ウラジオストク(1923月7月1日)
筆休めの話になります。
1923年7月1日
「角田少佐、ソ連軍に不可解な行動なしです。」
「ああ、ありがとう。山口大尉。」
山口から渡された資料を見ながら角田が言った。
山口多聞海軍大尉は角田少佐の副官として旧ロシア領で現在日本領ウラジオストクにいた。
ウラジオストクは旧ロシア海軍基地があったので、日本海軍の新たな基地として使用されることが決定していた。そのため急ピッチで基地の改装が行われていた。
戦艦クラスの大型艦艇にも対応出来るようにする必要があった。旧ロシア海軍太平洋方面部隊の艦艇には戦艦クラスのような大型艦艇がない。
「ちっ!また、汽車が到着した。なんで祖国から逃げる?貴様達が望んでいた空想だけの理想国家だろうが!」
角田の目には、窓から見える汽車がウラジオストク駅に向かっているのが見えた。大量のロシア人を運んでいた。
主にソ連から逃げ延びてくる人々だった。
「また、炊き出しの食料消費量が増加しますね。シベリア出兵した連合軍もここの街から出ようとしなかったし......。結局、日本が面倒ごとを請け負っている形です。」
山口が言っていることは正しかった。国際的に日本領と承認されたので大量のロシア人難民がウラジオストクにいた。
日本領となればソ連が手出し出来ないと考えている知識人や元軍人が多くいた。
シベリア出兵は史実通り行われた。少し違うことは日本が積極的な領土拡大をしなかったことだ。日本軍はウラジオストクと北樺太に部隊を展開したのみだった。
連合軍もほとんど何もせず本国に撤退してしまった。
「なんで、こんなに大型艦艇がここにいるんだか......。一応、ソ連軍に対する威嚇らしいが過剰戦力だろう。」
角田もこの艦艇の多さに呆れていた。
ウラジオストク沖には金剛、榛名、扶桑、軽巡4隻、駆逐艦10隻のから成る大艦隊が停泊していた。大日本帝国海軍第三艦隊だ。
この艦隊は元々横須賀鎮守府にいた艦艇だった。藤伊が関東大震災で傷つくのを恐れてウラジオストクまで行かせていた。
ソ連軍に対する威嚇としても多すぎる艦艇の数だった。ソ連海軍太平洋方面部隊の大型艦艇が存在しない。
日本海軍ウラジオストク支部では巡洋艦クラスで十分対抗出来ると予想されていた。
現地の者達は戦艦クラスの艦艇の停泊している理由がわからなかった。
「ソ連によるウラジオストク奪還を絶対に阻止するためでしょう。それに藤伊子爵家がウラジオストク開発の最大の支援者ですから。」
山口やその他多くの者達もウラジオストクに対する資金援助は藤伊子爵家が行っていると思っていた。だが、長い間一緒に行動していたこともあって、藤伊栄一海軍少将の人柄を知っていた角田だけは絶対に違うと確信していた。
「君は考えること、調べること、推測することしか出来んようだ。これを見たまえ。数年前から今年までの朝鮮に振り分けられる総予算額だ。」
角田は藤伊の事務作業をやっていたのですぐに発見することが出来た。
「え!毎年少しずつだが予算が減っている。まさか、この金を利用してウラジオストクの開発がされているのですか?」
山口はわからなかった。まず、誰も見ないような資料を上司が見ていたのか?そして、角田の顔に驚きが一切なかったこと。
「マニュアル通りにしか動けないのであれば、弱者が強者に勝てんぞ。そうそう、注告しておくけど、この話は墓まで持っていきなよ。」
フリーズしている山口を無視して角田は当然のように言った。
ウラジオストクの開発予算はあるが足りない。政界の者達も開発に乗り気ではなかった。各国からの圧力で返還せざるを得ないと思っていたからだ。
ウラジオストクよりも北樺太の開発が優先と判断されていた。海軍は北樺太の開発費を一切出さなかった。陸軍が反対したからである。
北樺太の大部分を占領したのは陸軍だった。占領するまでは海軍に協力的だったが、占領後から非協力的になった。
陸軍の青年士官たちが手柄を横取りしてしまった。藤伊少将や土屋大将や鈴木中将ら三人は、ここのことに他の仕事が忙しすぎて対応出来なかった。
土屋大将が積極的な行動をしないと思った途端、陸軍が海軍を北樺太対策委員会から追い出してしまった。
北樺太対策委員会は今後の北樺太についての事柄を決定していく現地の役所だ。
海軍は北樺太に予算の一部を回さず、ウラジオストク開発に回したのだ。
海軍はウラジオストクにある基地の改造費が出した。内務省は共産主義者取り締まりのための臨時費を出した。
不足するウラジオストク開発予算は朝鮮の総予算から得ていた。
「わかりました。でも、ここにいる第三艦隊はよく編成出来ましたね。常備艦隊の第一艦隊、第二艦隊から戦力を引き抜いた形ですね。」
第三艦隊は常備艦隊でない。平和の時は第三艦隊が解体される。第一、第二艦隊のみとなるのだ。
対ソ部隊として編成されていた。一応、臨時艦隊である。ワシントン会議の影響により、日本海軍の旧式戦艦らは姿を消していた。ただ、第三艦隊だけは最新艦艇で編成されていたので戦力低下がなかった。
第一艦隊、第二艦隊は戦力低下があった。第三艦隊は欧州派遣艦隊の艦艇でほとんど占められていた。最新大型艦艇を多数含む派遣艦隊を第一、第二艦隊へ組み込む計画はあった。
計画は藤伊栄一が叩き潰した。実戦経験した派遣艦隊の猛者達を煽ったからだ。派遣艦隊主力の艦隊を編成することに多くのクルーが賛同した。
海軍上層部も欧州で実戦経験しているクルー達は貴重であったのでその要求を受け入れた。条件として大型艦艇の艦長は大佐、中佐がなるとした。
この様な経緯で第三艦隊は編成されたのだ。日本に残ったクルーや士官達との衝突を避けるため編成されたことも理由の一つである。
「そんなことを言えるのは派遣艦隊のメンバーでないからだ。こっちは広島から急遽呼びされたぞ。」
以前、角田覚治海軍少佐は広島にある海軍兵学校の教員をしていた。飛行機で行くことが出来ないこの時代に角田は鉄道と船を使ってウラジオストクまで来た。
派遣艦隊のクルーのほとんどが英語が日常会話程度なら出来た。イギリスに約5年間滞在していたからだ。
第三艦隊クルーはウラジオストクで治安維持活動や難民への炊き出しなどを行っていた。英語が話せる。意思疎通が出来るためだ。これによりスムーズに事が進んでいた。
「角田少佐だって美人な恋人が得られたからここに来た意味があると思いますけどね。」
山口はニヤニヤしながら言った。
「情報が早いな。まあ、彼女とは結婚するから隠すつもりもないがな。」
角田には恋人が出来た。金髪美女のロシア人である。角田は英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語が話せた。ロシア人とのコミュニケーションも出来たのである。
ウラジオストクには夜逃げしてきた農民一家も多くいた。ロシアにある噂が流れたからだ。
《《独立都市ウラジオストク》》
ウラジオストクの人口は約20万人ほどからたった2年で約40万人に増加していた。ウラジオストクの日本化を図るため日本語学校などが設立された。
「それにしても我が国の外務省は優秀ですね。」
山口は在ウラジオストクイタリア総領事館を見ながら言った。
ウラジオストクにはイタリア総領事館が建てられたいた。
『日本はあれ程狡猾な奴らなのか!』
ウラジミール・レーニンが締結された条約の用紙を見ながら叫んだ。
『しかし、条約締結は我が国にも得がありました。我が国を正当政府として認めたことです。』
スターリンが条約文に書かれた文章を指で指しながら言った。
ミラノ条約。
史実にない条約である。日本とソ連で結ばれた条約。
1、日本領ウラジオストク、北樺太の承認。
2、日本のソ連の承認。
日本領ウラジオストク、北樺太はワシントン会議でアメリカ、イギリスなどの連合国に承認された。ソ連の承認さえあれば、ウラジオストクと北樺太は日本領となる。
五大国とされる大日本帝国の承認が欲しいソ連からの交換条件として手に入れたのだ。西にイギリス、フランス、イタリアの三大国。東に大国となった大日本帝国。ソ連は東西に敵しかいなかった。
東の大国の大日本帝国が友好関係を申し出たのだ。シベリア出兵を積極的に行っていないため日本陸軍の戦力は疲弊していなかった。
ソ連は五大国の一つの大日本帝国が承認すれば表立って敵対してくる勢力が減ると考えた。大日本帝国との友好関係を望んだのだ。
日本はソ連と友好関係なんて結ばなくてもよかった。一応、ワシントン会議でウラジオストクと北樺太の承認がされている。
ソ連は是非とも日本と友好関係を築きたかった。だから、日本は強気で交渉できたのだ。交渉地の指定、交渉日の指定も日本が一方的に決めた。
イタリアのミラノを選んだのにも理由がある。
イタリアでドイツとソ連が1922年にラパロ条約を締結した。ソ連はイタリアでなら交渉出来ると日本外務省が判断した。
ソ連と条約締結後に日本外務省のメンバーがイタリア政府と経済協定を結ぶためだ。イタリアは大戦後の不景気で国民の支持を得られる対策ができていない。
そこで日本と経済協定をして頑張って不景気対策しているアピールさせる。この日伊経済協定が力を発揮するのは藤伊が欧州に再び派遣された時になる。
『日伊経済協定がある為ウラジオストクにイタリア総領事館が建設されたことは不覚だった。ウラジオストクで問題を起こしたらいかんな!』
外交上手とは言えない日本だけならウラジオストクでの諜報活動が出来たかもしれない。そこにイタリア総領事館があると諜報活動が難しくなる。
国として統一は約1000年ぶりのイタリア半島の統一国家のイタリア王国だが、日本の様な外交レベルではない。約1000年間諸国が外交を行っていたからだ。
日本とイタリアが協力関係ならば、イタリアが日本に情報を渡すと考えることもあり得る。それを裏付けるかの様にウラジオストクにイタリア総領事館が建てられたいた。
『取られた領土は後で取り返しましょう。それよりもドイツが問題です。』
スターリンは日本を警戒していなかった。
敗戦国ドイツと戦勝国日本が急速に接近していた。イタリアが仲介役となっていた。
孤立状態を脱却するためにソ連接近してきたドイツがソ連から離れて日本に接近し始めた。ドイツがラパロ条約の独ソ技術提携を拒んできたのだ。
特にドイツ海軍と大日本帝国海軍が接近していた。ドイツ政府も海軍の行動を後押ししていた。
『イギリスやアメリカは日本がドイツを支援すること認めるのか!』
『同志レーニン、そもそもフランス以外はドイツ宥和政策に賛同しています。』
スターリンの言葉はソ連の潜在敵対国家を示していた。イギリス、イタリア、アメリカはソ連の敵対国家だった。フランスはドイツを潰せるのならばソ連と協力した。
ドイツワイマール共和国の首都ベルリンでは今後の政策について共和国の各省の大臣達が話しあっていた。
『日本か......。奇妙な国だな。』
現ドイツワイマール共和国大統領エーベルトが言った。ドイツワイマール共和国の初代大統領である。
『仲介役がイタリアというのも気になります。』
ドイツワイマール共和国首相兼外務大臣のグスタフ・シュトレーゼマンが言った。彼は外交によりドイツの国際的な信用を回復させた男だ。
仲介役がイタリア。これは日本とイタリアが協力関係にあると言っているようなものだ。
イタリアはイギリス、日本と友好関係だった。フランスの行き過ぎた対ドイツ政策を縮小させる為にイギリスはイタリアと友好関係でいた。
フランスの北にイギリスが存在して、フランスの南にイタリアが存在する。フランスの強固な主張も2ヶ国が歩調を合わせれば拒否出来ると考えていたのだ。
隣国である列強ドイツを完膚なきまでにすればフランスの脅威が大幅に削減される。しかし、イギリスはそれを望まない。ヨーロッパのパワーバランスが崩れるからだ。
ドイツが存在すれば、共産国家ソ連防波堤になり、フランスの目をドイツに向けさせる事が出来る。これはイギリスとイタリアの共通の考えであった。
利害関係が一致しイギリスとイタリアは友好関係になっていた。そこに日本が加わる。
日本とイギリスが今はなき日英同盟あった。ワシントン会議で破棄されても友好関係でいることに間違いはないだろう。日伊経済協定がある日本とイタリアも友好関係である。
全体図では日英伊三国協定があるように見える。世界中に多くの植民地を持ち資源が豊富な大英帝国。多くの船舶が行き交う地中海の中央のほとんどを勢力下に持つイタリア王国。アジア唯一の大国の大日本帝国。
今のところは日本とイギリスの関係が良好だった。
ドイツがソ連とこの三ヶ国を天秤にかけた時、どちらに接近するかは明らかだ。当然、日本との友好関係構築に向かう。
『イタリアは様子見だろう。日本との条約内容次第で交渉に移ろうと考えているのだろう。日本と友好関係になれば金持ち連中からの支持が得られる。』
エーベルトが言ったことは正しい。欧米ではドイツ人が経済活動をしにくい状態だった。心情的にドイツ人と組みたくないと考える人が増加したからだろう。
第一次世界大戦で自分達の友や親族が戦死している者は多い。そこに彼らを殺したであろうドイツ人と組みたいと考えるない事が普通だ。
その点日本は違う。日本陸軍の大部隊をヨーロッパに派遣していないからだ。日本人の第一次世界大戦中の戦死者は少数だった。
これにより日本はドイツ人とでも協力した。技術大国ドイツと協力出来るなんて素晴らしいためだ。
『海軍は日本でUボートの開発研究をするそうです。それも日本の予算で。』
シュトレーゼマンも日本の好待遇に苦笑いしていた。




