第2話 猛獣に遭遇
時計のアラームが鳴る。時間は六時だ。
十分な睡眠時間は取れていないが、のんびり寝ていられる状況でもない。
落ち葉から出て、歩き始める。
今日は歩きながら、木に印を付けていくことにした。方角がわからないので、同じところをグルグルと回ってしまうかもしれないからだ。同じところに戻ったとして、じゃあどうすればまっすぐ進めるかなんて、結局分からないだろうけど。
草木に付いている朝露を片っ端から舐めていく。まともな水分補給がいつできるかわからないからだ。
とにかく川を見付けるしかない。下流に下れば人の生活区域に出るはずだ。英語が通じる国じゃなかったら困るが、そんなことは、無事に脱出できてから考えればいい。
ポケットやシャツの中に、昨日の食用の草を沢山入れておく。また夜が近くなったら、次は別な草か、キノコでも試してみよう。
それと、水が第一だが、どうにか火を起こさないといけないかもしれない。獣は火を怖がるはずだし、キノコだってなんだって、焼いた方が生よりは美味い。
とはいえ、木の棒で火を起こすなんてのは、実際にやっても全然付かないと何かで見た。眼鏡だったら太陽光で着火できるだろうが、あいにく視力はいい方だった。
やがて、果実を見つけた。
見たことがないが、赤い小さな丸い実が沢山ついた、背の低い植物だった。とりあえず一個食べてみる。ただひたすらに酸っぱかった。
けれども、酸っぱいということはビタミンが豊富なイメージがあるし、果汁は貴重な水分のように思えたので、草をサンプル用に少し残して、ポケットやシャツの中に持てるだけもった。
腰に巻いていた上着でうまく実を包み、風呂敷のようにして、持てるだけ入れて、抱えて歩いた。もう、上着が汚れるなどといった考えはなかった。
しばらくしても何ともなかったので、十個ほど食べた。全く腹は満たされないが、水分も摂れて、栄養が豊富そうな果実は貴重かもしれないので、昨日と同じ葉っぱを見つけたら口に入れ、無心で歩き続けた。
やがて日が落ちて、昨日と同じように寝床を作り、キノコを食べて寝た。またも腹は壊さなかった。
さらに五日が過ぎた。相変わらず川は見つけていないし、延々と変わらない景色を見続けている。
幸い元の場所に戻ったことはないが、森の出口に向かっているのか、奥深くに向かっているのか、それは分からなかった。
水がなくても果汁だけで何とかなっていたが、体力的にも精神的にも限界だった。
それでも、本当の限界はまだまだ先なのだろう、疲れて棒のように感じる足を動かし続けた。
キノコでも草でも、何度か腹を壊した。少量しか食べていなかったので、幸い大した症状ではなかった。
頭に見た目を焼き付けたが、植物は毒があるものとないもの、見分けのつきにくい種類もあるはず。腹を壊さなかった種類は常に一つはサンプルとして確保し、よく見比べるようにした。
最初の三回が大丈夫だったが、運が良かっただけのようだ。
腹を壊すときは比較的早かったので、その後は日に何度か試したが、腹を壊さないことの方が少なかった。
二十種類程度試した時点で、新しい植物に挑戦するのはやめた。下痢、腹痛どころか嘔吐して体が震えて大変なことになったからだ。
食べられると判断した物は五種類だった。
草が二種、殻のない栗のような木の実が一種、果実が二種だ。
それらは五日間の中で、それぞれ複数回発見できている。
強制的なダイエットにはなっているだろうが、死にはしない程度に、食べられる物を確保できたことだけが幸いだった。
見慣れない小動物は数多く見かけるが、道具や罠もなしに捕まえられるとは思えないし、血抜きも解体もままならなそうな上、火もない。魚の方がまだ何とかなりそうな気がするが。
それにしても、ウサギやトカゲだとかヘビだとか、そういった見慣れた動物を全く見かけない。似た動物はいるが、どこかが微妙に違うのだ。
とはいえ、一歩海外に出れば、日本では想像もつかないような、奇怪な動物だって色々いるわけだけど、本当にどこの国なのか。アマゾンくらいしか思い当たらないが、そもそも世界の密林に詳しくもない。
猛獣の類に出会っていないのが救いだ。
なんてことを考えていたせいだろうか、出会ってしまった。
数十メートル先に、四足歩行の、全長一メートル五十センチほどはありそうな動物がいた。
狼に似ているが、ハリネズミのように固そうな、白い毛がツンツンと逆立っていて、額からさらに純白の角が一本生えている。
まだ距離はあるが、こっちを見ている。
心臓の鼓動が早くなる。騒いだら駄目だ。騒いだり、目を逸らしたら襲ってくる習性があるかもしれない。背中を向けて逃げたら獲物だと思う動物もいる。
俺の拙い知識では、目を合わせたままゆっくりと後ずさり、ゆっくりとその場を離れることが最善だ。
もしこちらに駆け出して来たら、全力で走るしかない。この密林の中で、野生動物相手に逃げ切れる自信なんて、これっぽっちもなかったが。
木に体を隠したかったが、それも怖くて、目を合わせたまま下がった。隠れた瞬間こっちに来て、匂いで追跡されるなんて想像をしてしまったからだ。
ゆっくりと、ゆっくりと、下がっていく。
時間が長く感じる。実際にはどれくらい経っただろうか、ふいに獣は顔をそらし、反対の森の奥へ消えていった。
背を向け、速足で歩く。何度も後ろを振り返りながら、かなりの距離を歩いて、やがて地面に座り込んだ。
怖かった。生きた心地がしないとはこのことだ。
腹が減っていなかったのだろうか、獲物認定されなくてよかった。
それにしても、何だろうあの獣は。
全く見たこともないが、密林の王者の風格で角まで生えているのだ。テレビや図鑑に登場してもよさそうなもものだが。
嫌な考えが頭に浮かぶ。
厨二病的で考えないようにしていたことだ。
---異世界転移。
見慣れない生物、突然の森。
トラックにも撥ねられていないし、女神さまにも会っていない。教室が光に包まれてもいないし、チートも魔法もヒロインも何もない。
けれど、森の全てが、地球とは違う物のように思えるのだ。
夜空でも見られれば、月がいくつかあったり、星座が違うかもしれないが、木々に覆われて星座が把握できるほど空は見えないし、登ろうにもかなり高い木だ。
「ステータス」とか「ステータスオープン」なんてのは、実は二日目にはつぶやいていた。何も起きなかった。
考えても仕方ない。チートなしの異世界なんてのは御免だ。だったらまだ遭難の方がマシだ。
疲れ切った体を無理やり立ち上がらせ、来た道とは違う、けれど獣の行った先とは方向を変えて・・・といってもちゃんとした方角が分からないので不確かだが・・・俺は再び歩き出した。
毎日深夜0時に1話ずつ投稿します。