結婚相手(1921年8月17日)
1921年8月17日
「海軍大佐だ。うれしいなぁ〜。」
「よく喜んでいられるな。自由が大きくなる反面、責任も重大になるぞ。」
山本五十六海軍中佐は藤伊栄一海軍大佐のはしゃぎっぷりに呆れていた。
「何より面倒な事務作業を部下に任せられる事が最高だ!」
遠慮せずこんなことが言えるのは周りに誰もいないからだ。二人は現在、東京に向かう汽車の個室の中にいた。
「海軍艦政本部もメチャクチャな、海軍軍拡計画を作成するものだね。まあ、伊勢型戦艦2番艦の計画中止をしたから、他からの表立った反対はないけど......。これから、表立った反対もあるだろう。」
伊勢型戦艦2番艦日向の計画中止は、史実でなかったことだ。主な理由は、ユトランド沖海戦で成果を上げた金剛型巡洋戦艦の5番艦が建造されるべきと一部の高官達が反対した。
史実なら1915年5月に起工される伊勢型戦艦2番艦日向は、扶桑型戦艦2番艦山城、金剛型巡洋戦艦4番艦霧島の大幅な竣工遅れによって、1916年5月のユトランド沖海戦以降に起工される予定だった。
伊勢型戦艦2番艦日向の正確な建造時期は1916年7月に起工だった。
予算的に大型艦艇の建造より、国内インフラ整備が優先と陸軍、内閣が主張したことで計画そのものが破棄された。
「おいおい、山本。艦政本部配属の海軍大佐の前で堂々と言うなよ。俺だからいいけど、新聞記者の前では、絶対に言うなよ。海軍批判の嵐となっては、いかんからな。」
「わかっているさ。」
藤伊栄一は欧州から帰国と同時に艦政本部に配属された。欧州の進んだ技術をまじかに見たからだ。艦政本部長には欧州第二派遣艦隊の参謀長の鈴木貫太郎が海軍中将に昇格してなった。
「でも、なんでご老人が結構重要な仕事ばかりするのだろうか?」
藤伊は流れゆく窓の景色を見ながら言った。藤伊の脳裏には一応、周りの者から自分の上官とされている土屋海軍大将が浮かんだ。
「あれだけ陛下から信用されている者が他にいるかい?まったく、そんな人が上官なお前が羨ましいよ。」
「特に羨ましいがられるこれと言った出来事はないけど。」
【え?俺みたいなブラック企業も真っ青な労働したいのかね?1日18時間労働だぞ!疲れる!!】
これが藤伊の本音だった。羨ましがられることなんて何もないと思っていた。
「パリ講話会議日本海軍全権代表、そして、もうすぐ行われるワシントン会議日本海軍全権代表だぞ。お前の上官、土屋海軍大将は!!」
土屋は第一次世界大戦終了後も欧州に留まった。大戦後の講話会議に出席することが望ましいと、藤伊一郎内務大臣一派が主張したからだ。
パリ講話会議の日本全権代表西園寺公望が、体調不良を理由にパリ到着遅れの発生。よって、日本海軍全権代表であった土屋が事実上の日本全権代表として講話会議に出席した。
陸軍全権代表の田中義一と日本外務省代表牧野は、欧州の大規模な会議に慣れていないため、大戦初期から欧州にいた土屋におんぶ抱っこ状態だった。
土屋も英国海軍と共同作戦や技術協力、修理予算などで、外交国家大英帝国と幾度となく交渉して、英国から見ても殆ど一人前の外交官であった。
約4年間ほとんど腹の探り合いが主な仕事だったら、嫌でもマシになる。ユトランド沖海戦以降は英国との交渉が激増したらしいが......。
「それって、土屋大将が望んだことではないと思う。土屋大将が、、(ワシントン会議の代表を断り続けていたら適任者がいないから陛下直々にお願いされた)、、と言っていたよ。」
「陛下直々にお願いされるとは素晴らしい!!」
山本は椅子から立ち上がった。
「落ち着け山本。あと、今の話はタブーだからな。」
【まったく、政府は何を考えているのやら......。はぁ〜。山本がこんな反応だから、陛下からお願いされたことを話すと同じように反応するだろうな〜。
まったく、土屋大将が何歳だと思っているだろうか............。
72歳になっているぞ!ご老人だろう!!】
藤伊は外務省が面倒ごとを全て丸投げしていることの再確認したのであった。
「知っているぞ。常識だ!そして、この予算を完璧に無視した八・八艦隊計画の予算が通過したのは第二派遣艦隊乗組員に対する海軍内部の嫉妬心を回避させるためだろう?」
山本は今日の新聞の朝刊を取り出して言った。海軍については、八・八艦隊計画の内容が大部分を占めていた。
「それって、自分で考えた?」
【感情が高ぶっているこいつがこんな考え方出来るの?】
山本五十六は史実で連合艦隊司令長官になった人物である。よって優秀な人物であった。藤伊は完璧に山本五十六が優秀な人物であることを忘れていた。
「もちろんだ。一部の同期の者達も勘付いておるぞ。」
「なかなか鋭いね。流石だね。解答に丸はつけれないよ。八・八艦隊計画の目的は、旧式艦艇を全て廃艦にすることだよ。ついでに軍縮も兼ねているよ。」
旧式艦艇の廃艦は理想であった。時代遅れとなった艦艇に維持費を割きたくないためだ。
「な!!!!誰が発案者だ?お前か藤伊?」
「深く入り過ぎだぜ、山本。ここまで話したのは、友人で信用出来るからだ。こっから先は、やめときな。」
【うるさいなぁ。いちいち大声で叫ぶなよ。あー、テンション下がる。】
これはただ藤伊の話す気が失せただけであった。
「ああ、わかった。」
山本は藤伊が真面目になったのを察した。
八・八艦隊計画とは戦艦8隻、巡洋戦艦8隻の保有計画である。現在保有している扶桑型戦艦2隻、伊勢型戦艦1隻、新たに建造された長門型戦艦1隻。建造計画の戦艦5隻うち残りの4隻、加賀型戦艦3隻、長門戦艦1隻を建造中である。
巡洋戦艦は金剛型巡洋戦艦4隻に加えて天城型巡洋戦艦4隻を建造する。残りの巡洋戦艦4隻は2年後より建造する予定である。
1921年8月現在、横須賀海軍工廠で長門戦艦2番艦陸奥の建造が先月より開始されていた。
長崎の民間造船所では加賀型戦艦2番艦土佐。神戸の民間造船所には加賀型戦艦3番艦紀伊。呉海軍工廠では加賀型戦艦1番艦加賀が建造中だった。
大型のドックの空きがないため天城型巡洋戦艦4隻の建造は2年後とされていた。でも、土屋、鈴木、藤伊は天城型巡洋戦艦4隻の建造を認める気がなかった。
土屋と鈴木は国家の経済規模から考えても、八・八艦隊計画に反対だった。もし保有出来たとしても赤字財政となり、国家破綻が身に見えていたからでもある。
藤伊は天城型巡洋戦艦4隻より大和型戦艦1隻保有した方が何百倍もいいと考えていた。それに、1921年11月頃から開催されるワシントン会議で戦艦を空母に改造が決定するので、廃艦にすることがわかっている艦艇建造に乗り気でなかった。
この後の歴史の流れがわかっている藤伊は霧島、山城、伊勢の完成を引き延ばして、天城型巡洋戦艦が計画段階で廃案になるよう努力していた。
このままワシントン会議で主要国の海軍軍縮が決定すれば、天城型巡洋戦艦は計画段階で廃案となる。
「うん!?山本、その手紙はなんだ?」
藤伊は山本が差し出してきた手紙を見て言った。
「今夜、東京で貴族のパーティーに出席してくれ、というお前の親父からお前宛の手紙だよ。」
「なんでだよ?パーティーに出席したくない。特権階級だと思っている奴らと仲良くできる自信がない。」
「お前も一応、貴族の嫡男だろう。」
「親父が知らないうちになっていただけだし......。」
本当に知らないうちに父親が貴族になっていたのだ。家に帰ってきたら貴族になりました、という状態だった。
「結婚相手でも見つけてこい。」
山本は突き離すように言った。これ以上愚痴を聞きたくなかった。
「結婚相手ね......。」
藤伊子爵家嫡男、海軍大佐、資産家、年齢36。これだけ見れば、藤伊は、優良物件だろう。藤伊栄一の父親、藤伊一郎子爵内務大臣と関係を持ちたい輩も多くいた。
前にあった英国人との結婚は、海軍上層部が難色を示したので流れた。海軍の情報漏洩を防ぐためだ。
「ちょっと、手紙の内容を見せてくれ。」
「はい。」
藤伊は山本に手紙を渡した。
「ほぉー。手紙のなかで、この山田英夫伯爵が、ぜひ来て欲しいと言っているけど知り合いか?」
「知らん。多分、親父の知り合いだと思う。その人、貴族院議員だし。」
山田英夫伯爵は藤伊栄一の言った通り、父親の藤伊一郎内務大臣の知り合いであった。今夜開催されるパーティーは華族当主夫妻、もしくは華族のご子息のみ参加が許されていた。
【パーティーなんか、行きたくねぇー。36歳の独身に地獄へ行けと......。俺より、若い奴が夫妻で来るのに......。】
藤伊一郎子爵の一人息子として行かなければならなかった。行かなければ、親父の経歴に傷をつけるかもしれないからだ。
「お前なら、すぐに見つかるさ。10代の若い女性でもつかまえてこい。はははは。」
「それはまずいでしょ。だって、学校中退して嫁入りするのは少し可哀想な気がする。」
戦前の結婚はほとんど自由恋愛のもと結婚することが不可能であった。結婚とは個人同士でなく家の結びつきを強める意味があった。その為、父親の意向により決められていた。
貴族では尚更それが強く反映されていた。娘が在学中でも中退させて結婚させることは、普通にあった。娘自身も在学中に結婚させられることが当然と思っていた。
藤伊栄一は21世紀の感覚があるため学生時代に様々な学びを深めて欲しいと思っていた。それで、学びの時間を奪い取ってしまうような行為に好感が持てなかったのである。
「良家のお嬢様にしろよ。お前の家は新興華族だからな。」
山本は全く藤伊の話を聞いていなかった。
「あのさー、俺の話を聞いていた?俺と年齢がなるべく近い人がいいってこと。」
「やめておけ。不倫の常習犯だぞ。それに不倫関係から結婚したら元旦那の家から仕返しを受けるかもしれない。お前、新聞見てるか?華族の不倫の記事がよく掲載されているだろう。」
山本が急に熱く語り出した。
結婚相手と馬が合わなかったりしたので、不倫に走る女性は多くいた。貴族は特に多かった。男尊女卑がまだ根付いていた時代のため、不倫に走った女性の特権階級の旦那からの仕返しがあったようだ。
「わかったよ。なるべく、気が合いそうな女性と結婚すればいいんだよな。」
藤伊が女性と言ったのはなるべく年齢の近い人と結婚する表れだった。
「そうしろ。」
山本は藤伊が理解したと思い満足気に頷いた。
「やっと来たか、栄一よ。遅かったぞ。」
藤伊一郎子爵が会場の隅に隠れていた栄一に言った。
「時間通りに来て隅に隠れていた。」
【マジかよ。見つけるなよ。】
栄一は側にいたスタッフと話して自分が会場スタッフだと周りから見えるようにしていた。
「もっと中央に行かんか。お前も一応、主役だろう。」
「誰が悲しくて10代、20代しかいない様な場所に行かなければならない。俺は却下だ。」
【おじさんが行ったら周りから凄く怪しまれるぞ。あと、俺の家が子爵だということ忘れていない。公爵、侯爵、伯爵には、勝てんぞ!】
栄一は首を横に振った。息子栄一36歳。父親一郎68歳。前者はおじさん。後者はおじいさんであった。
会場の一部に若い男女だけで出来た固まりがあった。10代前半から20代前半までの若い男女だけで構成されていた。
このパーティーは見るからに貴族の御子息のパートナー探し及び敵情視察も兼ねていることが栄一にはパーティーに来た時からわかっていた。
「部屋を変えるぞ。」
藤伊一郎子爵はそう言ってパーティー会場から出て藤伊家に割り振られた個室に向かった。
「儂はな、孫の顔が見たくて堪らんのだ。だから、早く結婚しろ。」
個室に入って机を挟んで向かい会って座った直後に藤伊一郎子爵は言った。
「自分の相手は自分で決めるから安心しろ。」
「安心できん。今年中に結婚しなければ、藤伊子爵家を継がせん。」
藤伊一郎子爵は勝ち誇ったような口調で言った。
「安心しろ。子爵家を継がなくても俺自身が伯爵に任命されるからな。」
栄一も負けずと言い返した。
「儂の力を甘く見るなよ。栄一。」
「大丈夫だって俺は軍艦で海の上にいるから安全だって。」
藤伊一郎子爵と息子の栄一の表情は穏やかであったが目が笑っていなかった。
「ふん。ならこの場を切り抜けれたら実行できるかもしれんな。」
藤伊一郎子爵は部屋から出ていった。
「いや、帰ればいいことじゃん。まあ、ここでのんびりしてから帰るか。」
栄一は部屋から出て行く父親の背中を見つめて言った。数十分後、帰ろうと出口に向かった時、栄一は唖然とした。貴族の当主である父親とご令嬢が藤伊一郎子爵と一緒に入ってきたからだ。
「初めまして、私は貴族院議員を務めております。山田英夫伯爵です。こちらは娘です。さあ、ご挨拶を。」
栄一話し掛けてきた人物は手紙にあった山田英夫伯爵だった。年齢は46歳で藤伊栄一より一回り年上であった。
「初めまして、娘の山田千代子と言います。」
肩までかかる黒い髪をして将来間違い無く美人となるであろう少女が挨拶した。いや美少女だ。年齢は14歳である。
「初めまして、藤伊子爵嫡男の藤伊栄一です。」
【おいおい、見た感じ中学生ぐらいの女の子だろう。こいつはなんとか上手く避けないとまずいな。20歳ぐらい年下の娘と結婚なんて世間的によくない。】
栄一は一般庶民の様な対応を心がけた。嫌われて欲しかったからだ。
「つかぬ事をお聞きしますが、なぜ、このような場所にいるのですか?パーティー会場でダンスなどされては?」
「最近、足を負傷しまして激しい動きができないのです。」
「大丈夫なのですか?」
「はい。あと一ヶ月ほど回復しますので大丈夫です。」
「栄一、山田伯爵のご令嬢がお前の結婚相手になる。」
藤伊一郎子爵が不意に口を開いた。栄一は呆然としていたが、山田英夫伯爵が頷いていたので事実と悟った。




