3.ゾンビになって彷徨っている夢を見た
今回ちょっとだけ短いです。
モーセのように人混みという海を割りながら、夕日に照らされた大通りを進んでいく。屋台が並んでいる通りに出たのか漂う美味しそうな匂いに、猫子猫の鼻がピクピクと動く。
(あそこやな)
その目はネズミを見つけた猫のように鋭く、一つの屋台へと足を進める。余程調理に集中しているのか、猫子猫が近づいた事によって急激に騒がしくなった周囲に、店主の中年男性は全く気づく様子がない。
「いらっしゃ、い」
語尾がおかしかったのは気配で屋台に客が来たのが分かり顔を上げると、目の前に心臓が止まるかと思う程の美女がいた事に動揺したからだろう。そもそも中年男性が売っている物は“焼き鳥”であって、猫子猫のような美女が来るような屋台ではなかったのも要因の一つだろう。
「すいません、焼き鳥二つ下さい」
猫子猫はそんな店主やざわついている周囲を全く気にせずに、一本五十Gの焼き鳥を二本注文した。ここに来たのだから注文すると分かっていたが、猫子猫と焼き鳥が結びつかずに返事を返すのに時間を要した。
貨幣は銅貨・銀貨・金貨そして金持ちしか使わない晶貨があり、それぞれ銅貨、大銅貨など大きさが違う二種類の貨幣がある。一Gに相当する貨幣はなく、銅貨は十G、大銅貨は百Gと、十倍に増えていく。
「ありがとうございます」
ぎこちない動きで猫子猫から大銅貨一枚貰い、焼きたてほやほやの焼き鳥を手渡す。それを嬉しそうに猫子猫は受け取って、他の客の邪魔にならない程度に移動してから口にした。その際邪魔だった本はアイテムボックスにしまっている。
(何の肉か知らへんけど、美味いやん。特製のタレでも使ってるんやろうか?)
普段から中身が解らない食べ物を口にする猫子猫は、食中毒など怖くないとばかりにぺろりと焼き鳥一本食べ終わる。残った一本をブランに串から肉を外して食べさせてやる。ブランに食事は必要ないのだが、物欲しそうな目で見られて猫子猫が耐え切れなくなったのだ。
美味しそうに食べる猫子猫達を見て周囲の人達も食べたくなったのか、今や屋台の前には長蛇の列が並んでいる。それにやっぱり人気の屋台なのかと、自身の影響だとは全く考えずに納得したように頷いた。
串を屋台の傍に置いてあったゴミ箱に入れて、宿を求めて歩き出す。様々な店に顔を出しながら、珍しい物や面白い物を買い漁っていく。
噂が広がっているのか最初の店主のように驚く人は少なく、商人達は色々な物を勧めてくる。そして猫子猫が買った物は周囲に聞き耳を立てていた人達が買い求めていた。
(ここが木漏れ日の宿。確かにええ所やな)
数人の店主に話を聞いた所、満場一致で名前が上がった木漏れ日の宿。サービスが隅々まで行き届いていて、女将が包容力のある女性で実家に帰ったような安心感があるらしい。
「【返還:ブラン】」
ブランを戻して猫子猫は宿屋の中へと入って行く。横に大きい厩舎があったが、ブランは召喚獣なのでずっと召喚し続ける意味がないのだ。
今の今まで召喚していたのは、ヒーラーである猫子猫の盾となれるのがブランだけだからという切実な問題があった。知らない街を歩く時に武装解除する程、猫子猫は馬鹿ではない。
ただ召喚獣となれる程の力を持つ馬はそれなりに少なく、猫子猫の雰囲気などで彼女ならば持っているだろうと大多数が納得した為に騒ぎにならなかっただけで結構珍しい光景だったりする。
一階部分は酒場兼食堂になっていて、沢山の人が食事を楽しんでいた。受付があるカウンターの奥には上に上れる階段があって、時々食事を終えた人が上がっていく。
受付にいる宿屋の女将であるふくよかな女性は、自分の元へと向かってくる猫子猫を暖かみのある笑顔で迎える。イメージ通りの女将に猫子猫はこの宿屋に泊まる気満々だった。
「いらっしゃい。食事ですか?それとも宿泊ですか?」
「宿泊でお願いします」
「ありがとうございます。料金は前払いとなっていて、朝と夜の食事付きで一泊銀貨二枚となります。ただ十日以上滞在の場合は十日間を一区切りとして大銀貨一枚と銀貨七枚と、少しですが値引きさせてもらっています」
「とりあえず十日で」
殆ど悩みもせずに猫子猫は懐から大銀貨二枚取り出して渡す。どれだけ迷宮都市に滞在するのかは知らないが、新しい街に来たら観光したくなる。それに迷宮にも興味があるのか、十日以上滞在してそうな雰囲気だ。追加で泊まることはあるだろうから、無駄にはならないだろう。
「大銀貨二枚お預かりします。では銀貨三枚のお釣りになります」
「あ、それと夕食は一階の酒場で食べられますか?」
「はい。先程お渡しした鍵を見せれば」
女将の言葉を聞いて、お釣りと共に渡された赤い板を見る。対となっている模様にしか反応しない魔法陣が刻まれているので、ただの板を挿しただけでは鍵は開かないようになっている。
「あ……申し遅れました、私はこの木漏れ日の宿の女将をやっているラフと申します」
「私は猫子猫です。ラフさん、暫くお世話になります」
「はい、よろしくお願いします」
ラフさんの案内で酒場にある椅子に座る。夕食のことを聞いたからか、頼むことなく猫子猫の前にほかほかと湯気が立っている食事が置かれた。
本を膝の上に置いて、肉がたっぷりと入ったシチューにパンをちぎって食べる。スプーンでシチューの肉を食べると口の中でほろりと溶けた。野菜サラダは流石に日本の物とは数段落ちるが、刻んだチーズが乗せられていて普通に美味だ。
「うまい」
お世辞も何もない言葉に、猫子猫に意識を向けていたラフがホッとしたように笑みを浮かべた。それに気付かずに猫子猫はぺろりと綺麗に食べきり、皿を下げる場所をキョロキョロと見渡す。
「ネコネさん、そこに置いておいて下さい」
「あ、分かりました。ラフさん美味しかったです」
下げやすいように皿を重ねてから猫子猫は席を立つ。鍵を頼りに階段を上がり、二階にある扉の色が赤い部屋に入る。
部屋に備え付けられている照明を付けると、中はアイボリー色の壁に落ち着いた雰囲気の家具が置かれていた。出入り口以外に唯一ある扉の向こうには、トイレ用の壺とシャワーがあった。
(……時代遅れにも程があるで。でもプレイヤーがおらんみたいやし、ウォシュレット付きの洋式トイレがないのは当然なんかな)
壺がトイレになっていると知った生産職は、すぐさまチームを作ってトイレの開発を急いだ。プレイヤーは開発チームでも流石に排泄物の再現までしなかった為にトイレなど使う機会がないのだが、本当にないのだが火が付いてしまったらしい。
ざっと部屋を見て回り、オススメされた通りに過ごしやすそうな部屋に猫子猫は満足げに微笑んだ。とりあえずログアウトしようとメニューウィンドウを開いた猫子猫は、そこに当然のようにあると思っていたものがないことに動きを止めた。
「…………はい?」
溜めに溜めて出たのはそれだけだった。混乱して叫ぶでもなく、ただ気の抜けたような声だけがその空間に響く。脳内で処理しきれず、パソコンがシャットダウンしたかのように動きを止めた。
「はぁ……」
何十分何時間固まっていたのか猫子猫には解らなかったが、漸く衝撃の事実をやっと飲み込めた。気力をごっそりと奪い取られた後のように、猫子猫はバタンとベッドの上に倒れこむ。
そのまま寝て気力を回復させたかったが、早く色々なことを把握しておいた方がいいと判断してフレンドリスト欄を開いた。
そこにはずらりと登録したプレイヤー名が並んでいて、現在地が全て文字化けを起こしていた。なのでログアウトかどうかすら解らない。
(誰がこの世界にいるかは分からへんか。まぁ考えてみれば、今の今まで鴉(八咫烏)は論外やとしてわんこから連絡がないってのも、ここが《ラインオンライン》やないって事に真実味を持たせてるし)
考えてみれば異世界ではないかと疑える所など沢山あった。知らない迷宮都市に、プレイヤーがいないからとはいえ貧相な装備の冒険者達。
そもそもの話、いくら現実味があるゲームだとしても様々な匂いが混ざった街の空気は複雑過ぎて再現できてなかったはずだ。とは言えそれでも大雑把な匂いはちゃんと再現しているのだが。
(わんこらはこの世界にいるんやろか?あの転移魔法陣が原因やろうし、うちだけってことはないはずやけど……)
誰も自身を知らない世界に来た心細さに犬飼達も同じように異世界にいることを願う反面、こんな理不尽な出来事に巻き込まれて欲しくないとも思う。
そんな複雑な内心を表に出したかのような苦笑を漏らしつつ、とりあえず現状把握の為にスキルリストを確認する。猫子猫が覚えている限り、変わっている箇所はないように見えた。
それに何を思ったのかアイテムボックスからナイフを取り出し、自分の腕に突き刺した。痛みに顔を歪めながらも猫子猫はナイフを抜いて、慌てたように回復魔法を発動させる。グーパーと手を動かしながらも、ぼんやりとした表情のまま天井を見上げる。
(普通に痛かったわ。ホンマにこれは夢でも《ラインオンライン》でもないんやな……)
ハッとしたように体を起こすと、血で汚れた物を【浄化】で体ごと綺麗にする。その時に違和感を覚え、猫子猫はもう一度【浄化】を発動し直した。
それでも何に違和感を覚えるのか解らなかったのか、いくらか繰り返して発動し続けてから考え込んだ。
(変やな。いつも通りにしているはずなのに、なんや魔力の流れがおかしい。決められたルート上を走ってないかのような……決められた?)
数秒考えた後、体に魔力を通し異常を発見する事をイメージしながら、猫子猫は魔法を発動させる。それは《ラインオンライン》にない魔法で、ついさっき生まれ猫子猫に【診断】と名付けられた魔法だった。
診断した結果が猫子猫に伝えられ、健康そのものだと判断する。世界を超えたのだから、何かしらの異常が見当たると思った猫子猫はいい意味で裏切られる事となった。
(やっぱりな。《ラインオンライン》は所詮ゲームや。決められた魔法しかあらへん。けど、この世界は自身で考えて魔法を使ってる。なんで魔法を作れるかは知らへんけど)
スキルというのは経験だ。上がりきる所まで上がったスキルは猫子猫に、魔法という知識を与えていた。
ゲームの時ならば様々なシステムに縛られて、どうやっても新しい魔法は作ることができなかった。いくら現実にしか見えないからといっても、限界はあるのだから。しかしこの世界は現実なので、魔法を作る為の必要条件が満たされている猫子猫は魔法を作り出す事ができた。
おもちゃを買ってもらった子供のように目をキラキラというよりもギラギラとさせながら、猫子猫はこれがあればと思っていた魔法を作り出していく。回復特化なので攻撃魔法は全くと言っていい程作れなかったが、回復魔法はそれぞれの状態に合わせて使い分けれる程度には潤沢になっていく。
「……あ」
時間を気にせずに作っていた猫子猫にストップをかけたのは、無意識に出た小さな欠伸だった。それで横道に逸れたことに気付いた猫子猫は誤魔化すように笑った後、さっさと考えをまとめていく。
「日本に帰れるかどうかは後々調べるとしてや……明日は改めて情報収集やな。最悪回復魔法使って金を荒稼ぎすればええんやし、お金は心配せんでもええやろ」
眠気がピークとばかりに猫子猫は枕へと顔を埋め、そのまま時間を立てずに夢の中へと旅立っていった。
魔法を作れるとなれば、絶対に徹夜していると思う。というか魔法を使えるにしてもテンションが上がって寝れない……。因みに猫子猫が敬語なのは、普通初対面の方にタメ口で話しかけない(作者がそうなので)。店の人にも敬語なのは、作者がそうだからですがね。
(追伸)少しだけ内容が追加されました。