日かかるとのこと。
船は一日に二便出ており、昼に出発する便と夕方出発する便がある。
今回は昼の便を抑えたようで、明るい陽射しの中、水平線を見ながら船に揺られる。
夕食も豪勢なプランらしいので、とても楽しみだ。
船乗り達は水棲の亜人が多いらしく、身体に鱗のある人達が多い。それにしても、北に向かうにつれて亜人が多くなっているような気がする。前にグレアムが、どこの国にでもいるとは言っていたが、アステリードは比較的人間の多い国なのかもしれない。
船乗り達は背も高く、鋭い目つきで筋骨隆々。荒くれものが多いが、陸の人間に迷惑はかけないというのが仁義なのだとか。どこの任侠かと思うが、正直怖いので有難かった。
俺やガトー達は二等客室で、ラーデ様は特等室だが、二等でもかなり快適な部屋だった。もちろん広くはない。俺は何するでもなく、部屋でだらだらしたり、甲板で海を眺めたりしていた。
長距離航海の船ではないし、現代地球の豪華客船のようなエンターテイメントに優れた世界でもない。正直言って暇だ。楽しみは夕食くらいか。
夕食は船乗り達がその日獲る魚をメインにするらしい。
もちろん、時化などで獲れなかった場合も考慮して食材は積んである。
貴族向けの帆船なので、食堂室も広めで、内装も華美なものだ。
料理もコース仕立てで出てくる。酒は事前に伝えておかないと種類が限られるそうだが、予約して要望を出しておけば、ドラクレアやレングテックで出てくる酒は何でも出せるという。
もちろん、完成度は帝都のグランテニア邸で出てきた料理には劣る。恐らくあれはこの世界で最高水準のものだったのだろう。しかし、獲れたての魚の美味さというのはまた別物だ。
珍しく、ラーデ様は全員で同じ卓につくように言った。
商会長達との会食の日の夜以来のことだ。
ガトーさんやザスト隊長も、戦争終結以降は少し緊張がほぐれていたし、セレタさんやシャーレさんなどは既に旅行気分で楽しそうだった。
ラーデ様も酒は控えめにしつつも、ほんのり顔を上気させ、楽しそうにしていた。
メインの魚料理はなんと天ぷらだった。
獲れたての色々な魚にバンジェの卵、コナの生地を絡ませ、たっぷりの油で揚げる。この世界で油は贅沢品だと思っていたが、北の海には体内にたっぷりの油をため込む魚がいるらしく、海が近い地域では比較的安いとのこと。
「本当に美味しいですね!こんなに油を使う料理なんて、アステリードじゃ考えられません」
シャーレさんが満面の笑顔で言う。セレタさんも澄ました顔だが、食べるペースが速い。
俺は懐かしの和食に感動して、しばらく無言で天ぷらにかじりついていた。
魚や卵、生地が違っても、かつて日本で食べていたものと遜色ない。
「うん、美味しい。異世界で『天ぷら』が食べられるなんて」
「テラードはテンプラを知っているの?」
「二ホンの名物料理だよ。ていうか、こっちでもテンプラって言うのか」
「バゲランデロ商会が広めた料理です、落ち人である元会長が考案したようですよ」
ラーデ様も会話に加わってくる。
アスカ様の父親も、食に関しては地球の知識を持ち込んだらしい。
確かに、元々洋食好きな俺でもやはり、たまに和食が恋しくなるからな。
「そうなのですね、ラ・アストラ。あれだけ大きな商会を興した落ち人なのに、科学技術を発展させなかったのが不思議だったのですが、食文化を広げていたのですね」
「アスカ様のお父上は元の世界では、戦争でたくさんの辛い思いをしたそうです。だからかもしれませんね」
確かに、地球の歴史において科学の発展は常に戦争と共に在ったと聞く。戦争を経験したということは第二次世界大戦だろう。歴史に残る大戦、そして原爆をリアルタイムで経験した世代だとしたら、この世界で平和に生きたいと思っても不思議ではない。
こちらでの戦争も関わらずに終結してよかった。避難させてくれて、ラーデ様に同行させてもらえたことには感謝しかない。
夜は船の上部甲板のバーにカクテルを飲みに行く。
この世界でも、色々な果汁と酒を混ぜて作るカクテルは既にあり、富裕層に人気らしい。庶民も安酒を楽しむために果汁を混ぜたり、カミェをヴェナで割ったりなどはあるが、高価な魔道具の冷蔵庫を使って冷やしたり、様々な酒で作ったカクテルは富裕層のみの楽しみだ。
俺も飲んだことはなかったが、幸い避難前に科学技術のアイディア料が入っていたし、魔道と科学の融合についても発案者として報酬を頂けたので、懐は温かい。この旅は仕事の一部扱いであり、基本的な旅費や食費は公爵家持ちなので、せっかくなので贅沢を楽しむことにした。
日本のオーセンティックなバーによくあるように、カウンターの皿に果物が盛られている。果物と味の好みを指定すれば、その場でバーテンダーがカクテルを作ってくれるスタイルだ。
この世界の果物などほとんど知らないが、三種類ほど知っているものがあった。中でも、皿の中で小さなカゴに入った赤い果実。この世界に落ちてきた直後、遭難中に食べたあの果実だ。恐らく俺の健康や生命維持に重要な貢献をしてくれただろうと思われる、あの果実だ。
妙な感慨がこみあげてきて、赤い果実を使ったカクテルを指定する。
果実の名前はトリューというらしかった。そういえば、誰かに尋ねたこともなかった。
大森林以外にも、この大陸に広く分布する果実らしい。寒い地域でも暖かい地域でも育ち、庶民にも手に入りやすいが、富裕層にも好きな人が多い。
植物から作ると言う蒸留酒に、トリューともう一つ果物を絞ったジュースを混ぜ合わせる。魔道具から出した氷とともに混ぜ合わせる。
この世界では非常に高価な透明ガラスのグラスに注いて完成だ。
口にすると、お酒由来と思われる爽やかな風味と、二種の果物の甘酸っぱさが絶妙に調和していた。
「いると思いましたわ」
海や星を眺めながらカクテルを傾けていると、ラーデ様の声が聞こえる。
振り向くと、低くかかった大きい方の月を背にしたラーデ様が微笑んでいた。
この世界の月は大きい。逆光と星明りに照らされたラーデ様は、夜の女神のように思えた。
シャーレさんも可愛いが、地球時代も含めて俺の見た女性の中で最も美しいラーデ様に目を奪われる。
「特別室の客にはもう一段上の展望席が用意されておりますの。あなたもいらっしゃい」
「ご一緒させていただきます」
半ば呆けたまま返事をし、警備員のチェックを受けて階段を登る。最高級の家具の置かれた展望席。船の上部前方にあり、後ろは大きな帆があり、降りる階段の入口には店員が控えている。セレタさんも少し離れたところに控えており、今は仕事に徹しているようだ。
前を見ると、月と星の明かり、そして照らされる水平線。月が近いからだろうか、夜だと言うのに波の動きもはっきりと見え、遠くには魚が跳ねている。
隣でグラスを持つ美しい人、幻想的な異世界。
遭難、戦争と大変なこともあったが、こんなに幸せな時間もあるなんてな。
「最近、シャーレとはどうなのですか?」
ぽつりぽつりと話をしていたが、急にシャーレさんのことを聞かれる。
「ど、どう…とは?」
「よく出かけているのでしょう」
「まぁ、食事を一緒にすることは多いですが」
「わたくしを誘うと言う話はどうなっておりますの?」
そういえば、グランテニアの小舟でそういう話をした。
「申し訳ございません。なんだか、恐れ多いもので…」
「わたくしが許可いたしましたのよ」
ラーデ様は澄ました顔ではあるが、心なしか機嫌が悪そうにも思える。
「シャーレと行ったというお店、気になっておりましたのに。もうグランテニアを出てしまいましたわ」
「う…それでは、レングテックでお誘いを受けて頂けますか?」
「なんだか、言わせたようになってしまいましたわね」
「そんなことはありません。光栄です」
「光栄なだけですか?」
ラーデ様が真っすぐに見つめてくる。
「…とても…嬉しいです」
「そう。では約束ですわよ」
そういって、ラーデ様が微笑んだ瞬間。
世界は光に包まれた。




