激闘の末……異世界へ?
終わった……。
俺はPCチェアから立ちあがり、背後のベッドに倒れこんだ。
頭がグワングワンする。視界がチカチカする。耳鳴りが聞こえる。全身が、悲鳴をあげている。
俺はいったい何時間、液晶モニターを見ながらキーボードを叩き続けていたのだろう?
窓の外をちらりと見ると、うっすらと空が白みはじめていた。
「あ……」
ダンジョンのトラップを踏破し、魔王ユーゴとの戦いに臨んだのが八時二十分だったのは、覚えている。
なにかあった時のために、動画を撮っておいたからな……。
ギシギシと痛む首を動かして、録画時間を確認する。
8時間53分07秒、08秒、09秒――。
え、バカじゃねぇの?
魔王が一回目の変身をしたのは、九時だった。
二回目に変身した時間は、もうおぼえていない。
つか、何回変身したっけ……? 六回? 七回……?
戦いのステージも魔王ユーゴが変身するごとに変わった。
魔王の間を飛びだして屋根の上にいき、空にいき、魔王城は壊れ、宇宙にいって、次元のはざまをとびまわり、再びまた、廃墟となった魔王城に戻ってきた。
そして――。
「勝った……」
俺は、勝った、ぞ……。
画面には、アーリュ=ドラゴニアの笑顔が、大写しになっていた。
陽光を梳いたかのごときブロンドの髪に、サファイアブルーの瞳。
そして、顔を埋めたくなるような、おっきなおっぱい……。
へへ、あの胸が、俺のものになったんだぜ……CGだけど……。
――ありがとうございます、勇者さま。
――あたしを助けるために、こんなにも、傷ついて……。
あ、やばい、テキストが流れている……。
アーリュの声、かわいいな……声優、誰だろう?
俺の、ダメ絶対音感が働かないなんて……。
ああ、くそ、この至福の時を、見逃してたまるものか……。
俺は、勝ったのだ。
アーリュを、嫁に、もらう――。
しかし、限界だった。
まぁ、動画に撮ってあるし、いい、か……。
もはや、指先を動かすことさえも億劫に思われる。
俺の意識は、闇の中に溶け落ちていった。
◇◆◇
「……っ! ――勇者さま、勇者さまっ!」
かん高い、少女の声が聞こえる。
鈴を転がしたみたいに、かわいらしい声だ。
意識が覚醒にむかい、俺は重いまぶたをこじ開ける。
真っ先に目に飛びこんできたのは、大きなサファイアブルーの双眸だった。
雪白の頬を薄桃色に染めて、少女が俺を見つめている。
なんて、可憐な女の子だろうか。
彼女の背後には白々とした薄明の空が広がっていて、肩からこぼれ落ちた絹糸のように繊細な長いブロンドの髪が、朝の陽光を受けてキラキラと輝いていた。
「勇者さまっ!」
少女が、うれしそうに顔をほころばせる。
俺が目覚めたからだろうか?
その笑顔に、俺の胸は締めつけられた。
なんだこの、かわいい子……。
地面に大の字になった俺の身体を、彼女は抱き起こした。
大粒の涙をためた瞳でジッと俺を見つめたのち、ぎゅっと抱きしめてくる。
「よかったぁ!」
鼻こうをくすぐる、甘い香り。
少女のあたたかな体温、豊かな双丘が胸に押しつけられて、そのやわらかな感触に、俺の脳髄は痺れた。
突如として五感に訴えかけてくる少女の存在感に、俺は目眩のようなものをおぼえる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
俺は、彼女の肩をつかんで、引き離した。
少女は、ハッとした表情になって頬を紅潮させる。
「ご、ごめんなさい……あたしったら、つい、うれしくって……」
わたわたとあわてる彼女を見ていると、だんだんと、俺の頭も回りはじめた。
この女の子、どこかで、見たことがあるような気がするぞ……?
深く考える必要はなかった。
ブロンドの髪、サファイヤブルーの瞳、思わず顔を埋めたくなる大きなおっぱい……。
「君は……君が、アーリュ=ドラゴニア?」
尋ねると、彼女は恥じらうようにうつむいた後、コクッと首を縦にふった。
「あの……よろしければ、あなたの名前を教えていただけないでしょうか?」
アーリュは、俺を意識しているみたいに、熱っぽい視線を上目づかいにむけてくる。
「俺は、間桐レ――」
ふつうに自己紹介をしようとして、俺の唇は固まった。
なにかが、変だ。
俺は、手のひらで、自分の身体をまさぐった。
その身にまとうものは、上下の黒いインナー以外、なにもなくなっている。
これは、POをはじめた時のキャラメイキングの時に着てたやつだ。
布越しに感じられる、筋肉質な肉体。
胸板は厚く、腹筋は割れていた。
耳に触れると、人間のそれとは違って、先がピンと尖っている。
これは、いわゆる、エルフ耳……?
髪の毛を一本抜く。戦士らしい無骨な手にあったのは、陽光を反射する白く艶やかな髪。
「なんだ、これ……?」
「どうしましたか?」
小首を傾げて、アーリュがのぞきこんでくる。
導きだされる結論、それはつまり――。
「俺が、《Z・ERO》になってる……」
「ゼロ? それが勇者さまの名前ですか?」
「え、あ、いや……ちょ、ちょっと待ってくれ」
これは、本当に現実なのか?
俺は周囲を見まわす。
巨大な建物が崩れたような、廃墟だった。
「ここは……どこだ?」
「なにをいってるんですか? ここは、魔王ユーゴの城……ゼロさまはたった今、魔王を討伐して、捕まっていたあたしを助けてくれたんでしょ?」
アーリュの声には、俺に確認するような響きを含んでいた。
「あたし、見てたわ。あなたが魔王と戦っているところ……。魔王が放つ魔法を、あなたはことごとくかわして、魔力をこめた矢を撃って、ちょっとずつちょっとずつ、魔王を追いつめていってた……」
それは、俺がゲームの中で魔王ユーゴを倒したのとおなじ方法だった。
《Z・ERO》の職業、魔弓士は、多彩な魔法をこめた矢を射ることができる上級職。通常の弓使いに比べて手数が少ない代わりに、一発一発の威力があり、きっちりと相手の攻撃を見極めて回避することができれば、対応できない事態が最も少ない。
【ファイナルクエスト】の攻略を目指す独身プレイヤーたちは、たいていこの魔弓士か、高い防御力と耐久力を誇る聖鎧騎士を選択している。
と……話が脱線してしまったな。
「弓を引き絞るゼロさまは、言い伝えに訊く、九つの太陽を射貫いた英雄ホゥイーみたいで……はぅ」
俺が難しい顔をしていると、うっとりと俺と魔王との戦いについて語っていたアーリュはハッとなって我に返った。
「ご、ごめんなさい……魔王との戦いで、疲れてるのよね」
気遣う手は俺の背中をさすってくれる。相手をいたわる優しい指先の動きに、アーリュはいい子なんだと直感した。
これは、ゲームなのか……?
それとも、リアルなのだろうか?
いや、こんなゲームは存在しない。少なくとも、俺は知らない。
地面をなでれば砂礫のぶつぶつが指先に感じられ、白んだ空に浮かぶ太陽を直視すれば、目がチカチカして、十秒として見続けることはできなかった。
どうだ、ゲームの太陽を見続けられないなんてことがあるか? プレイヤーの目が潰れたとか、消費者センターにコールされたら大問題だもんな。たとえ人間の脳みそに直接ゲームのデータを送る技術ができたって、そんな設定にはしないと思う。
だからこれは、ゲームではない。
つまり、ゲームそっくりの異世界……?
バカバカしい。
そんな最高のものが、実際にあってたまるか!
いや、あったらいいなとは、思うけどさ……。
つか、だったら、POでなくてもいいんじゃないか? もっとこう、やることなくなるまでいろいろとためこんじゃったゲームあるよ、俺。
ようするに、これは夢だ。
そういえば、魔王を倒した直後、俺、寝ちゃったもんな。
結論が出て、スッキリした気分で、俺は改めてアーリュを見た。
心配そうに俺を見つめる彼女は、本当に美しかった。
きょとんとした表情で俺を見つめ返す少女に、自然と手が伸びる。
むにっ。
「へ?」
むにむにっ。
ああー、やわらけー……。
俺の手は、アーリュの豊かな胸をつかんでいた。
手のひらにあまる巨乳は、俺の指先を受け入れて、包みこんでくる。
ふむ、夢なのによくできた、いいおっぱいだ。
まぁ、リアルで女の子のおっぱいをさわったことなんてないんだけど。
これ夢だから、結局リアルでさわったことにはならないんだけども。
むにむにむに……。
「な、な、な……」
アーリュの顔が、みるみるうちに、赤くなっていく。
「なにすんのよっ!」
そして、鋭い鉄拳が、俺の顔面にめりこんだ。
ほげぇっ!
俺の身体は吹き飛んで、ごろごろーっと地面を転がる。
あれ、痛い……?
「バカ! 信じられない! エッチ! 変態! エロエルフッ!」
城の壁にぶつかって仰向けに伸びたところに、さらにアーリュが駆けよってきて、俺に蹴りを入れてくる。
「そりゃ、わたしはその、あなたの……かもしれないけどっ! 手順っていうもんがあるでしょ! とにかくもー、バカバカッ」
げしげしげしっ!
「痛い、痛い痛い痛いっ!」
なんでこんなに痛いの? 夢じゃないの? でも、かわいい女の子に足蹴にされるのって、一概に苦しいだけともいえない不思議な気分!
このままでは、なにかよくないものが目覚めてしまうかもしれない。
俺はアーリュの蹴りをかわしながら、身体を起こし、立ちあがった。
「わ、悪かった。落ち着いてくれ」
とりあえず、怒りを静めてもらおうと、俺は頭を下げた。なんで、自分の夢で謝らなきゃならんのだと思うが……。
「え? あ……まぁ、素直に謝るなら、許してあげなくもないけど」
マジ?
謝ってすむなら、俺は謝りながら全力で君のおっぱいをもみしだくが。
「え、エッチな目してるっ!」
「はい(堺雅人っぽく)」
「はいじゃない!」
「いや、女の子のCGモデルがあったら、やっぱり真っ先におっぱいにさわるじゃん?」
「意味分かんないしっ! いい加減にしろーっ!」
激昂したアーリュの拳が、俺の顎を強かに射貫いた。
その細腕のどこにそんな力があるというのか?
俺の身体は宙を舞い、頭から地面に落ちる。
鈍い衝撃とともに、俺の意識は闇に落ちていった。
痛くなきゃ、最高の夢なのにな……もったいない。