関東大震災(1923年9月1日)
震災関係の話となります。ご注意ください。
1923年9月1日
横須賀海軍工廠では長門型戦艦2番艦陸奥の出港後の片付けが行われていた。7月29日、進水式を行ったばかりであった。
「藤伊少将。これは軍法会議になりますよ。」
藤本が言った。
「軍法会議にはならんよ。だって、横須賀工廠に他国の破壊工作員がいたので出港させたから。」
藤伊は海軍少将になっていた。伏見宮大将に対抗するために38歳でも、海軍少将になれたのだ。
横須賀鎮守府は現在、厳戒態勢であった。海軍艦政本部次長の藤伊栄一海軍少将がスパイを発見したからだ。事実ではないが........。
それにより、鎮守府の全艦艇が出港し始めていた。横須賀海軍工廠での作業はすべて中止されて電力も切られていた。軍港付近にある燃料タンクの中は空っぽだった。燃料はタンカーによって数ヶ月前から少しづつ運び出されていた。火災の被害をなるべく抑えるためだ。
「藤伊少将、一部艦艇の出港準備が遅れています。お昼までには出港出来ると思います。」
宇垣が報告した。
「急がせろ。鎮守府の兵士や技術者を広い敷地に集めろ。人数確認してくれ。厳戒態勢は14:00までだ。」
【長門型戦艦2番艦陸奥建造に国民さえも乗り気だとは......。計算外だぞ。】
藤伊は懐中時計を見ながら言った。
陸奥を関東大震災によって大破させ解体させようとしていた。史実では天城型巡洋戦艦1番艦天城が横須賀工廠で大破した。これを藤伊は利用しようと考えていた。
藤伊は関東大震災まで工事を延期させて横須賀工廠に留めておこうと思っていた。それで関東大震災が発生し陸奥が大破。これが藤伊のプランだ。
大破しなくても書類に細工したりして解体しようとしていた。陸奥解体後に発生する維持費はウラジオストク開発費に回そうとしていた。
しかし、国民が陸奥の建造に乗り気だった。勝手な新聞社の記事により戦艦陸奥は土屋大将の強い意志で建造が進められたと多くの国民が思っていた。
ここで陸奥が大破し解体されたなら国民は海軍艦政本部に悪い印象を覚えるだろう。海軍艦政本部長の鈴木貫太郎中将、次長の藤伊栄一少将への責任追及がされることは間違いない。
土屋大将の右腕とされている鈴木貫太郎中将。左腕とされている藤伊栄一少将。この二人が消えてしまえば、土屋大将の派閥は分裂する。海軍最大級の派閥が分裂することは海軍内部で沈静化している権力闘争が再び始まる事を意味している。
陸軍が勢力を伸ばすだろう。内務省だけでは国内を抑えきれない状況になる可能性が高い。海軍も内務省に協力的であるから国内を抑えれている。
藤伊の下には角田、宇垣、山口、南雲などの優秀な人材が多数いる。史実では自分の実力を発揮出来ない状況に置かれてしまった優秀な人物も多数いた。
彼らは海軍将校である藤伊栄一少将がいるから日の当たる立場にいる。藤伊栄一の存在が大きいのだ。
ここに気づいた藤伊は回避するために行動したのだ。横須賀工廠で建造中の戦艦陸奥の進水式を大幅に早めた。
陸奥は90%の状態で進水式が行われた。その状態のまま横須賀工廠から呉工廠まで向かわせたのだ。
このまま横須賀工廠に留まっていれば史実の巡洋戦艦天城の様になると困るからだ。万が一の事があっては困る。但し、現場の作業員達にとってはいい迷惑だった。
よって地震による二次災害を防ぐ為、横須賀工廠内部にスパイが破壊工作しているとして厳戒態勢状態にしていた。これなら震災に備えることが出来るからだ。
「こんな大規模にやる必要があるのやら......。もうなんかの訓練みたいですよ。」
「藤本少佐、私も同感です。まさに、訓練ですね。」
宇垣も同感するほど訓練ような行動を藤伊が部下達に指示していた。
「それで我々がなぜここに置かれた?」
「海軍少佐だからでしょう。一応、藤伊少将が書類上は直属の上司ですから......。」
宇垣少佐と藤本少佐は横須賀鎮守府正門の前にいた。先ほどまでいた藤伊はどこかに行ってしまった。
彼らの前には記者達が大勢いた。横須賀鎮守府でなんらかの問題が発生したとの情報を得たからだ。海軍が隠蔽したいスキャンダルでも暴こうと押し寄せていた。
朝早くからサイレンを鳴らして完全武装した海軍陸戦隊が鎮守府の周辺をパトロールしていたら不思議に思うはずだ。横須賀鎮守府周辺の飲食店は全て臨時休業とされた。
関東大震災はお昼に発生する。史実ではその時間、料理のため火を利用している家庭が多かった。藤伊は火災の発生を防ぐ為に飲食店全て臨時休業させたのだ。鎮守府内部の食堂も例外なく行われた。
決め手は横須賀鎮守府にいた多くの艦艇が出港したことだ。帝都東京の海軍最後砦から多くの艦艇が出港したのだ。進水したばかりの陸奥も大急ぎで横須賀を発ち、呉に向かった。
おかしい。これはただ事でない。
どこから情報を得たかわからない記者達が横須賀鎮守府正門前に集まっていた。
「お!海軍士官が門から出てきたぞ!」
「あれは、藤伊少将の左腕の宇垣少佐だ!」
「やっぱり土屋大将が関わっているのか?」
ザワザワと記者達が騒ぎ始めた。
「一般人立ち入り禁止区域に近づき過ぎです。一度お引取りください。後日、記者会見を行いたいと思います。」
宇垣は相手に不愉快を与えないよう言葉を選んで言った。藤伊が記者に高圧的な態度で接していない事を側で見ていたからだ。それに新聞が国民に与える影響力強さを知っていたからでもある。
内務省が情報を上手に利用して危険人や国家反逆者を逮捕、暗殺していた。新聞にデマ情報を流させて対象者をあぶり出すやり方もあった。宇垣は内務省の活動内容を少しだけ知っていた。
「なぜですか?何か隠蔽したいことでもあるのですか?」
一人の記者が言った。
「内務省特別警務課と協力して事の対応をするつもりです。」
内務省特別警務課は新聞関係者とって恐る存在である。国家反逆者として問答無用で逮捕するからだ。特別警務課がこのような対応することはほとんどない。彼らのターゲットは元々決まっているからだ。
その場の判断で国家反逆者として逮捕することはない。ターゲットとされていたら関係ないが......。
つまり、彼らが介入することは国家反逆者として問答無用で逮捕される可能性が高くなるということだ。下手しら新聞社そのものが潰される可能性がある。
陸軍や憲兵隊も彼らが介入したら直ぐに我先にと身を引くのだ。その場で逮捕出来なかった場合は暗殺するからだ。それも関係者全員。ただ、情報を得るため少数だけは残すこともある。
普通に生活していたら彼らのお世話になることはないだろう。一般人からすれば、関わりたくない部署である。
「えっ!」
記者達に顔色はみるみる青くなっていった。これがタブーであることに気付いたのだ。
「そろそろ、到着される時間になっていますのでお早めに行動される事をお勧めします。」
宇垣がそう言うと記者達は一目散に逃げていった。まあ、特別警務課がいつどこで何をしているかなんてわからない。宇垣もちょっとした冗談言えるようになっていた。
「よく口からペラペラと言葉が出ますね。藤伊少将みたいですよ。」
藤本は素直な感想を言った。堅物頭の持ち主が柔軟性を身に着けていた証拠であった。
関東大震災は起きた。
「お前は大丈夫か?このまま、厳戒態勢はそのまま維持する。」
ユトランドでは発狂したうるさいおじさんが随分老けて爺さんになりつつあった。55歳であった。鈴木は海軍中将で艦政本部長である。艦政本部次長の藤伊栄一海軍少将の上司だった。海軍艦政本部は海軍人事局に代わる土屋派の新たな住処となりつつあった。
トップに土屋大将の右腕の鈴木貫太郎中将。ナンバー2に左腕とされる藤伊栄一少将。艦政本部の決定権は土屋派が握っている形だった。艦政本部は日本海軍の艦艇建造計画、改造などを取り仕切る部署である。ここの許可がなければ、艦艇建造は不可能に近い。
藤伊がここを住処としている理由がある。第二次世界大戦の海の戦いは空母機動部隊同士での殴り合いがメインだ。空母が1隻でも多く必要なのだ。しかし、日本に空母を大量に保有できるような国力はない。そこで、藤伊は空母をより使いやすく、沈みにくくするために艦政本部次長になったのだ。
藤伊がナンバー2では動きにくいかもしれないと考えた土屋大将が鈴木中将をトップにしたのだ。鈴木も出世街道の艦政本部長になれるので喜んで了承した。鈴木は作業をほとんど藤伊が行うと思っていたからでもある。
「はい、なんとかは無事です。横須賀鎮守府は2週間後から鎮守府としての機能が回復します。鎮守府も被害を受けましたが問題は帝都です。」
【東京は大きな打撃を受けたな。横須賀ぐらいだろう、東京周辺でましなのは。】
横須賀は壊滅的な打撃を受けなかった。横須賀鎮守府の騒動を見て近隣住民が学校に集まっていたからだ。家にいるのは危険と破断して大量の物資が集められている学校に集まった。学校は臨時の物資倉庫だった。運動場に物資が集められているだけだが。一応、警備に海軍陸戦隊の兵士がいた。
地震の揺れで倒壊した民家は多くあった。火事で焼失した民家はほとんどなかった。
地震後の混乱も一切なかった。横須賀鎮守府から臨時物資倉庫となっている地点に連絡するだけでいいからだ。広島の呉鎮守府から多数の輸送船が横須賀に向かっていることもあり、食糧不足の心配がないので横須賀にいる軍人たちも心に余裕があった。よって献身的な救助活動がされた。
「お前の家族は無事か?俺の家族は無事だった。特に藤伊一郎内務大臣は無事か?」
鈴木と藤伊は横須賀にいた。
「妻の千代子は大阪にいます。親父も大阪にいます。」
【俺が強引に大阪に追いやったからな!】
大阪はほとんど目立った被害を受けていない。関東で発生した被害と関西が同様な状態であったら日本は崩壊しているだろう。
「校長ー!た、大変です!」
海軍兵学校の校長室に教官である古賀峯一海軍中佐が飛び込んで来た。
「う、ちょっと落ち着きたまえ。」
土屋は耳を手で塞ぎながら言った。古賀が大声で叫びながら迫ってくるからであった。海軍の次世代を担う者達の育成機関である海軍兵学校。土屋が校長になったことで非効率な教育方針は禁止されていた。実戦的な教育が多く盛り込まれていた。
校長と教官との間のコミュニケーションも多くなった。部下が不満を募らせることは悪いことだと知っているからだ。部下が意見を言い易い様な環境作りは重要であった。土屋には部下に藤伊少将がいる。藤伊の意見を参考にしてきたからこそ今の自分があると思っていた。
次世代のリーダー達にも自分と同じ様に部下の意見に耳を傾ける人となってほしいと思っていた。真似をすることは簡単だが、新たに始めることが難しいことも知っていた。古賀中佐が校長に飛び込むことが出来たのは土屋が前々からこの様な環境作りをしていたからだ。
「東京が壊滅しています!帝都が壊滅しました!」
「ああ、わかったから。そう言えば、長門は大連沖で練習中だったよな?うーん。長門に連絡しろ。呉から帝都に支援物資を送る。急いで来る必要はない、と言っておけ。」
長門の公式発表の速力は27knとなっていない。23kn〜25knとされている。史実では震災後27knで航行中の長門をイギリス海軍艦艇に目撃されてしまった。土屋は中国大連沖で練習中の長門が駆けつけたところで状況変化がないと思っていた。
長門に乗っている土屋と馬が合わない士官や将校達に来られても作業の邪魔と考えていた。
「長門よりも帝都です!」
「横須賀鎮守府の藤伊少将から連絡があった。東京は壊滅していない、地震後の火災により被害が増加中。だから、壊滅していない。君が聞いたのは噂か正解でない情報だろう。」
土屋は正確な情報しか信じない人物となっていた。〈鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス〉徳川家康の人物像を表した詩である。我慢強い人物だった。土屋は不確かな情報だけでは絶対に行動しない人物となっていた。
古賀にまだ言っていないこともある。横須賀にある海軍機関学校の校舎の一部が倒壊したので海軍兵学校で新校舎完成まで生徒を預かってほしい、と藤伊から連絡があった。校舎完成までは最低1年は掛かるだろう。震災後の復興は帝都から行われるはずである。
ウラジオストク、呉、佐世保などに艦艇を分散して派遣していたので大型艦艇の被害はゼロに等しい。軍縮時代とあって予算が減らされているので海軍機関学校の校舎建設費を一部の者達が渋るかもしれない。
土屋の管轄外の海軍機関学校生徒と職員が、土屋の元で生まれ変わった海軍兵学校生徒と職員の対立が発生しないか不安だった。どちらの生徒たちもこれからの大日本帝国海軍を背負っていく仲間である。どちらかに深入りし過ぎて片方が疎かになることを土屋は望まない。
「はぁ。何時になったゆっくり出来るのやら。」
「土屋校長。ため息はよくないです。幸せが逃げますよ。」
古賀は笑顔で言った。
その笑顔に苦笑いしつつ、何にも知らない古賀になりたいと思う土屋だった。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
更新再開します。




