ロンドン海軍軍縮条約(1930年3月16日)
付け足しました。もう少し付け足すつもりです。
1930年3月16日
「絶対におかしいだろう。今回の出張は!」
藤伊伯爵一家はイギリス首都ロンドンに来ていた。ロンドン会議で日本海軍の派遣された軍人達が外務省役人の手に負えなくなったからだ。そこで、何とか丸く収めてくれそうな藤伊栄一海軍中将が選ばれたのである。
妊娠中の妻千代子とまだ幼い息子幸一、赤ん坊の誠一郎を日本に残しておく事が嫌だったので連れて来たのだ。
「わぁー。ねえねえ、お父さん。髪の毛が黒くないよ?」
幸一が不思議そうな目で藤伊を見つめていた。息子幸一にとって二度目の海外だが、1度目は生まれて間も無いのでほとんど記憶に残っていなかった。それで5歳の幸一にとっては何もかもが新鮮だった。
「なに!45歳になって白髪か。まあ、ここまでよく頑張ったぞ、俺の髪の毛達よ。ゆっくり休め。」
「お父さんのことじゃない。周りの人だよ。」
勝手に勘違いしている自分の父親に呆れている顔だった。それも仕方がないことだ。藤伊もそろそろ心配になってくる年齢のためだ。
「欧米人の女の子が好みなの?」
「話しやすいだけだよ。日本人は英語が話せないから........。表現が下手だよ。何考えているのかわからんよ。」
幸一は日本の友人達の事を思い出しながら言った。日本人が自己決定をしない事で幸一は付き合い辛いと感じていたのだ。
「お金は嫌いか?」
藤伊は自分の息子に結構酷な質問を言った。父親の目をしていなかった。上司が部下を判断する眼付きだった。父親としての感情が一瞬、なくなった。
「おいしいご飯と珍しいご飯が大好き。」
そう言って、幸一は手に持っているハンバーガーにかぶりついた。
「子は親を見て育つのだなぁ........。でも、珍しいご飯が好きとは........。おい、ハンバーガーは1日ひとつだからな。」
「はぁーい。」
幸一もまた、自分と同類であると藤伊は感じた。お金は食べ物を食べる為の手段である。幸一の意図を読み取ったからだ。手段であるお金に無頓着なはずがない。
ハンバーガーは藤伊が提案して千代子によって作られらた。藤伊は料理の能力が絶望的だ。転生する前は冷凍食品、お惣菜に頼った食生活だった。
完璧な女主人となりつつある千代子にとって藤伊の要望を答える事は簡単だった。千代子は簡単だった故につまらなかったのだ。食事に関して一切意見を言わない夫である藤伊栄一が初めて要望した。藤伊が喜ぶ事はお金が得られることだ。だから、千代子はハンバーガーについて様々な試行錯誤を繰り返し、商品化しようと考えていた。別に店舗を構えて売り出すわけではない。商品名と製造する権力を大手企業に多額の費用で売却するだけだ。しかし、色々なところで交渉したが、結果はボロボロだった。勝手に真似される始末にもなった。
ストレスが溜まった千代子はショッピング美容に明け暮れていた。ただ、ある出版社が千代子に目をつけた。欧州駐在経験があり、羨む美を持つ千代子。ファッションモデルにはぴったりだ。欧州の女性ファッションを紹介する雑誌のモデルとなった千代子は藤伊に褒めてもらう為、必死で努力した。数ヶ月後には女性誌の表紙に載るまでとなった。
高収入を千代子が得られることになった。藤伊はなんとも言えない表情でそれを見ていた。大金が得られたら、藤伊が千代子の要望を叶えてくれると勘違いしてたからだ。
「栄一さん!あちらにアンティークのお店があります。」
「はいよ。」
特注品のベビーカーを押しながら間抜けな返事がかえってきた。千代子は一瞬、顔を顰めたが、すぐに笑顔となった。自分の旦那が金儲けの事しか興味が無いことに気付き、グイグイと千代子は栄一の腕を引っ張った。そうでもしないと何かしらの理由をつけて結局、退けてしまうかもしれないとおもったからであった。
藤伊伯爵一家はロンドンの街並みに消えていった。
『ミスター若槻。昨日まであれ程元気だった近藤信竹大佐はどうしたんだい?』
今日も日本内部のうるさいやり取りを蚊帳の外で見るのかと思っていたイギリス代表兼首相のマクドナルドであった。しかし、今日は見慣れぬ人物が若槻の隣に座っていた。
ロンドン会議開始から海軍補佐官として若槻礼次郎日本代表の隣にはいつも近藤信竹大佐がいた。艦隊派である近藤は条約締結を望む日本政府側に会議中横槍を入れていた。イギリス、アメリカの参加者も大分呆れていた。
『近藤は階級が大佐であったので高度な政治的判断に乏しいと考えて勝手ながら交代してもらいました。こちらは、藤伊栄一海軍中将です。』
若槻は近藤が各国代表達に嫌われていることを知っていたので強引に交代させた。
『なるほど、日本海軍もやっと本腰を入れて交渉に望む気になったようだな。』
マクドナルドの目付きが変わっていた。彼の瞳が藤伊を捉えていた。海軍中将であるのに軍服を着ずスーツ姿でいたからだ。交渉役がようやく到着したと考えても不思議ではない。
『いえいえ、日本は最初から本腰を入れて交渉していました。そこはお忘れなく、お願いします。』
若槻は直ぐに否定した。マクドナルドは皮肉を言っただけであったが、本音に聞こえてしまったのだ。若槻の対応を見てマクドナルドは日本が交渉下手と改めて感じた。
『アドミラル・ツチヤの教え子はこの会議に出席する予定はないのですか?』
『我々が全権を委任されています。』
若槻は有りのままを言った。
『ふむ。なるほど。』
マクドナルドを含めた各国代表達に余裕が出てきた。彼らは土屋の教え子達が派遣されてくると構えていた。しかし、派遣された人物は海軍軍人の藤伊だった。先ほどの若槻の言葉から藤伊が土屋の教え子到着までの時間稼ぎの担当でないと思ったからだ。
土屋大将はユトランド沖でドイツ艦隊に被害を与えて有名になった。世界的有名な海軍将校の一人となったのだ。会議出席の各国代表達が安堵した意味は別にある。土屋はワシントン会議に日本海軍代表として出席していた。
本来なら認められるはずがない日本海軍の大型空母3隻の保有。戦艦からの改造途中であったので正確な排水量がわからないことを利用して書類上は予定合計排水量だけしか記入しなかった。
1隻あたりの排水量が記入されていなかった。空母保有予定数は記入されていたので、各国代表達が勝手に1隻あたりの排水量を計算して勝手に納得していたのだ。そのため加賀型空母の1隻あたりの正確な排水量を各国は知らない。
外交官からは舐めてかかると痛い目を見るとされていた。土屋の教え子がロンドン会議に出席しない事は日本の外交レベルが成長段階と判断出来た。
『フジイ......。フジイ......?』
今まで沈黙を保っていたアメリカ国務長官のスティムソンが何かを思い出す様に呟いていた。
『どうしましたか?気分が優れないならば水でも飲んでみては?』
マクドナルドが言った。放った言葉からわかるように全くスティムソンの心配などしていない様子が丸分かりだった。イギリスが一番であり、アメリカはその次であると思っている感じだった。
『ああ、大丈夫です。水でも飲むか。水。水。水!そうか石油だ!』
何かを思い出しスティムソンが急に椅子から立ち上がった。藤伊を除く周りの者達はポカーンとしていた。誰だって急に椅子からアメリカ国務長官が立ち上がれば驚くだろう。
『長官。落ち着いてください。』
後ろから補佐官が宥めるように言った。
『ああ、すまない。取り乱してしまった。日本海軍のトップは中々頭がきれる人物だな。』
スティムソンはそう言いながら座った。
『ほう。イタリア石油開発の出資者が交渉役か。面白いな。』
『日本の代表は若槻さんです。自分ではありません。私は家族でヨーロッパ観光に来た者ですよ。』
『色々と整理出来ないから数日後にまた会議を行うとしよう。』
マクドナルドがそう言って勝手に会議室から出て行ってしまった。アメリカ代表達もそれに続いて出て行った。
「藤伊さん。色々、ありがとうございます。我々だけでは、近藤大佐を抑えれませんでした。」
駐英日本大使館に戻ってから若槻が口を開いた。
「いえいえ。こちらの若い者が迷惑をかけました。」
「このまま、会議に参加してくれるのですか?」
「それはないですよ。妻がロンドン観光したがっていますから。」
藤伊はそう言って部屋を出ようとした瞬間、若槻に止められた。若槻は藤伊の前に頭を下げていた。全権代表が頭を下げていた。若槻は部屋にいた他の外務省役人達が見ている中で恥を忍んで行った。ここまでされると藤伊もなんらかの対応する必要がある。しなければ、反藤伊派閥となってしまうだろう。
「........。」
「若槻さん。頭を上げてください。それと状況を詳しく教えてください。」
「ありがとうございます。はい。英国、米国が2隻の金剛型戦艦廃艦を進言している状態です。両国共に自国の戦艦数を減らすから、と言っています。」
「なるほど。」
【近藤大佐が喚くことも無理ないか........。】
金剛型戦艦は日本海軍にとってとても大切な戦艦だ。先の大戦でドイツ艦隊を撃破したからだ。日本海軍の威光をヨーロッパ各国に知らしめたこともある。何かと思入れがあるのだ。
「どうされますか?もし、金剛型戦艦2隻が廃艦となっても海軍予算減少はありますか?」
「ない。国債の返済で大変かもしれないが、無理だな。10年後にはそんな借金なくなっているさ。廃艦なら、空母に改装する。」
藤伊は日露戦争の国債返済に政府が苦労していることを知っている。知っているが海軍予算減額は賛成できない。太平洋戦争に備える為だ。
「空母に改装ですか........。私は海軍に関する知識が乏しいです。しかし、素人でも金剛型戦艦の空母改装は海軍を弱体化させる理由になると思います。」
若槻の言う事はもっともだ。金剛型戦艦の空母改装をすんなりと受けいるのは角田ぐらいだろう。山本五十六達も待ったを掛けると思われる。まだまだ、航空機の進化は激しいが、戦艦を凌駕する領域に達していない。欠片が見え始めたくらいだ。
若槻は恐れているのだ。藤伊伯爵家の影響力が低下することに。大日本帝国議会は衆議院と貴族院がある。貴族院議会の半数以上が親海軍派。多くの決定権が衆議院に移り、名ばかりの議員となりつつある貴族院議員でも、政府は無視できない。藤伊伯爵家の様な富豪貴族らがいるからだ。富豪貴族達を纏めているのは藤伊伯爵家だ。
貴族院は藤伊伯爵家によって纏まり、選挙で勝つことしか考えれない議員が多い衆議院を牽制している。衆議院議員で戯言を言う輩に徹底した対応していたのだ。
政府は海軍寄りの政策をすれば、貴族院の支持が得られる。こんな簡単なお仕事はない。衆議院議員約3割の親海軍派の議員、与党議員で過半数以上の議席を獲得できる。ここ最近の政権はこの体制だった。
だが、藤伊伯爵の存在がなくなれば、一気にこの体制は崩壊する。ここが弱点でもある。
「まあまあ、落ち着いて。軍縮会議を逆手にとってやるから。」
藤伊はロンドン市内の地図を見ながら言った。観光する場所を調べている。地図には色々と記入されていたからだ。
「........。」
若槻はなんとも言えない状態になっていた。藤伊が頼りになるのかわからない。若槻はそんな気持ちだった。結局、藤伊の登場で強引に会議が進められなくなった。米英は妥協し、史実と同じ内容で調印された。
「ここが、ニューヨークか........。半年前の繁栄はどこに行った?そこら中に仕事を求める人々........。やりきれんな。」
藤伊がロンドンで格闘している最中、角田はアメリカ最大の経済都市ニューヨークのウォール街に立っていた。世界経済の中心の場所だ。1929年10月末の世界恐慌の発端となった場所であり、多くの人々から金を奪った場所でもある。世界恐慌直前にはアメリカ人の殆どが株を売買していたからだ。
角田の目には嘗ての活気が写っていなかった。天高くそびえ立つ摩天楼。ただ、街にはスーツ姿で無料の食料配給所に並ぶ多くの人々いる。一瞬で生活が逆転したのだ。贅沢から困窮へと。ホームレスになった人々が考えられない程いる。
待ち行く多くの人々が角田を凝視していた。彼らは角田が異様に見えた。生活するだけでもとても大変な時期なのに周りをキョロキョロと見渡している。不思議だ。それも、アジア人だ。上等なスーツ姿である。人種偏見差別が全くない時代とは言いがたい。アジア人に対する差別もある。それと同時に今は角田へ興味があるようだった。
『あんたらみない顔だな。道案内ぐらいしようか?ただし、チップは頂くよ。』
スーツ姿のイギリス系アメリカ人が近づいてきた。世界恐慌前は何処かの大企業にでもいたのだろう。彼の靴は高価だ。体の前に、、(仕事をください)、、と書かれたプレートを掲げていた。30代前半だろう。健康そうな体つきだった。
「........」
『ああ、同業者か........。悪かった。』
角田が無言だったから彼は同業者と判断したのだろう。
『道案内を頼む。私はカクタだ。』
『俺はマイクだ。ありがたい。うん!あんた、ここら辺の土地を超低価格で売り捌いて多額のお金を国外に流している関係者か?名前は確か、イトウだったかな。』
『え!』
角田は一瞬固まった。イトウを漢字で書くと伊藤である。文字順を逆にすると藤伊になる。そもそも、藤伊が故乃木希典陸軍大将の説得の時に使用した偽名であった。角田も説得に同行したから、イトウ=藤伊となんとなくわかってしまった。
『どうした?知り合いなのか?』
『いや、数年前に亡くなった友人の名前だったから戸惑っただけだ。』
『ああ、すまねぇ。疑って悪かった。』
『大丈夫だ。して、マイク。子供たちにじっと見られている理由がわかるか?』
子供とは純粋なものだ。不思議に思ったらじっと見つめる。表現が純粋である。大人のように誤魔化す事はしない。子供たちは角田が手に持つ物を見ていた。りんごだ。世界恐慌がアメリカで発生しても世界中に広がるにはまだ時間がかかる。しかし、アメリカニューヨークは発生地の為、もろに受けた人々が多くいる。影響は子供達にも波及している。
『腹を空かせているだろう。こんな状況で清々しい顔をしている奴なんていない。金持ちか、役人のどちらかだ。金の心配なんていらないから。』
『そうか?』
角田は藤伊の影響を受け過ぎたと感じていた。夢見がちな感情が角田にはなかった。現実的な考えしか出来ない状態になっていた。アメリカの青年達が夢見るアメリカンドリームなんてない。角田がアメリカで得たことであった。まあ、そうなると自分の上司は異質な存在になるのだが........。




