現実との対話
第2話
現実との対話
「おいで。あんたと香織を引き離すには、こうするしかないのよ。」
「何?何言ってるのお母さん…。引き離す?なら、お姉ちゃんを連れてくればいいじゃない!ここ精神科でしょ?!なんで私がこんなとこ…!」
バチン、と頬にヒリヒリとした痛みが走る。
「いい加減にしてよ、穂花…あんた、本当に…。」
うっすらと涙を浮かべながら、母が唇を噛む。
私は、叩かれた左頬を抑え呆然と立ち尽くしてしまっていた。大声を聞きつけた看護師達が2人、入り口から現れ、さめざめと泣く母に声をかけていた。
何やら事情を聞いたのか、1人が私にチラリと目をやる。
「あなたが娘さん?予約されてた方ね。お名前お伺いしてもよろしいですか?」
「前島…前島穂花です。私、予約なんかしてませんけど。」
「あぁ…お母さん、本人に話さずに来ちゃったの?うーん、説得せずにきたのねー。仕方ないなぁもう。」
すこし面倒くさそうに別の看護師が答える。40代後半といったところだろうか、ややベテランの雰囲気がある。
「まぁまぁ…怖いかもしれないけど、先生は優しい人だから、お話だけでもしていってみませんか。」
優しそうな雰囲気のこの看護師は、笑顔でそう私に話しかける。
「話って何を?お悩み相談にお金払えってことですか?」
無性に腹立たしい気持ちが抑えられず悪態をついてしまう。
「そういうわけではないけれど、ほら、お母様は何か困って、話がしたくて予約してくださってるわけですし、ご一緒に、ね?」
母が困って、というフレーズに心が重くなるのを感じた。
そう、いつだって母は困っていたのだ。
「また殴られた?どこを?怪我もしてないでしょう?」
「お母さんは忙しいの!あんたの夢の続きみたいな話には、ついていけないの!」
「お母さんね、疲れてるの。ちょっと休ませてちょうだい。その話は、後で聞くわね。」
そう、こんなことばかりだった。母はいつも私のせいで困っていた。昨夜の出来事も、今思い返せば、突然の不幸ではなく、前々から言われていたことだったのだ。
やはり私は神経が図太い、というか鈍感なのだ。姉に暗いと言われるのは、こういうぼーっとしたところがあるからだろう。
苛立ちが少し落ち着いたため、看護師と母に、わかりました、と返事をすることができた。
病院内は、古くもなく新しくもなく、といった感じだった。外観はやや廃れた雰囲気もあったが、内装はそれよりも新しいようだった。
外来には待っている患者が数名いた。みな落ち着いた様子だが、目に光がないように思えた。どこか濁っているのだ。
服装は無頓着な人がほとんどだ。おばさん患者は、おしゃれしているつもりだろうが、一体何時代の服だ?というほど流行や世間からずれている。一際目立っていたのは、この暑い中、ダウンコートを着ている男性だ。手にはビニール服を持ち、席は空いているのに、わざわざその空いている長椅子の横に立っている。肌は薄黒く、清潔感はない。
うわぁ、気持ち悪い。
これが正直な感想だった。こんな人達の通う病院に私が?余計にわけがわからない。
確かに私の性格は明るい方ではないが、仕事もしているし、事務仕事ではあるがコミュニケーションもとる。不潔にしていることはないし、高校時代や共通の趣味を持つ友人だっている。周りから変だと言われたことはないのに、何故、母は私を連れて来たのだろう。
姉の方が、よっぽどおかしいではないか。派手な服で出歩き、酒を好み、家では母や私に強く当たる。
引き離す、と言っていた。
そうか、もしかしたらこの病院はシェルターのような役割を果たすのかもしれない。姉は気性が荒く、こんなところに連れてきては、さっきの私の大声や悪態など可愛く思える程に暴れるだろう。そんな姉を連れてくるよりは、比較的おとなしい私を連れてきた方が母の安全にも繋がる。
だから姉がいない間に来たのか、と納得した。いやしかし、仕事はどうする。明日は仕事に行かなくてはならない。まぁそれは後で帰宅する理由として使わせてもらおうか。
確かに私は、できることなら姉と離れて暮らしたいが、私ももう大人だ、よほど嫌なら一人暮らしをすればいいのであって、なんだかんだで姉も母も心配だからこそ一緒に暮らしているのである。
全く母の急な行動には驚かされた。
冷静さに欠けていたが、こうやって落ち着いて考えてみると連れてこられたからといって騒ぎ立てることでもなかったのだ。まず母と落ち着いて対話すべきだった、と自身の行動を振り返り反省した。
そんなことを考えながら外来を抜けると、診察室の札が見えた。私達親子はその部屋へと通された。
中には誰も居なかったが、こちらに座ってお待ち下さい、と丸椅子を用意され腰を下ろした。
看護師が部屋を後にすると、気まずい沈黙が流れ、蛍光灯のジジジという音がやけに耳についた。
沈黙を破ったのは私の方だった。
「ごめんね、お母さん、心配かけて。」
「え?」
母がこちらを見るそぶりが横目で見えた。私は小っ恥ずかしさがあり、母を見れず左の壁に目線をやりながら話した。
「私、大丈夫だよ。お姉ちゃんは怖いけど姉妹だし、逃げ出すみたいな形で1人にするのは可哀想だよ。」
「穂花…。」
コンコン、とノック音がして扉が開く。
「お待たせして申し訳ない。医師の館林正吉と申します。」
50代半ばほどの中肉中背の男性だった。やや白髪交じりの短髪に、銀縁の眼鏡、目元が優しい印象を受けた。
先生は、私達の前の椅子に腰掛けるとボールペンを取り出し、バインダーを広げ話を切り出した。
「さてと、今日はどうされました?」
私は母にチラリと目をやる。母は、あ、あの、とたどたどしく話し始めた。
「この子が治るか診て頂きたいんです。いつの頃からか、わけのわからないことをいうようになって。」
ふむ、と先生が私を見る。
「治るかどうか、それは保証出来ませんが、症状を抑えることはできますよ。治すというより、安定させるといった方が近いかもしれないね。
さて、前島穂花さん。君は、最近眠れなかったり食欲がなくなったりはしてないかな?」
「いいえ…特には。 症状ってなんですか?私、病気ってわけじゃないですけど。
ただ姉が乱暴なので、母が別々に暮らせるようにと思って勝手に私を連れてきただけで。でも私、別に姉と」
「じゃあそのお姉さんのお名前は?」
私の話を遮るように先生が質問する。
「え?名前? 姉は香織ですけど。」
「そうか。じゃあ香織さんとの一番古い思い出を教えてもらえるかな?」
「古い、思い出?」
頭の中を探した、姉と過ごした日々で一番昔の思い出を。
ない。
ないのだ。何一つ。
両親が離婚する前に出掛けた遊園地、乗っていた観覧車には私と、その横に座る母、前に座ってビデオを回す父の姿。
離婚して引っ越してきた時、整理した食器はそれぞれ2セットずつだった。お茶碗も朝食プレートも。
高校生だったため少しずつおしゃれにも興味を持ち始めて、少しずつ服が増えていった。
物置の片隅に大事に隠したあの服たちは、そう、とても派手なものだった。金髪にも憧れてウィッグも買った。化粧だって、つけまつげをして、濃くアイラインを引いて…まるで別人だった。別人になれた気がしたのだ。
仕事から帰宅した私は、すぐに着替えメイクをした。そして…テーブルを挟んで座る母を怒鳴りつけている。
「いないのよ…! いないの! あんたにお姉ちゃんなんていないの! 香織なんていないのよぉ…」
母はそのまま泣き崩れてしまった。
私も何かが抜けてしまったかのように、脱力し座っているのがやっとだった。
部屋の隅からの景色なんてなかった。
目に映っていたのは、香織の視界だった。
朝、窮屈な服を着ていたことにどうして気がつかなかったんだろう、毎日着ていたから違和感がなかったのかもしれない。
殴られたといえば心配してもらえると思った。
私が私でなくなるのを、心配した母が止めてくれると思っていたのだろう。
さぁ、これが君の病気なのだよ、と現実が私を嘲笑う声が聴こえた。
第2話でした。
入院まで行く予定でしたが、
外来で暴れない方向に変えたので伸びてしまいました。
なんだか暗い入りになってしまってます。
というかもう当分暗いので
目指せ 気が滅入る小説!です(笑)




