世界恐慌(1930年1月20日)
1930年1月20日
「却下だ。」
「そこをなんとかお願いします。このままでは生活が維持できません。お願いします。」
藤伊の前に額を床につけて土下座する男がいた。彼の着ているスーツの胸には国会議員バッチがつけられていた。
「現実主義的な考えを持たない人物に支援は出来ない。どうぞお引き取りください。」
藤伊はもう帰れとばかりに席から立ち部屋の扉を開けた。藤伊はこの国会議員の事が嫌いだった。国会で内務省や海軍省のやり方に文句を言ってくるからだ。厄介な事に小さいが派閥のボス的な存在だった。
1929年10月24日にニューヨークで株価の大暴落から始まった世界恐慌の波は日本にも影響を及ぼしていた。アメリカが不景気となり、日本産生糸の輸出が減ったからだ。アメリカは日本の大手取引先であった。
この当時の日本の主な産業は軽工業である。重工業が主な産業となるのは少し先である。
世界恐慌の影響によって資産のほとんどを失っている国会議員もいた。借金をしてしまった者もいた。これは国会議員に限らず一般人もそうだった。彼もその内の一人だった。この時は世界中の多くの人達が損をした。
損をする者もいれば、得した者もいる。世界中の人々が全員損をしたことはあり得ない。誰かは得している。
藤伊伯爵家は得していた。半年ほど前に元当主藤伊一郎が亡くなっとことにより嫡男の藤伊栄一が藤伊伯爵家の新たな当主となっていた。妻千代子は藤伊伯爵夫人となった。藤伊は世界恐慌前に自身が保有する全ての株式を売却した。その後、アメリカにいる友人達に自分の資金で空売りをさせていた。世界恐慌で藤伊伯爵家は益々豊かになった。
「鈴木派の支援勢力となります。伯爵がうまく立ち回れるように支援しますので。お願いします。」
土下座をした場所から動かず、床に正座をしたまま国会議員は言った。彼の身内に陸軍関係者がいたので陸軍寄りの勢力だったが、彼にはどうでもいいことだった。なんとしてでも、支援して貰わなければいけないほど困窮していた。
「は?支援勢力?支援する?えらく上から目線だな。」
「栄一さん、私からもよろしくお願いします。支援してください。」
部屋に入って来た千代子が藤伊にお願いした。そもそも彼女が言える立場ではない。この国会議員が伯爵家に訪れた原因が千代子の実家と千代子自身にある。
世界恐慌の影響で千代子の実家もダメージを受けた。元当主藤伊一郎伯爵は千代子の実家の山田伯爵家を嫌っていた。でも、藤伊栄一は妻の実家であるから少しだが支援した。
この内容を山田伯爵家の親族が陸軍関係者に自慢してしまったのだ。山田伯爵家は陸軍との繋がりが深い。海軍との繋がりが深い藤伊伯爵家に山田伯爵家の娘千代子が嫁げたのは内務省が軍部を抑えていたからだ。
世界恐慌の影響と内務大臣藤伊一郎の死によりダブルパンチをくらった内務省は立て直しに必死だった。とてもじゃないが軍部を以前の様に抑えている余裕はなかった。
内務省の圧力が弱くなったことで軍部が活発化し始めた。海軍では土屋海軍元帥の死によりパワーバランスが崩れかけようとしていた。海軍大臣に就任した鈴木貫太郎海軍大将が過激思想の持つ海軍士官達を海外赴任させたことによって海軍は落ち着いていた。
妻千代子は恐慌後の貴族夫人親睦会で酒の影響もあり、藤伊伯爵家が恐慌で儲けた事を話してしまった。22年間しか生きていない千代子にはまだ腹の探り合いの経験が不足していたのであった。
非公式に陸軍で困窮している者や理想主義的な考えしか出来ない者達が藤伊伯爵家を訪ねてきていた。千代子の実家の繋がりを経て面会に来る者も多くいた。
「千代子が言える立場かい?きみは下がっていなさい。」
【子供がいなかったら離婚していたぞ!交渉に慣れてなさ過ぎる!】
藤伊の有無を言わせない言葉に負けて千代子は部屋から出た。
藤伊が留守の時は妻千代子が支援を求める者に対応していた。千代子は優しい心の持ち主だった。そのため、誰も支援してくれないので恥を忍んで藤伊伯爵家に訪れる者たちに同情した。ほとんどの者たちに支援を約束してしまったのだ。
藤伊はそれを聞きいて激怒した。藤伊伯爵家が彼らを支援していることについて千代子から聞かされていなかったからだ。訪問してきたことも知らなかった。千代子は伯爵夫人として藤伊のサポートをしているつもりだった。
千代子の実家山田伯爵家に藤伊が支援した額以上の金が送られていた。千代子は親族からの要望に全て答えてしまっていたのだ。藤伊が支援した額は最低限生活が維持できるものだった。
藤伊は全ての支援をストップした。自分に有利となる人物のみ吟味して支援を始めた。主な人物は国会議員だった。鈴木貫太郎海軍大臣寄りの対応する派閥を形成させた。
支援額以上の金を受けとっていた山田伯爵家とは絶縁した。足を引っ張ることしか考えれない者など藤伊にとって不要だった。妻千代子もそうだった。藤伊が稼いだ金を必要以上使う者はいらなかった。
息子の幸一もいることだから離婚しようと考えていた。息子の幸一為に教育係となる様な女性と再婚すればいいと思っていた。しかし、千代子が子供を身籠っていたので離婚はやめた。
「ねえ、藤伊伯爵家がなんて呼ばれている知っている?」
「え、そう、あの。」
国会議員はバツ悪そうに言葉を濁していた。
「高利貸しだよね。まあ、支援する条件は俺の政策を高評価すること。海軍よりになること。」
藤伊がそう言うと国会議員は何度も頭を下げて部屋から出て行った。
高利貸し。高い利息の返還額を求める金貸しである。簡単に金が借りられることが利点となっている。貸す側は小口な取引でもリターンが大きい。
高利貸しと呼ばれることに藤伊は一切抵抗がなかった。だが、民衆の恨みの矛先が藤伊伯爵家に向いていることについては悩んでいた。国会議員を手懐けることが出来ても民衆の暴動が発生しないという保証はない。法律で規制してもいいが逆に恨みを買いそうなので出来なかった。
陸軍一部が政府高官らを暗殺しても民衆は陸軍支持していたら目も開けられない。
「あ!お父さん。突然ですが問題でーす。ここの国の名前はなーんだ。」
藤伊は考えながら息子幸一の部屋の前にいた。部屋の中から床に世界地図を広げている息子幸一が言った。幸一が指差す国はユーラシア大陸にあり南アジアに所属する逆三角形の形をした国だった。
「!」
藤伊は目が点になった。口も開いたままだった。
「あれー?わからないの?じゃ、僕が教えてあげーる!正解はインドでした!」
幸一は父親の驚く顔を見て嬉しそうに言った。藤伊がわからないと思っていたからだ。
「す、凄いな。」
藤伊はこう答えるので精一杯だった。
「じゃあ、僕のお願いはママと仲直りして。ママが悪いことは知っているけど、お父さんとママが仲良しの方が僕はいいなぁ。」
幸一としてもラブラブだった両親がケンカになっている事が嫌だった。ママ千代子が悪いことをしたことは何と無くわかっていた。
「いいぞ!幸一、お前は天才だ!千代子温もりを感じていなかったから今日はのんびりしよう!そうだ!家族で買い物にでも行くか?」
【インド?あ!やべー!俺の息子天才だわ。インドだよ。インド。イギリスのインド統治方式で行えば、民衆の暴動も陸軍も抑えられる!】
分割せよ、然るのちに統治せよ。
イギリスがインドを統治する時にとった政策理念。絶対に数が少ないイギリス人が数が多いインド人を支配するのは困難だった。インドには大きく分けてヒンドゥー教とイスラム教の二つの宗教が存在する。まあ、他にも多くの宗教が存在する。
イギリスはインドで宗教対立を故意に引き起こした。インド人が団結すれば脅威であったが分裂したインド人は脅威でなかったからだ。
宗教対立が発生すればインド人同士の宗派を越えての協力関係はなくなる。大きなインドという勢力はインドヒンドゥー教勢力とインドイスラム教勢力の分裂してそれぞれ中規模勢力となる。中規模勢力をさらに分裂させて小規模勢力にする。これなら統治する側の負担もかなり軽減されることになる。
藤伊はご機嫌だった。欠けていた最後のピースを見つけた時の様な状態だった。
「え?うん!」
幸一は訳がわからないけど、ご機嫌な父親を見て嬉しそうに返事をした。
「やったー!」
藤伊は急いで千代子のいる部屋に向かうのであった。
『どうだった、日本は?』
ドイツ海軍統帥部長官のエーリッヒ・レーダー海軍大将が言った。現在レーダーはドイツ海軍の実権を握って海軍再建の最中だった。ヴェルサイユ条約で制限されているが、ポケット戦艦などで戦力差を埋めるようにしていた。
ヴェルサイユ条約ではドイツ海軍が潜水艦を保有する事が禁じられていた。そのため第一次世界大戦で潜水艦勤務だった者も水上艦艇勤務となっていた。
『潜水艦は貧弱です。しかし、水上艦艇はとても強力でした。』
日本から帰国したカール・デーニッツ大佐が2枚の資料渡してから言った。資料は日本海軍の保有艦艇並びに建造中の艦艇数が書かれている。日本海軍上層部がデーニッツの派遣を要請したから日本に赴任していた。
『なんだこれは?日本海軍が現在建造している潜水艦の数が違うぞ。他の項目は全て一緒だぞ。』
2枚の資料には全く同じ事が書かれている。1枚は日本海軍省が作成したもので、もう片方は日本海軍艦政本部が作成したものだ。
艦政本部が作成した資料は片方に書かれていない潜水艦臨時建造数の項目があった。海軍省の資料は内閣向けの資料であった。片方は海軍の一部の上層部向けの資料である。
藤伊はロンドン海軍条約で潜水艦の保有にも制限が発生することを知っていた。その為、条約締結前に建造しようと考え、新たな潜水艦の建造をしたのだ。
伊号第一潜水艦の派生型である伊号第五潜水艦の同型艦が4隻建造されていた。史実では伊号第五潜水艦の同型艦がない。
これよりも少し小さい伊号潜水艦の同型艦を増やすことも可能であった。しかし、平和な時だからこそ少し大型の潜水艦建造も可能であるとして建造が決定された。新たな3隻の潜水艦建造の予算が確保出来なかったので廃案がほぼ決まっていた。
廃案に断固反対した藤伊が3隻の潜水艦建造費の出すことで建造が開始された。補助練習艦艇としての項目に書類上は数えられた。
海軍省としてもマスコミや野党議員達へのこれらの事柄の情報提供を恐れて潜水艦関係は藤伊栄一海軍中将に一任するとした。1930年代に一度は藤伊栄一海軍中将を第六艦隊司令長官にすることもここで決まった。
『はい。日本海軍はこっそりと潜水艦の数を揃えようとしています。』
『なるほど、日本海軍と技術協定して正解だったな。ドイツ再軍備と同時に日本から潜水艦を買い取ろう。』
レーダーは思案顔だった。潜水艦を秘密裏に建造しているならば、数年後には多数の潜水艦が日本海軍に配備される。何隻か購入することが出来るかもしれないと思ったからだ。
『私は大いに賛成です。日本海軍の研究開発費が大幅に増えているので、日本海軍の潜水艦購入には多数の新型魚雷もつけてもらいましょう。』
デーニッツは結構日本で情報収集をしていた。第一次世界大戦の敗戦国の士官であったが、潜水艦乗りで角田覚治中佐の知り合いと認識されていたので日本海軍は自由に行動させていた。要は藤伊の右腕の角田の知り合いであったから関わりたくなかった。
『よく調べられたな。バレていないのか?』
『フジイ中将が見せてくれました。しかし、艦隊行動訓練は見せてくれませんでした。フジイ中将の家では小さな監視役が私を見張っていました。』
デーニッツは敗戦国の海軍士官に見せてくれる様なことでないとして諦めていた。戦勝国なら艦隊行動訓練の視察が許可されたかもしれないと思っていた。ただ、それは間違いである。
藤伊が指揮する第二艦隊の訓練を他国の役人、軍人達に一切見せる気が無かった。第二艦隊の訓練は主に沖合いで行われていた。第二艦隊は空母機動部隊としての訓練をしていたからだ。
航空機がまだまだ実用的でなかったので戦艦を航空機が沈めるなんて誰も思っていなかった。それなのに空母を主力とした訓練が行われていたら不自然である。各国が空母に興味を持ち始めるかもしれない。
空母は戦艦のサポート役であり、戦艦が主力である。第二艦隊の書類上の編成では実際に2隻しか配備されていない金剛型巡洋戦艦が4隻になっていた。現場にいない残り2隻の金剛型は第一艦隊に貸出中であった。戦艦主力の艦隊です、とアピールする為だ。
『まあ、艦隊行動訓練は仕方がないだろう。その小さな監視役とは誰だ?』
レーダーはデーニッツが藤伊に見張られていたかもしれないと思った。
『フジイの息子です。英語を操っていましたから相当息子も優秀だと思います。』
『はははは。監視役は息子か。面白いな。』
藤伊の息子幸一が家の中ではデーニッツを監視していたことで藤伊がドイツ海軍に友好的だとわかった。要注意人物なら監視役がプロ集団になるからだ。
『フジイは資産家である為日本の経済界や政界とも繋がりを持っています。仲良くしておいて損はないと今回の日本視察で判断しました。』
『わかった。報告ありがとう。』
レーダーが日本を友好国と認めた瞬間だった。
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